眼窩の窪んだ男と彼の信仰 2
「きゃぁっ!」
転がるクミの小さな身体は、何かにぶつかり、止まった。
ちょうど仰向けになった彼女の視界に、ギンギンと剥くような眼で見下ろしてくる、不健康そうな男の顔が迫る――。
「ひゃぁ?!」
「これが……喋るアヤカム……」
首の皮をつままれ、持ち上げられるクミ。
「離して、離してよ! 美名ぁッ!」
クミは数歩先の友人に目をくれるが、彼女はダラリと、身を投げ出すように倒れたまま、微動だにしない。
(「マ行幻燈」の「微睡」……。たしか……、「相手を眠らせる」魔名術……)
「美名ぁ、起きてッ!」
呼び掛けても少女の身体は、白銀の一本でさえ揺れない。
「……このアヤカムは、『客人』様じゃないんだな? スッザ……」
「はい。自分でそう言っていました」
吊られる格好のクミは、今度は短髪の少年に顔を向ける。
「スッザ、やめなさい! こんなことして、何になるの?!」
「……」
「皆を起こして、クエン様も解放して、こんなことやめなさいよ!」
唇をギュッと結んで答えない彼の代わりに、クミを持ち上げている張本人が「ダメだ」と声を出した。
「まだ、途中だから……」
「途中……?」
「邪教徒である附名術者を主神様の御神託において、断罪している真っ最中だ……。執行が為るまでの間、サガンカの皆には寝ていてもらう……」
「断罪ってアンタ……」
ヂルノはクミを持つ手を上げ、彼女の小さな顔の前にもう一方の手をかざす。
「……マ行・微睡」
「ッ?!」
ヂルノの平手はぼんやりと白く光った。
だが、黒毛のアヤカムは目をパチパチとさせ、幻燈の魔名術による入眠に至る気配はない。
「……『微睡』が効かないとは……。やはりこの方は『客人』様で、何かしらの神通力があるんじゃないか……?」
興味深そうに見てくるギョロリとした目に、クミの耳はペタンと下がった。
(私には、魔名術は効かない……。けど、こんな状況じゃあ……)
「マ行幻燈」は「心」に関する魔名術である。対象に直接に効果を及ぼす術ばかりで、その性質上、クミにはほとんど意味がない。
だが、魔名術が無効とはいえ、小さなネコの身では、この状況を打開する力はない。せいぜいが――。
「んぎぃいぃいぃ!! 離してぇ!」
吊られた格好でダラリと伸びた肢体を、ジタバタと揺らすくらいのものである。
「……暴れるな。おい、スッザ。縄か何か……」
ヂルノが年少の者に命令した時だった。
「……はな、して……」
かすかに、囁くような声がした。
声がするほうに、クミもヂルノも、スッザも目を向ける。
「……クミを……離して……」
「美名!」
銀髪の少女である。
非力なネコの心強い友、美名である。
彼女は、眠気が残るのであろうか、勢いよく転がったときに筋を痛めたのだろうか、よろよろとではあるが、「微睡」の術中にあってもなお、立ち上がろうとしている。
ヂルノは、ギョロ目をさらに飛び出させるように唖然として、奮起しようとする彼女を見遣る。
「……まさか、この娘も『客人』……?」
「眠気なんか……眠いのなんか……」
言いながら、美名は立ち上がった。
「眠いのなんて……、タップリ寝て、起きたばっかりだから、大丈夫……」
「……そういう問題ッ?!」
銀髪の少女は、クミの反応に一瞬だけふわりと笑ってみせると、すぐに唇を結び直し、ヂルノを見据える。
「……クミを離して。そして……、『オ様』も離して」
「……」
「私には、アナタの意図が判らない。なんでこんなことをするのか、全然判らない。でも、これだけは判るわ……」
美名は「嵩ね刀」を正眼に構え、凛とした紅い瞳の内に男を収めた。
「『オ様』を隠して……、皆を魔名術で眠らせて……、クミをそんなふうに捕まえてる……。それは絶対に間違ってるって、私の心は判ってるッ!」




