雪の町で調べごと 09
彼にしか見え無いように体の距離を近づけると痛む傷口のガーゼを外す。傷は5日前と同じ状態で噛み跡がくっきり残っており、その周りの肌は青緑に変色していた。改めて見ても気持ちが悪い。ラスを見れば息を呑んで黙り込んでおり傷を凝視しているようだった。
「魔獣に噛まれてヒューニックの毒をたっぷり摂取したみたいなの。混乱や錯乱はない代わりに自分の記憶が全くないわ。神経系をダメにする毒をオーバードースしたせいで、記憶障害が起こってるんじゃないかって、そう思ってる」
「……」
「面白い話だった?」
ラスは思いの外唖然としていた。つい挑発にのって強気に出てしまったがやりすぎただろうか。かなり近づいたせいでフードの陰に隠れていたラスの顔がよく見えた。思ったよりも若い男だ。ディエゴと同じ小麦の肌に暗い癖毛の髪。目元まで伸びでいる前髪の隙間から覗くアッシュグレーの瞳が印象的だった。
ついラスの顔をじっくり観察してしまう。すると、静かにラスがブレンダの腕を掴んだ。ガーゼを傷口に戻し、慣れた手つきで包帯を巻き直し始める。急に包帯を巻き直すラスに少し拍子抜けをしたが、1人で巻き直すことも出来ないためブレンダは大人しくされるがままとなった。
「本当に記憶がないのか」
「えぇ。自分に関する事は全て思い出せないわ。私の家族も育った環境も、年齢もわからない」
「……自分の事、全て……」
少し険しい表情のラスがうわ言のようにつぶやく。記憶喪失にも驚いているみたいだが、それよりもブレンダの腕の生々しい傷跡に動揺している様に見えた。痛くならないように優しく包帯を巻き終えたラスは、ブレンダの袖を元に戻し、裾のボタンまで留めてくれる。さっきまでの挑発的な男はどこへやら、急に紳士的だ。唐突なことにブレンダもディエゴもキョトンとしていれば、また黙り始めたラスがようやく口を開いた。
「理由は確かに面白かった。お前の傷をみて嘘の話じゃないと、思った。約束通りおとぎ話の魔獣の話をしたいところだが、それより先に解毒剤の話をしたい。解毒方法を俺は知っている」
「「……えぇ!?」」
まさかの大きな収穫にブレンダもディエゴも大声を出した。前のめりになる彼女達に落ち着けといなすラスは少し気まずそうだ。ディエゴがラスの話しが聞きやすいように席を立ち始めるのをみて、カウンターでは話しづらいと、店の奥の4人席に移動することにした。すぐに席に着こうとすれば、ラスはディエゴが持っていたブレンダの服を掴み彼女の肩にかけると、2人分の席の椅子を引いてくれる。外見が不気味な割にはスマートな行動に少し動揺する。
「あ、ありがとう」
「室内でも気温は低い。ちゃんと服を着ろ」
上着を着直し静かに座ればラスも向かいに座る。大きなため息をつくラスは、初めて深めのフードを外した。無造作な暗色の癖毛は光の元だと夜空のようなナイトブルーだとわかった。日焼けした小麦色の肌と合間ってアッシュグレーの瞳とのコントラストが綺麗だ。意外と男前な顔立ちをしている彼は、何故か難しそうな表情をしていた。そんなラスをブレンダはじっと見つめる。
「さて、何から話せばいいか」
「私はブレンダよ。荷物に名前があったの。この子は記憶を無くして遭難しかけてた時に私を助けてくれた子で、ディエゴ」
「……遭難してたのか、俺はラスだ。首都に拠点をおいてる狩猟団体に所属している。今日は……たまたまこの町に用事があって来た」
遭難と聞いてラスは眉間に皺をよせている。続けてヒューニックの解毒剤について話してくれた。彼がまだ幼い頃の話だが、狩猟仲間がヒューニックの毒を大量に服毒して泡を吹いて倒れ、運び込まれたことがあったらしい。ブレンダの服毒方法とは違い、痴情の縺れで当時付き合っていた薬剤師の女が発狂し、薬を大量に盛られたらしい。
「……女の人って怖い」
ディエゴが呟き隣で小さく身震いしていた。その狩人は意外とすぐに目を覚ましたが、目覚めた時には自分のことをすっかり忘れてしまっていた。様々な方法で検査をしたが解決方法はなく、彼は20年以上記憶喪失のままだったとラスがいう。
「20年以上……なにか、きっかけで思い出したりとかはなかったの?」
「無かった。身体は健康だったからそのまま狩人として働いてはいたが」
ラスの言葉にブレンダは顔を青くし少し怖くなった。その様子を横目にラスは話を続ける。記憶を無くした狩人は楽観的な性格で、皆も本人も記憶を取り戻すのは半ば諦めて過ごしていたが、ラスの所属している狩猟団体の医師が趣味でヒューニックについて研究していたようだった。
「狩人も結構頑丈な奴だったし、記憶が戻るならと医師の試薬が完成するたびに飲んでたんだ。結構危険だし、何回か死にかけてた」
「……被験者にされてたのね」
「だかある日、また試薬ができたと言うもんだからそれを飲んだ。そいつは次の日に自分の故郷を思い出していた。今まで一度も思い出しもしなかったのにだ。それから何度もその薬を飲んで、少しずつ記憶が戻るようになった」
「本当?なら、その薬を飲めば記憶が戻る?」
ようやく出た解毒剤の話に、ブレンダは静かにラスに聞く。20年かけて出来た薬をこんな偶然見つけることがあるのかと、ブレンダは自分の運の強さにソワソワした。
「おそらくな。ただ、全部じゃない。思い出せたのは印象的な思い出だけた。20年以上も放置していた状態から思い出せただけでも奇跡だ。本人も満足そうにしてた。だから、解毒剤といっても完治するものじゃない」
「……でも思い出せることはあるんでしょう?」
ブレンダはまだ険しい顔のラスをまっすぐ見つめる。完全に思い出さなくとも少しでも記憶が戻れば、このどうしようもない状態から抜け出せる。その医師に会えば薬が手に入るかもしれない。今の話を聞く限り医師は首都にいることになる。そうなるとやはり首都に向かうべきなのかとブレンダは考えた。
「話してくれてありがとう。その医師に会いたいわ。どこにいるか場所を教えてくれる?」
進展した状況にブレンダは嬉しそうにラスに微笑んだが、ラスはまた急に黙り込んでしまった。目線を下げ考え込む彼にブレンダは首をかしげた。そして、何か決意した表情になったラスは、顔を上げブレンダを見る。
「提案がある」
「提案?」
「俺を雇え」
突然の提案にブレンダは困惑した。今までの話の流れで、何故彼を雇う事に繋がるのか全くわからない。隣に座るディエゴも不思議そうにラスを見ている。
ようやくブレンダと歳が近そうな男が登場しました。
恋愛小説とは一体…




