二、異世界サバイバー
落ち着け。整理するんだ。
俺はさっき、狼を食った。
体に起こった変化の原因は、ほぼ間違いなくそれだろう。
だが、何故俺だけが?
白猫には変化が見られない。
考えられる理由は、狼の呪いか何かに対する耐性が俺にはなかった?
人間が魔獣を食うとこういう反動がある場合。
あとは、この変化が俺の能力によるものだという可能性。
何かしらの条件、今の所考えられるのは食ったことくらいか。
つまり、食べた魔獣の力を使えるようになる能力ーーーってとこか。
前者なら最悪、後者なら最高だ。
今の所、変化が見られるのは、聴力、嗅覚、脚力だ。
さっき走ってる時、イヤに体が軽いと思ったのはこのためだろう。
何より、聴力の向上のお陰で小川を見つけられたのはほぼ間違いない。
やはり問題は、呪いの類か、俺の能力かということだ。
これは確かめてみりゃ分かることだ。
俺の能力で体が変化したなら、解除することも可能だろう。
つまり、呪いなら治らなくて、能力なら元に戻る。
一番分かりやすいのは脚だな。
さっきは少しでも早く水場に辿り着こうと走ったから変化したと思えなくも無い。
ならーーー。
「もう脚は要らない。元に戻るんだーーー」
元の状態をイメージするんだーーー。
戻れ戻れ戻れ戻れ・・・・・。
「戻れ!!」
・・・・・・・・おおぉぉ。
「ミャー!」
「ーーーーー戻った!やった、戻ったぞ!!」
つまり、これは俺の能力ってことだ。
それなら、手を狼の鋭い爪にすることもーーー。
「出来る・・!」
歯を狼の鋭い牙にもーーー。
「ガルルウゥゥ・・・、出来る!」
当然、全て元に戻すこともーーーー。
「出来る!!すげぇ!!すげぇ力だ!
見てたか!?やったぞ!」
「ミャー!ミャー!」
「だろ?すげぇだろ!?これもお前が狼を倒してくれたお陰だよ!ありがとな!」
「ミャー!」
よし、これならやれる。
異世界?魔獣?
知らんがな。
これから俺はこの力を使って、この世界を強く生き抜いてやる。
俺は今日から、異世界サバイバーだ。
********
「ミャー?」
「そう、ミアだ。今日からお前の名前はミア。
ずっと一緒にいるなら名前くらい呼びたいだろ?
因みに俺の名前は蒼井奏多。カナタでいいぞーーーつっても呼べやしねぇか」
「ミャー、ミャー!」
「はははっ、そうか、嬉しいか!
宜しくな!今日からミアは俺の相棒だ」
「ミャー!」
子猫特有の高い鳴き声から、ミアと名付けられた二本の尾を持つ白い子猫。
ミアがカナタに着いて回る理由は分からないが、少なくともカナタにとって、ミアの存在は既に無くてはならぬ者となっていた。
毛並みは気持ち良く、何より強い。
動きは素早く、二本の尾から放たれる電撃の強力さと言えば、まさに雷そのもの。
現時点でミアの電撃を受けて立っていられた生物は皆無。
狼の例から考えても、ミアの電撃で魔獣を倒せば、加熱され自然と食べられる状態に仕上がることから、手っ取り早く獣の力を手に入れる事が出来る。
まだ詳細の分からぬ力を試すには、ミアの電撃はこれ以上無いほど有り難い力であった。
「まず身に付けた狼の力を使えるのは一度きりなのか、何度も使えるのか。
今の所は何度でも再現可能って結果だが、この先どうなるか・・・。
それと、一度に複数の獣の力を宿すことが出来るのか?
それをこれから試すとしてだ。
もしそれが出来たとして、それらを同時に発動可能なのか?
