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その 2

「その翌日だ。八方ふさがりだったルシュカ軍が、テレミア軍の主力をさけ、守りの弱い部分を縫うようにして突破していった。ルシュカ軍をみちびき、奇跡の脱出の先頭をつとめたのは、金髪の若い女だった。鞍上から発せられる、女のよく通る声がルシュカ軍をどれほど奮い立たせたか。人馬一体、一糸乱れぬ逃走を、さしものタイタム・スローンとてとどめることはできなったんだ」

 中年の顔は酒で赤らみ、てらてらと光っている。

「ドルミラスが、ルシュカ軍に突破口を教えたんだな」わたしはいった。

「おそらくね。ミロがおれに語ったのは、ここまでだ。あとは、おれとあんたがよく知ってる話でね。ドーキン地方での活躍が評価されたのか、ドルミラスは後の戦闘にくわわった。一時タイタムに追いつめられていたルシュカ軍は、これを契機に見事、巻き返しに成功だ。役者が出そろったってわけ。マノラス家の悪魔ドルミラス、タウスキー家の闘神タイタム・スローン。伝説のはじまりだよ」



 といって、たくさんある二人の手柄を並べてもしょうがねぇからな。

 ふたりに共通してるのは、村を焼かなかったってことだ。略奪、強姦を厳禁させた。ふたりとも農村の出だから、そういうこと、できなかったんじゃねぇかな。

 兵士たちの食料はふつう、現地調達なんだよ。それをやらせないっていうのは異例なんだ。かわりにふたりは、兵站の補給路を充実させた。それを強力な基盤にして戦争をすすめた。はやい話、軍人さんの守る道路ほど確かなものはなくてね。商人にとって一番しんどいのは輸送だ。安全な道があれば、それを使う。いい道があれば、商人があつまって、商品があつまる、金があつまる。簡単だろ。通行料を徴収するだけでも、ちょっとした戦費のできあがりだ。

 大きな声じゃいえないが、各国の王様が90年かけてできなかったことを、ふたりは二年くらいでやっちゃった。なんにせよ、ふたりは、百姓連中に人気があったね。

 いっぽう、大きな違いもあった。戦場に出た者は一目でそれを理解した。

 タイタム・スローンっていうのは、とにかく地形や気象、時期を見るのがうまくてね。見かけによらず、ずる賢いんだ。敵兵をおびきだしては叩き、追いつめては叩き、緻密な作戦を立てて、隊列を横に広げたがる。かれの恐さは、その巧みさだ。追いこみや引き際で間違ったことがない。タイタムの仕掛けた罠にかかったら、もうおしまいだ。もがけばもがくほど引きこまれる。決して抜けだせない。

 ドルミラスはちがう。彼女は陣形を縦に長くする。ドルミラスが指揮したのは最初、小さな部隊だったが、そのころからやり方は一緒だった。突撃、突破、突入だ。地形とか、見ねぇよ、彼女は。勢いだけ。速さ、そして大胆さ。奇襲は彼女の得意技だ。神出鬼没、疾風怒濤、彼女の部隊は暴れた、手をつけられなくなった竜みたいに、のたうった。嵐のように破壊しつくして、彼女の通ったあとには何も残らなかった。

 意外に思うかもしれねぇが、このふたりが直接対決したのは、たったの三度にすぎない。


 最初の衝突は、ナグロンの奪還っていわれる、アレだ。

 ドルミラスはまだ、傭兵小隊の隊長にすぎない。暴れることは知られていたが、まだ目覚ましい活躍はしてなかった。

 ナグロン砦はタウスキー領の街道を分断しかねない位置にあったから、なにかと標的にされがちだった。

 そこへ、タイタム・スローンの大隊がぶらぶらやってきた。ナグロンに近づくように見せて、タイタムはいきなり速度を上げてナグロンを素通りし、マノラス領に侵攻、ヤイルという小さい村を制圧しちまった。

 これであせらない指揮官はいないだろ。タイタムを相手に、あせったらおしまいだって知っててもな。ナグロンから兵が出て、タイタムに迫る。タイタムはせっかく奪ったヤイル村をあっさり手放し、東へ逃走だ。東には馬鹿デカい湖がある。

 ナグロン砦の指揮官は、好機を見てとった。あのタイタムを討ちとれる。湖まで追いつめれば、逃げ道はない。指揮官はナグロン砦に残していた兵士を投入し、二面攻撃をくわだてた。それがタイタムの狙いだって気づかずに。なにしろ、ナグロンの兵士を一兵のこらず外に出し、砦を空っぽにするのがタイタムの計画なんだから。

 兵士たちを十分に引きよせ、なんのことはない、あらかじめ準備させていた船に乗りこみ、湖を横断するつもりだった。対岸にわたって、あとは騎馬を駆り、無人のナグロン砦を急襲すればいい。時間との勝負だ。敵がタイタムの作戦に気づき、引き返すまえにナグロンを襲う必要がある。

 ところがだ。いざ船出して驚いた。迎え撃つ船団があらわれたんだ。ドルミラスの傭兵小隊だった。彼女はタイタムの動きを読んでいた。彼女はまるで、タイタムの考えがわかるみたいだった。

 ドルミラスは、なにもタイタムの船団を叩き潰す必要はなかった。時間を稼げればいい。ちょっとの足止めで、タイタムの作戦は失敗する。だから、そういう戦い方をした。小回りの効く船でもって火矢をかざし、右翼を叩いたかと思えば左翼へまわり、前にいるかと思えば後ろをつつく。

