01「リスタート」
輪廻転生。生まれ変わって、気付いた時には異界の地。
不思議で不気味な体験だったが、俺はその状況に恐悦至極の思いを抱いた事を今でも覚えている。
そして、心に決めたのだ。
前世よりもいい人生を歩もう。そして、必ず幸せを掴むのだと。
本当に、懐かしい記憶だ。かつての自分は、この世界に希望を、そして大きな大志を持っていたのだった。
でも、ならば、今この状況を昔の俺はどう思うだろうか⋯⋯。
いや、分かってる。何せ過去の自分だ。他の誰よりも良く理解している。
だから、過去の自分に謝ろう。
すまない。結局、俺は何処までも愚か者だったよ⋯⋯。
大地は血潮で穢された。生者は亡者に変わり果て、血肉を焦がす黒い炎は、まるで終焉を告げる狼煙の様だ。
もし、この惨状が泡沫の夢に消えてくれたなら、どれだけ良かった事だろう。
だが、これは現実だ。他ならない、俺自身が選んだ結末なのだから⋯⋯。
不意に、頬を涙が伝う。それを皮切りに、際限なく雫が溢れ出した。
この結末は、確かに俺が選んだ。
だが、こんな結末を誰が望んだのか。
嗚咽が漏れ、俺はそのまま血濡れの大地に崩れ落ちた。
誰も望んでいない。誰も望んでいなかった。
なら俺は何の為に戦い、何の為に殺したのか。
乾いた笑いが、辺りに響いた。
――嗚呼、もう疲れたよ⋯⋯。
―――――かつて世界の転生者―――――
深い微睡みの中で、俺は闇に佇む一つの光を見た。
それは小さな光だ。淡く、儚く、ふとした拍子に消えてしまいそうな微かな光。
だが、何故だろう。
俺にはそれが、強く輝いている様に思えて⋯⋯。
無意識の内に、俺はその光を求めていた。
ゆっくりと、手を伸ばす。そして、手と光が重なった。
するとどうだろう。光の輝きが、より強いものへと変質する。
まるで、此方の気持ちに呼応する様に⋯⋯。
先程の弱々しい輝きが嘘の様に、今は力強い輝きで世界を包み込んでいる。
温かい。そして、優しい光だ。
やがて、光に色彩が灯った。
「⋯⋯んぅ」
風に煽られて、草木がさざめく。自然の香りが、鼻腔をくすぐる。
寝惚け眼を指で擦ると、惚けた視界が鮮明に映った。そのまま辺りを見渡すと、瞳に映ったのは青々と地平線の彼方まで続く大草原で⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?」
慌てて、上半身を起こす。燦々と照り付ける太陽は憎いほど心地好く、澄んだ青空には綿菓子の様に柔らかそうな雲がモクモクと浮いている。
そしてやはり、俺の居る此処は大草原の何処かだった。
いや、待ってくれ。昨日の俺は間違いなく柔らかなベッドの上で横になった筈だ。なのに、どうして今日の俺は緑のカーペットの上で寝ているんだよ⋯⋯。
夢と現を彷徨っていた俺の頭は、直ぐにこの状況が夢であると判断を下した。
間違いない。俺は夢を見ているんだ。大きく深呼吸して、目を瞑って十まで数えよう。そうすれば万事解決。俺はフカフカのベッドで目を覚まし、いつも通りの日常を過ごせる筈だ。
「⋯⋯一⋯⋯二⋯⋯三⋯⋯四」
朝食は何にしようか。普段ならシリアルで軽く済ませるけど、偶には白いご飯も良いなぁ⋯⋯。
「⋯⋯五⋯⋯六⋯⋯七⋯⋯八」
朝食も大事だけど、時間は大丈夫だろうか。確か今日はいつものメンツと朝練する約束をしてた筈だ。遅刻はしたくない。
「⋯⋯九⋯⋯十。⋯⋯どうだ?」
重たい瞼を持ち上げると、一瞬だけ自室の空間を幻視した。しかし、実際に突き付けられた光景は変わらない現実。自然の溢れる牧歌的な大地が何処までも広がっていた。
「⋯⋯⋯⋯はぁ」
思わず溜息が漏れる。何をどうすればこんな状況になるんだ。普通に考えて有り得ない。
唯一の救いといえば、混乱し過ぎて却って冷静になれている事だろうか。
⋯⋯悲観するのは後だ。取り敢えずこれからの方針を立てよう。先ずは水と食料の確保だ。勿論、俺はサバイバル生活など送ったことが無いので、そこは根性でどうにかするしかない。
それに並行して人探しも行った方が良いだろう。今は是が非でも情報が欲しい状況だし、運が良ければ保護して貰えるかも知れない。もし此処が日本で無いなら言語が通じるか怪しいが、そこは身振り手振りで頑張るつもりだ。
そして最終目標は、自宅への帰還。きっと今頃は警察も動いている筈だ。絶望するにはまだ早い。
「フゥー、よし!!」
両手で頬を軽く叩き、気持ちを切り替える。心做しか気持ちが楽になった。
当面の方針は決定だ。早速、行動を始めよう。
▪️▫️▪️▫️▪️
あれから、どれ程の時間が経過したのか。太陽の動きを観察し、何となく東へと歩き出した所までは良かった。
しかし現実は非情である。幾ら歩みを進めようと、視界に広がるのは何処までも草原。肉体と精神の疲弊が激しいが、動けない程ではない。
けど、そろそろ休憩を挟んだ方が良いだろうな。
俺は地平線の先を見回し、何処か太陽光を凌げる遮蔽物が無いかと探したが、生憎とそんな物は存在しなかった。
「ホント、嫌になる⋯⋯」
不意に力が抜け落ちて、その場に大の字で倒れ込む。緑色のクッションに包まれて、本能のままに目を閉じた。そして間も無く、寝息が漏れる。
彼の表情は陰鬱に沈んでおり、安らかな表情とは言い難いものであった。
深く、深く、意識が暗闇へと落ちていく。
やがて彼が完全に寝入った時、豊潤の大地が微かに動いた。瞬間、幾つもの細長い影が天に向かって長く伸びる。
それは、地より這い出た深緑のツタ。
幾本ものツタがうねりを上げ、彼の身体を強く縛り付ける。
しかし、深い眠りに落ちた彼は気付かない。夢の中では現実の世界に鑑賞出来ないのだから。
程なくして、ツタが全身を包み込む。すると、再び大地が微かに動いた。まるで、心臓が脈打っているみたいだ。
身体が沈みこんで行く。脚から腰、腰から肩へ、彼の身体は大地の中へと少しずつ消えていった。
そうして全身が余す所なく呑み込まれた時、何処からか獣の様な、それでいておどろおどろしい雄叫びが辺りに轟いた。
続いて、大地が強く揺れる。地震により生じる連続的な揺れとはちがう。ジャンプして、着地した際に生じる様な瞬間的な揺れだ。
揺れは定期的に起こった。常に一定の間隔を開けて、大地そのものが動いているかの様に、凄まじく重厚な震動を響かせ続ける。
もし彼が未だ歩みを止めていなければ、この事象に対し、大地が生きている様だと形容した筈だ。
しかし、彼はもう気付かないだろう。彼自身の踏み締めていた大地が巨大な鯨の背中であり、その亀が世に言う魔物の類いであるという事実に⋯⋯。
澄み切っていた青空に、黒い影が指す。
偽りの大地に、雨が降り始めた。