これが可能だとすりゃ、俺は最強の体を手に入れる事が可能になるわけだ。例えば、竜の鱗と不死鳥の炎の体を同時に発現させられりゃ、最強の防御力を備えた存在になれるだろうしな。
と言うわけでだ。さっきミアが倒した鱗ダチョウも食っとくか。なんかキモい見ただったが、鱗は丈夫そうだったし、無いよりはいいだろ。
羽のある豚はあの感じだと、“飛べない豚”だろうからな。
つまり、ただの豚だ。食料としては優秀なんだろうが、生憎今はお腹いっぱいなんだ」
ぶつぶつと独り言を喋りながら、嗅覚を使ってミアの仕留めた獲物の場所を探るカナタ。
やはり狼の嗅覚は凄まじいようで、さっきまで迷っていた森とは思え無いほど、あっけなく目当ての獲物を探しあてていた。
「にしても・・・、何だか疲れてきたな。
まだ腹は減ってねぇし、それ程、動き回ったとも思えないが・・・・。
慣れない力を使ったせいで疲れてんのか?
此処が異世界で、魔法が存在するとすれば、俺が使ってる能力にも魔力的なのが関わってるとか・・・。
考えなしに能力を使いまくるのは危険かも知れないか・・・・。
まあいいか、とりあえず今はこの鱗ダチョウがさきだ」
何せ、この森には危険な魔物が多く住んでいる。
いつ命を落としてもおかしくはないのだから、一刻も早く力を身につけておく必要がある。
カナタは早速、雷により焼け焦げ、炭になり脆くなった部分の鱗を石で砕き割ると、現れた焦げ付いた皮を石のナイフで切り裂き、焦げても無く、生でもない、丁度いい焼き具合になっている部分の肉を切り取り口いっぱいに頬張る。
カナタが鱗ダチョウと呼んでいる獣の肉は、全く癖が無く、少しシャキシャキとした食感。
焼肉屋で根強い人気を持つ部位、ミノに近いだろうか。
カナタは予想を上回るその肉の味に驚き、先ほど狼を食べたことなど忘れたかのように、獣の肉を次々飲み込んでいく。
「美味えぇ」
「ミャー!」
「そっか、ミアも好きか!あははは」
「ミャー!」
「ふぅ・・・・。ご馳走様でした。
このダチョウはまた食いたいな。ただ、俺の感覚ではこの世界に冷蔵庫や冷凍庫があるとは思えないし、腹が減った時にまた出会えればラッキーくらいに思っとかないとな。
っと、それよりだ」
カナタは自らの腕を見ると、今食べたばかりの獣の鱗を想像する。
するとどうだろう、本人も拍子抜けするほど、呆気なく腕に鱗が生え揃ったでは無いか。
青光りする、一枚一枚が少し大き目の鱗。
こうして自らの腕に再現してみると、鱗の分厚さは其れなりの物ではあるが、思ったよりも鱗の密集度が低く、防御力はそれ程高くは無さそうだ。
例えば、あの巨大狼の牙に噛まれれば一撃で風穴が開くだろう。
だがしかし、無いよりは随分良い。
そして、先ほど手に入れた狼の力を今も使えることを確認したカナタは、ホッと肩をなで下ろした。
ダチョウの鱗が生えた腕と、狼の爪を備えた指先。
この二つの力を同時に発現させることが出来るのを発見したのが、今回最も大きな収穫と言えるだろう。
生憎、狼だけの力を使うより、一度に変化させられる面積は減るようではあるが、これは十分に強力な力だと言えるだろう。
「だけどなあ。
狼だけの力を使うときも、全身が狼になれるわけじゃねぇみたいだし、この程度で魔獣と戦うのはちょっとキツくないか?
狼に変えた部分は強くなるが、それ以外の部位はモロに俺だし。
あの脚力と爪を使えば、羽豚くらいは仕留められるか?
そう考えりゃ凄い収穫だ。
もしかすると、キモくて毒があるかも分からん虫を食うしかなかったかもしれん俺が、豚肉に有り付けるようになったんだからな。
うむ、何事も前向きにだ!
練習すりゃ、もっと早く、広範囲を変化させられるようになるかもしれないしな!
