眼窩の窪んだ男と彼の信仰 3
深々と光を呑むような瞳で、ヂルノも美名を見据える。そこには銀髪の少女の啖呵に怖じている様子などはない。
相手は自分を見ているわけじゃない。どこか、茫然として掴みようのない何かを見ている。
威勢を放った彼女のほうこそ、そんな寒々しさを感じてしまう。
「……その刀で、俺を斬るのか?」
「……」
「……主神様に真心から仕える俺を、罰するのか?」
「……『罰する』なんてつもり、私には……」
「神意の宿らない者に『間違い』などと、断じられたくはないッ! マ行・微睡!」
ヂルノが平手を構えるのを察知した美名は、「嵩ね刀」の刀身で自らの視界を遮った。空けた手で、片方の耳を塞ぐ。
幻燈の魔名術は「平手(の光)を視認させる」、「詠唱を聞かせる」、「直接に触れている状態で発動する」などが効果発現の条件である。これらの条件を満たしているほど高い術効果を与えることができる。
ゆえに少女は、目と耳を塞いだのだ。
だが、不十分。
大剣とはいえ、刀程度の遮りでは、魔名術の光は回折して対象に届く。詠唱の声に至っては、片耳が空いている。
(くぅっ……!!)
「微睡」を受け、美名はふたたびの強烈な眠気に襲われた。
(……やっぱり、キツい……ッ!)
地が揺れる。
空が狭まる。
立てているのがやっと。
気を抜けば、今にも意識の千尋に引き摺り込まれるかのようである。
「美名ッ!」
名を呼ぶクミの声も遠い。
少女のひざが揺れ始めた。
(マズい……ッ! も、もう……)
「この、卑怯者ッ!」
美名のかすみゆく視界の中で、黒毛のネコはプラプラと身を揺らせ、叫んでいた。
「正々堂々と勝負しなさいよ!」
「何だと……?」
「何が『主神様』よ、『神意』よ! 結局は魔名術に……『マ行の神様』の力を借りて、自分よりも年下の少女をイジメて、どの口が『主神様に真心から仕えてる』っていうのよ!」
「……ッ!」
「正々堂々、お日様の下ではなんにも出来なくて、皆を眠らせてからじゃないと何も出来ない! そんな信徒、主神サマもきっと笑っちゃうわ!」
奥歯を軋ませ、ヂルノは手の中の黒毛を睨み下げる。
少しの間、そうやってわなわなと震えていると、彼はクミを放り投げた。
「わぁッ?!」
「……スッザ! 奥から刀を持ってきてくれ!」
放られ、地面を転がったクミ。起き上がって体勢を整えると、男が少年に命じる声を背後にして美名に駆け寄っていく。
「美名、美名!」
「クミぃ……。ダメ……すっごい……眠い……」
「たっぷり寝たから大丈夫なんでしょ! ほら、手を貸して!」
前後定かならぬまま、友人に言われるまま、美名は身体を屈め、片手を差し出す。
小さなクミは、差し出された彼女の手のひらのそこかしこをムギュムギュと押してくる。
「なに……してるの……?」
「眠気覚まし! たしか、手のどこかにツボがあったはずなんだよ!」
「……壺……?」
美名の手に、小さなネコは一心になってフニフニと自らの肉球を押しつける。
「ツボ」というものが何かは、美名には判らない。
相棒のその行為が、眠気を解消してくれるような兆しはない。
だが、フワフワ黒毛の相棒が、「眠気覚まし」のために甲斐甲斐しく自分の手を揉んでくれる姿に、美名は勇気づけられた。「眠気なんかに負けるか」と、奮いの気概を起こさせられた。
「……これで、文句はないな?」
恨み言のような響きが聴こえ、クミは振り返る。
洞穴の入り口で、眼窩の窪んだ男は刀を構えていた。
美名のような両刃の大剣ではない。明良のような、細身で反りのある刀でもない。
装飾の少ない、取り回しのよさそうな片刃の直剣だった。
「……主神様も刀剣を得意としていた。『微睡』の効果が残っているだろうが、これで打ち倒せば文句は言わせないぞ」
「……ちょっと待って、それ……」
クミは、ヂルノがもつ剣の刀身に目を奪われた。
片刃に、赤い血糊がついている――。
(まさか……。クメン様を、アレで……)
慄くクミの後ろで、美名が立ち上がる。
「美名……?」
「ダイジョブ……」
眼下の相棒に笑顔を送る、銀髪紅眼の少女。
足のふらつきはない。
頭もはっきりしてきた。
「ありがとう、クミ」
「え……?」
「『眠気覚まし』、できてるよ」
少女は刀を構える。
十数歩を挟み、向かい合う剣先と剣先。
「クミ、離れてて」
「え……、うん……」
黒毛のアヤカムがそそくさと場を離れたのを合図にしたのか、ヂルノは刀剣を水平に構え、美名に向けて駆け出した。
「うぉぉぉぉッ! 主神様ッ! 俺に加護をッ!」
美名は呼吸を止める。
相手の姿を見詰める。
銀髪の少女は「神」を信じている。
魔名教の説諭も教えも正式に受けた事はないが、それとは別に、加護をくれる慈悲深い存在を、身近に感じている。
そして、知ってもいるのだ。
神は、何もしない者には加護を与えない。
天啓や好運といったものを、気まぐれに下賜はしない。
日々を積み重ねる者にだけ、授けてくれるのだ。
美名はそれを、自身の経験として、幻燈大師の言葉として、熟知していた。
紅い瞳に映る、次第に姿を大きくしてくる相手、ヂルノ。
彼の動きは、刀剣に親しみ、鍛練に励んできたもののそれではない。
彼の叫びは、彼の神様に届くまでの気概に、至っていない。
美名は即座に見抜いていた。
「……アナタのその剣に、どの神様も宿ってはいないッ!」
カァン!
「ッ?!」
ヂルノが剣を振り払う瞬間、美名は「嵩ね刀」を切り上げた。
甲高い音と共に、男の剣は真っ二つに裁ち切られる。
切り離された刀身は、宙に浮かび――あえなく地に落ちた。
そして――。
「不全乃打擲ッ!」
相手の突進の勢いを躱すように回転した少女。銀髪を舞わせて少女は、男の首筋に「嵩ね刀」を打ち据えた。
ヒトと対した際の「殺生に及ばない」打撃。
超質量の衝撃により脈道を断たれたヂルノは即座に意識を失い、転ぶようにして地に臥せった。




