第1章 1話 『探し物をする時は、まず自分の足跡を辿れ』
まず、視界に入ったのはボロボロの石壁であった。
所々が雨風にさらされたのか欠けており、貧相な印象を受ける。
所詮体育座りの姿勢のまま、眼前にあった壁に視線を向けた。
誰が、こんな汚い壁を放ったらかしていたのだろうか。新人メイドであったメリーか、それとも従者四年目の悪戯好きで有名なコニーか。
手入れがされる、されていない以前の問題だ。まず壁の撤去を勧めよう。大理石なら十六階の倉庫にあった筈だ。そして壁を磨かせて……。
「……いや、まてまて。ここは、どこだ?」
慌てて立ち上がり辺りを見渡すも、燃え盛る炎や、事切れた魔王様、崩れゆく魔王城は影も形も見えない。
あるのは、物が最低限しか置かれていない今にも崩れそうなこの部屋だけだ。
……人間共の仕業だろうか。いや、これ程の早業は人間には扱えない。魔術は人間より魔物の方が遥かに知っている。しかし、こんな巧妙な魔術は私でも知らないし、扱えない。
ならば身内の犯行だろうか。いや、それもない。確かに私より魔術を知る者は、側近クラスになればいない訳でもない。
だが側近は勇者に全て倒されてしまったのを、私はこの目で見ている。
─────ならば、誰が私をこのような場所に?
男は体育座りから立ち上がり、押入れらしき用具入れの扉を開く。中には少ないながらも、生活用具が置かれていた。
見すぼらしい洋服、マッチ、ランプ、掃除用具、ボロボロのタオル、筆記用具。
全て見終わると、男は首を傾げた。
「どれも年季が入り、ボロボロだな。タオルに至ってはこれはもう雑巾としても使えないぞ」
プラプラとタオルを人差し指も親指で摘みながら、眉をひそめる。タオルを宙に放り、他にもないものかと押入れを荒らすが他には何も入っていなかった。
「……特に情報源になるものはない、か」
押入れから視線を外し、今度は部屋全体を眺める。
しかし……なんというか。
「本当に貧乏くさく、狭い部屋だな」
この部屋は寝袋らしきものと押入れ、情け程度の机しかない。所々に軋む音が響き、誇りも酷い。まさに牢獄と言ったところだ。
唯一の利点は換気を目的とした、小さな小窓がある事だけ。
そこから見えるのは木々から覗く、太陽ぐらいのものだが。
普段の魔王城生活のせいでわからなかったが、今が『昼』であったらしい。常日頃太陽の当たらない城では昼も夜もなかったというのに。
「あぁ……、魔王様」
早くあの方の為にも、こんな辺鄙な部屋を出て行ってしまおう。一瞬弱気になった男は、自分の頬を叩き探索を再開した。
小さな机の上にはインクしか置いておらず、他には何も見当たらなかった。引き出しのようなものも付いておらず、思ったような成果は得られないように思えた。
「……奇妙だな」
しかし思いもよらない違和感に、男はまたしても首を傾げた。何かが引っかかる、そんな違和感に。
そして程なくして、男はその違和感の正体に気づいた。
「なるほどな。ならばアレがこの部屋の何処かにはあるな」
男はこれまで以上に部屋を大散策する。天井から床板に至るまで全て調べ上げ数分後、ようやくお目当てのものを見つけた。
「あった。……筆記用具と机はあるのに、なぜ紙らしきものが見つからないのか、おかしいと思ったんだ」
男は押入れの裏に板を貼り、間に隠されていた日記帳と拙い字で書かれたノートを取り出した。至る所が傷んでおり、年季も入っている。
表紙を開くと、先程の汚い字が又しても書いてあった。どうやらこの日記帳の持ち主は、幼子のようである。
『ぼくのひみつ。ベン・ザッカリー』
どうやら、ベン・ザッカリーという男子がこの本の持ち主であるようだ。
今にも破れそうなページをめくり、半分に目を通していく。
『
◯月✖︎日
このほんは、おかあさまに、かってもらいました。
とっても、とっても、うれしいです。
おかあさんのびょーきがなおるまで、ここにいえないこと、かきます。
もじをかく、れんしゅうにも、なりますしね。
◯月◻︎日
きょーは、りょーりちょーにおこられちゃいました。
おまえがたべものを、ぬすんだんだろう、って。
ほんとうにぬすんだのは"きぞく"のマルクスたち。
でも、しんじてくれなかった。
"ゆうはん"は、ぬきになりました。
◯月▽日
きょーは、がっこうのじゅぎょうでした。
おしろの"すみこみ"ではたらく、ぼくとはちがい、みんなキラキラしてました。
まぶしくなっちゃったみたいで、すこし"め"から"なみだ"がでました。
◻︎月✖︎日
きょーは、おかあさまにあげる"おはな"を、まほうをつかって、さかせようとしました。
でも、さくどころか、かれさせちゃいました。
ごめんなさい、"おはな"さん。
ごめんなさい、おかあさま。
』
「……」
無言のまま、男は日記帳を流し読みする。書いてある内容は、九割五分程暗い内容のものばかりだ。
友達は居らず、大人さえも味方してくれない。勉学は頑張るものの、教科書やなんやらを燃やされ思うように学べない。
さらには魔力の才能を見るテストでは、なんにも反応せず才能ナシ扱いである、と。
まさに、絵に描いたような不幸体質であったらしい。
最後のページにはいつもよりもガタガタになった字と、しわくちゃになったページにこう書いてあった。
『
●月◻︎日
おかあさん、死んじゃった。
字、うまくなったって、みせたかった。
少し、お城のしごと、できるようになったの。
もし、まほうがつかえたら、おかあさんを、なおせてあげられたのかな。
あたま悪くて、さいのうなくて、"おかね"かせげなくて、
やくにたてなくて、ごめんなさい、おかあさま。
』
文字が書かれている最後のページには涙のシミと共に、懺悔の言葉が綴られていた。
泣きながら、震えながら書いたのだろうか。そのページだけは、他のページとは違い始めて感情が見えた気がした。
男は日記帳を閉じ、窓の方へ視線を向けた。
そこには太陽の先端が顔を沈めていくのが、見て取れた。
─────もうじき、夜が来る。
本来あるものが、反転する時間。強者が弱者になり、弱者が強者になる時間だ。
闇夜の演目の主役は、バケモノ達のみ。
常人の瞳とは違う朱紅の瞳は、暗闇の中微かに光る。
木陰に休んでいた小鳥たちはこれから起きることを暗示したかのように、飛び去っていった。