それに物の形を変える方の力も使い方次第では凄い能力になりそうだし、何だかんだやってけるんじゃね?」
この時のカナタはまだ気付いていなかった。
この森がどれ程危険な森なのかをーーーー、そして、白猫に大きな変化が起き始めていることを。
「よっしゃ、行くか!ミア」
「ミャー!」
*********
困った事になった。
もしかすると、この森を抜け出すのは無理なのかも知れない。
狼の嗅覚を使おうが、臭うのは獣の匂いや花や果物の匂いくらいのもので、人里を示すようなものは一切感じられない。
そして、やはり俺は迷っているようだ。
この森が特別なのか、俺が方向音痴なのかは定かじゃないが、同じ場所をグルグル回っている気がする。
狼の力と人の脳みそがあれば、食料や水を見つけることは難しくないのがせめてもの救いだが、それに関しても暗雲が立ち込めそうな雰囲気だ。
どうやら、食った魔獣の力を身体に宿しておくのには制限時間のようなものが存在する。
さっきも考えてたように、俺の魔力的なものが少ないのか、能力の限界なのか、その両方か。
ハッキリとは分かんないけど、狼の嗅覚を備えたままで行動し続けることは無理っぽい。
つまり、長距離の移動はちと難しいようだ。
「ふぅ・・・、ちょっと疲れたな。
ミア、少し休憩しよう」
「ミャー?」
「はは・・・、お前はまだ元気そうだな。だけど、俺はもうクタクタだよ。
んんとーーーー、あの岩の窪みにするか」
危険な魔獣の闊歩する森じゃ、ゆっくり休む事も出来ない。
この能力が備わってたのは不幸中の幸いだったな。
何せ、触れて想像するだけで物の形を変えられるんだ。
なら、あの岩をシェルターにする事だってできるはず。
こうして、岩の窪みをさらに深くすることもーーーー。
「よし、来いよミア」
「ミャー」
そして、入り口を塞ぐことも。
外の状況確認用の穴と、空気孔だけは確保しとかないーーーーーー
《ドサッーーー》
「ミャー?・・・・・・ミャー!ミャー!」
カナタは力を使い果たしたようにその場に倒れ込み、意識を失ったーーー。
**********
何か、擽ったいような、湿ったような感覚を覚え目覚めるカナタ。
目を開けると、自分の顔を舐め回す子猫の姿があった。
目を覚ましたカナタを見て安堵するように高い鳴き声をあげ、少しだけ激しさを増してカナタの顔を舐める子猫のミア。
「あはははは、擽ったいよ。というかーーー、どのくらい寝てたんだ俺は?
確か意識を失う前、太陽が真上に見えてた。
まだ外は明るいみたいだし、多分経ってても数時間てとこか。
太陽の動き方が俺の認識と同じであればって前提あってこそだが。
・・・・・・・・ん?」
岩に設けていた小さな穴から差し込む光を見てブツブツ喋っていたカナタは、身体を擦り付けてくるミアに、ある違和感を覚えた。
「ミア、少し大きくなってねぇか?」
「ミャー?」
「気のせい・・・か?
まっ、いっか。それより、体の疲れも少しは取れたみたいだよ。
待たせて悪かったな」
「ミャー」
「このシェルターを作ってたときにハッキリと感じたが、やっぱ能力の使い過ぎは危険だな。
岩の形を変えてるとき、凄え勢いで体から力が抜けてくのを感じた・・・。
便利な力だけに、こういう大きな物を作り変えるのは消耗が激しいんだろうな。
ーーーそうと決まれば、力を使うのはピンチの時だけにしよう。
狼の力を使っても森を抜けらんねぇ以上、力は温存しとくべきだ。
よしっ、そんじゃ、ジッとしてても始まんねえし、そろそろ行くか!」
「ミャー!」
少し体の重さを感じつつも、いつまでも薄暗く狭い岩の中に居るわけにもいかず、カナタは岩に最小限必要な大きさの穴を開けると、外へ這い出ようと、這い蹲るような姿勢をとった。
その時だったーーー。
「シャァァァァアア!!!」
穴から先に飛び出していたミアが、毛を逆立て、何かを威嚇するように、突然鳴いたのだ。
二本ある尾は、逆立った毛並みと同じ方向へ向けられ、見るからに力が篭められ硬くなっている。
カナタは急いで岩の穴を大きくして表に出ると、ミアの視線の先に居る獣をみて戦慄したーーー。
「なっ!?ーーーーゴリラ!?」
カナタを一飲みにしそうなほど大きな顎と長い牙、逆立つ黒い体毛に覆われた巨躯は完全に二本足で自立しており、身長は三メートルを優に超えている。
四本ある腕にはこれでもかと言わんばかりに筋肉を携え、その内の一つ、右の上側に位置する腕には、カナタを襲ったのと同じ種だと思われる、二本角の狼の上半身が握られていた。
見るからに下半身を食い千切られたであろう狼の傷口はズタズタになり、傷口からは血が滴り落ちている。
まるで、食料を探し歩いている途中に偶然見つけた果物でも食べていたかのような気軽さで、残った狼を一口で頬張った巨大な獣は、ボリボリと音を立てて狼を噛み締めながら、三つある目の一つをミア、もう二つをカナタに向け、体勢を低くし、地面を踏み切ったーーー。
「いっーーーーー!?くそっ、やっぱ俺かよ!!」
最速で真っ直ぐ獲物へ向かうと言うよりは、斜め上方へジャンプするようにカナタへ向かって飛ぶ獣。
カナタを襲った狼がそうであったように、やはりどう見ても肉が多く、動きの鈍そうなカナタから狙うのは当然といえば当然である。
温存すると決めていた力をフルに使い、狼の脚力を脚に宿したカナタは、獣から距離を取るように後方へと飛んだ。
しかしーーーー。目の前の巨大な獣が今も口の中で頬張るのは、まさに今カナタがその力を宿した狼。
つまり、この獣は狼を捕まえるだけの速度を有しているということ。
巨大な獣は、ついさっきまでカナタの居た場所に着地すると、獲物が見せた予想外の速度に驚き、そして次は逃すまいと、着地の際に曲げた脚と、下側二本の腕を使い、カナタへ向け真っ直ぐに飛ぼうとするような体勢を見せたーーー。
だが着地の瞬間を狙っていたミアが、全力の雷撃を放つ。
「シャァアアア!!!」
二本の尾から放たれた雷撃は空気の爆ぜるような爆音を撒き散らし、巨大な獣へ襲いかかる。
完全に不意を突かれた形でミアの雷撃を受けることになった獣は、漫画であれば骸骨が透けて見えそうなほどの強烈な雷撃を全身に浴び、低くした体勢を立て直せず、その場に倒れ込む。
これまで出会った生物であれば、この一撃で終了だった。
だが、目の前の生物がこれで終わらぬ事は、それほどヤワな生物では無いことは、ミアにもカナタにも分かっていた。
巨大な獣は電撃により麻痺でもしているのか、ピクピクと身体を震わせつつも、四本の腕を使いゆっくりと体を起き上がらせる。
元々、黒い毛並みに覆われていることもあり見た目では分かりにくいが、身体から煙があがっていることから見ても、多少なりともダメージはあったのだろう。
ミアは追い討ちをかけるように、再び雷撃を放つ。
だが、さっきまでとは違い、今や獣の三つある目は全てがミアに向けられていた。
雷が放たれる直前、四本の腕と脚を使って地を蹴り、凄まじい速さで標的の元へ跳んだ獣は、右の下側に位置する拳で、ミアを殴り飛ばした。
ミアの小さな身体は容易に吹き飛ばされると、木の幹に強く叩きつけられ、地に落ちる。
「ミア!!!」
カナタは、ミアの元へ慌てて駆け寄ると、小さな身体を抱え上げ、迫り来る獣から隠れるように木の裏側へ回りこみ、太い木の幹に穴を開けて潜り込む。
まだ体の調子こそ万全とは言い難いが、木が腐りかけていたのか、そういう特性を持った木なのか・・・・、幹の中心が元々空洞になっていたことで、岩の時のように気絶することは免れることができた。
抱えられたミアは、強い衝撃を受けたせいか、身体を硬直させ息が詰まったような様子だ。
強く打ち付けたであろう頭部からは出血が見られ、口からも少量の出血が見られる。
もし脳や内臓に損傷でも受けていれば致命傷だろう。
だが、医者でもなければ魔法使いでもないカナタには、それを知る術も、知った所で治す術も無い。
それに外で自分達を探しているであろう獣が、このまま何処かへ行ってくれれば良いのだが、どうやらそう簡単な話でもないらしい。
攻撃を受けた上に獲物を見失い、怒り狂った獣は森を標的に所謂“”八つ当たり“を始めていたのだ。
いつ自分達の潜む木が標的にされるか分かったものではない。
カナタは出来る限り体勢を低くし、祈るような気持ちでミアを抱き抱えた。
(頼む、無事で居てくれ。ーーー頼む!!)
だがその心配を他所に、ミアは小さく呻きながら、必死にカナタから距離を取ろうと、手足をバタつかせる。
「(お、おい、どうしたんだ!?ジッとしーーー)!!」
ミアの身体を労わるがあまり、力を入れられないカナタの腕を蹴って拘束を逃れたミアは、空かさず二本ある尾の先端を自らの背中に押し当てると、何と、その格好のまま放電を始めたのだ。
傷付いた自らを更に痛めつけるような信じ難い行為に驚くと同時、カナタは異変を察知した。
空気の爆ぜるような、この独特な放電の音は、隠れようとする者が発して良いものでは無い。
森で暴れ回っていた巨大な獣は、木の内部より発せられる音を聞きつけると、すぐに駆け寄って四本の腕で太い幹の中程にしがみつき、そのまま引き千切ってみせたのだ。
カナタは咄嗟に、自らのいる空間の上部に薄い木の膜を張って竹のような構造にすることにより、辛うじて獣から隠れてみせるが、それもミアが放電を続ける以上、大した時間稼ぎにはならない。
数時間前に手に入れたダチョウのような獣の鱗を背中に発現させると、決意を固め、放電を続けるミアへ覆い被さり身体を丸めた。
その直後ーーー、木の幹を破壊した獣の強烈な拳が、アルマジロかの如く丸まった姿勢を取るカナタへ、容赦なく襲い掛かった。
カナタはミアを抱えたまま、凄まじい衝撃を背中に受けて宙を舞う。
視界がスローモーションになる中、飛び散った鱗の破片がヤケに目についた。
「(ああ、もしかしてこれ死んだか?鱗が飛び散ってるなら背中も抉れてーーーー、下手すりゃ下半身とか無かったりーーー、あ、それはあるみたいだな。
ミアはどうなってーーー、お、まだ無事みたいだ。俺に気を使って放電も弱めてくれてーーーーってかさ、何で放電すんの。こっちは必死に隠れてんのにーーーー)」
そんな思考が駆け巡る中、地面に叩きつけられるカナタ。
電撃によって痺れる身体に必死に力を入れ、抱えたミアを離すまいと身体を丸めて地面を転がり、別の木の幹に叩きつけられ漸く止まった。
その身体に受けた衝撃は、纏った鱗を通過して内部に浸透し、嘔吐と激しい呼吸困難を齎してはいるものの、幸いなことに背中が抉れるといったような重傷を負うことは免れたようだ。
不気味な笑みを浮かべ、巨大な獣はゆっくりと、カナタの腕から這い出て再び放電を続けるミアと、呼吸困難に苦しむカナタへ歩み寄る。
どうするーー?カナタは吸えぬ息に苦しみ踠き、涎を撒き散らしながらも、必死に考えていた。
「(もう一度あのデカゴリラの攻撃を食らったらヤベェ。
逃げないと、何か、何かないかーーー)」
その時、ふと、信じられない光景を二つ、カナタの視界が捉えた。
まず第一に、明らかに先程までよりミアが受けたダメージが軽減されている。
頭部の傷は無くなって出血は止まり、吐血するほど強く打ち付け硬直していたにも関わらず、今はもう確りと立ち、迫る巨大な獣を見据えているのだ。
そして、何より驚いたのが二つ目。
なんと、ミアの四肢が、カナタのよく知る狼のそれに変わっていたのだーーーーー。
どういう訳だ?
ミアの四肢は、どう見てもカナタがその身体に宿す力その物。
何故?ミアには、他人の力をコピーする力でもあるのだろうか?
それともーーーーー。
カナタの脳裏にある仮説が浮かんだ。
「(ダメだーーーっ、今はそれどころじゃねぇ!)」
カナタは思考を切り替え、目の前で起きている問題をどう解決すべきか必死に考える。
しかし、碌に呼吸も出来ず苦しむだけのカナタに出来ることなど、何もありはしない。
狼の力を宿し、少し身体の大きくなったミアは放電を止めると、姿勢を低くして地面を踏み切った。
巨大な獣へ向かって跳んだのでは無く、振り落とされるハンマーのような拳を回避するためだった。
ミアは巨大な獣の背後へ回り込むと、空かさず雷撃を放つ。
だがそれを容易に躱した獣は、脚と四本の腕を使って地面を蹴ると、超スピードにてミアの目前に現れ、上二つの手を握り合わせた状態で振り落とした。
ミアも負けじと軽やかな身のこなしでそれを後方へ跳んで躱してみせるが、巨大な獣は振り落とした腕と脚で踏み切ると、いとも簡単にミアに追い付き、空中で回避の出来ないミアを地面にはたき落した。
ミアを按じるも、体の動かぬカナタには状況を見守ることしか出来ない。
土埃が消えると、其処には地面に叩きつけられたミアが力無く倒れ込んでいた。
カナタは歯を食いしばり身体に力を込めるが、全身に激しい痛みが走り、やはり動くことは叶わない。
ミアをはたき落した凶悪な獣は着地すると、ミアの元に歩み寄り、小さな身体を鷲掴みにする。
カナタは、一飲みにされ、ボリボリと噛み砕かれた狼の上半身を思い出し、歯を食いしばる。
「がはーーーっ、
や・・・・べっ・・・・・ろっ!」
森の騒めきに掻き消されるほどか弱い声を振り絞った所で、何の役に立つのか・・・。
鷲掴みにされたミアは為す術なく、獣の口に運ばれて行く。
「(やめろ!!やめろぉおおお!!)」
そしてカナタが目を伏せた瞬間だったーーー。
森に、空気の爆ぜるような音が轟いた。
落雷でも起こったかのような、強烈な雷鳴が、凶悪な獣の手の中で巻き起こったのだ。
攻撃が避けられてしまうなら、触れた状態でーーー。
攻撃を受け、あえて動かず獣に直接触れるチャンスを待ったミアの一か八かの反撃であった。
「グギャアアアアア!!」
カナタが咄嗟に目を見開くと、痛みに悶絶する巨大な獣が身体を硬直させて棒のように伸びており、そのまま倒れ込む。
大きな手の中から這い出たミアは、もう一度強烈な雷撃を浴びせると、自分を拘束していた右の下側に位置する手に狼の牙を立てて肉を噛みちぎり、カナタの側へと退避した。
「・・・ミ・・・ア。
逃・・・げろっ」
息も儘ならぬ中、声を振り絞るカナタ。
ミアはカナタを傷付けぬようズボンの腰紐の入った部分の生地を咥えると、獣から距離を取るように、ズルズルとカナタを引き摺り、見覚えのある場所までやってきた。
そこはカナタの見つけた小川のほとり。
偶然か、覚えていたのか、ミアは小川の側にある、小さな洞穴の入り口付近でカナタを離すと、側に座り込んだ。
奥行きはそれほど無く、何かの生物によって作られたような、洞穴と言うより巣のような空間だ。
カナタは真っ直ぐなミアの眼を見て力を振り絞り、掌を岩壁に触れさせ、念じる。
もし此処であの獣に見つかれば逃げ場は無い。
何かの生物の巣だった場合、家主が戻ってくる可能性もある。
カナタは、洞穴をゆっくりと変形させると、僅かな光の入り口を残し閉ざしてしまった。
「(まだだーーーっ、まだ意識を失う訳にはいかない!)」
意識が遠のいて行くのを感じつつ、必死に腕をミアへ伸ばすカナタ。
どうしても確かめなければならぬことがあった。
ミアに発現した狼の身体の一部。
木の幹の中に隠れている時、カナタは考えていた。何か状況を打破する方法はないかとーーー。
もしかすると、あれをやったのは自分なのではないか?
カナタはそれを確かめるため、そしてある仮説を実証するためにミアの身体に触れてイメージした。
岩を変形させるのと同じように、ミアの身体から狼の部分を取り除き、元通りにするようなイメージ。
つまり、ミアの身体を変形させるイメージ。
そして、想像は現実となる。
「(戻った・・!やっぱりそうか・・・。ミアを変えたのは俺だ。
そして・・・、どうやら俺は二つ能力を持ってる訳じゃ・・・・ない。
物の形を変える能力と身体を作り変える能力は、同じちか・・・・・・・)」
元の白猫の姿に戻ったミアをボンヤリと眺めながら、カナタの意識は遠のいて行ったーーーー。