 とはいえそこはタイタム・スローン。簡単に翻弄されない。陣形を三角にして悠然と対岸に上陸する。陸にあがったら、大隊と傭兵小隊だ。話にならない。ドルミラスは湖にとどまったまま、タイタムを見た。この勝負、笑ったのはドルミラスだ。なにしろ彼女は、十分にタイタムを足止めしたんだから。

 騎乗したタイタム・スローンは、湖面の女皇をふりかえった。彼女は船の舳先に片足をかけ、傲然と腰に手をあてている。ふたりのあいだに、距離はいくばくもなかった。ふと、ドルミラスの手が動く——。

 腰にまとっていた布が、はらりと落ちた。自分で落としたんだ。

 いかめしい兜、武骨な肩当て、胸をしめあげる鎖かたびら。金属的な上半身と対比して、無防備な下半身の裸があらわになった。いや、硬い革の長靴がふくらはぎを覆っていたが、それはむしろ、腰から下の肝心な肌を、薄桃色に強調している。

 ドルミラスが指で合図すると、彼女のうしろに控えていたひとりの男が馳せきて、兜をとった。15、6の少年だ。ひざまづいてドルミラスの長靴を脱がせ、少年は彼女の足に口をつけた。つま先から口づけしだした。歓喜のあまり涙ぐみそうな、少年の顔だった。

 みな、呆然とその光景をながめている。少年の手がじょじょに上へと這い、かれの唇はついに太ももの付け根へと達した。ドルミラスが陶然と眼を閉じる。淫らさが火焔のように燃えあがり、湖面をすべってタイタムの軍勢まで届いた。侮辱されている。タイタムを囲む男たちの頭上には、怒りの黒煙がむらむらとたちこめた。

 タイタム・スローンだけが、冷灰れいかいのような眼をしている。

 かれは無言で手綱をひき、馬を走らせた。

 いき先は、ナグロン砦だ。



「けっきょく、タイタムは砦を落とした。最初の作戦通りにはいかなかったがね。なにしろ、敵兵はあわててナグロンに戻る最中だ。そこをタイタムは襲ったんだが、かれらしくない、無鉄砲なやりかただった。それは、タイタムの側に、例にない戦死者が出たことでもわかる。普段のタイタムなら、無理はせずにナグロンをあきらめて、陣地に引き返しただろう」

「ドルミラスは?」

「出世したよ。ルシュカ青年王は彼女のはたらきを奇貨として、大隊の指揮官に命じた。世にもめずらしい女将軍の誕生だ。それより……」



 ドルミラスとタイタム、二回目の邂逅さ。

 仕掛けたのはドルミラスだった。もっとも、この女はいつも仕掛けてた。まるで、誰かさんをおびき出そうとしてるみたいに。

 持ち前の機動力で国境付近に出没し、さんざん挑発してテレミア軍を誘いだす。また面白いようにテレミアの軍勢が誘いに乗るんだよ。ドルミラスはそういう間抜けをしばき倒して、それ以上のことはせず、帰っていく。テレミア勢は消耗するばかりだ。そこまで馬鹿にされれば、タイタム・スローンが鬼のような顔で大軍を率いて迎え撃ちそうなもんだがな。

 タイタムは動かなかった。

 いくら叩かれても、沈黙したままだった。

 すると不思議なもんで、ドルミラスのほうがアセりはじめた。自分が思ってるほど、相手には効いてないのかもしれない、なんて考えだした。ドルミラスは少しずつ、冒険をはじめた。危険を感じるギリギリまでタウスキー領を侵してみた。もう少し奥へ、もう少し、って補給線の限界まで進軍したんだが、じつはこのとき、タイタムの罠にかかっていた。

 タイタム・スローンが冷酷に算盤はじいてほくそ笑んでいたか——というと、そうでもない。この時期のタイタムの憔悴ぶりは、たくさんの人間に記憶されている。眼窩をまっ黒におちくぼませ、顔じゅうを掻きむしり、粘液じみた汗をしたたらせる、かれの姿を。皮膚は、血を吸って太ったヒルのような色をしていた。精神にできた醜い腫瘍が血管をふさぎ、腐った膿がはじけ飛びそうな雰囲気だった。

 タイタムは夜も寝ずに作戦を練ってたんだ。

 全神経を傾注して、地図上に必勝の布陣を敷いていた。その気魄で、誰ひとりかれに話しかけられないほどだった。

 タイタムは、たったひとつの目的にとり憑かれていた。ドルミラスを殺す——これはおれの想像にすぎない、しかしタイタムを苦しめる原因が、ほかに考えられるかい?

 悩ましい不眠の業病に、かれが心身をむしばまれていたとしたら、それはきっとドルミラスの幻影がタイタムの脳髄に染みこんで、淫猥な舞いを舞っていたからに違いない。かつてかれの物だった女だ。はじけるような笑い声、ほがらかな瞳、牧歌的な田園で花をつんでいた彼女が、あの女が。たちまち衣服をはぎとられ、白くあぶらづいた裸身を毛むくじゃらの手が、意地汚く、乱暴に犯していく。彼女はあらがうどころか、嬌声をあげて背中をそらし、快感で身をうち震わせる。その眼、タイタムに笑いかける女の眼。あの日、船のうえで、自分のまえで、少年に陰部を吸わせた嘲弄の眼。

 その眼がどれほどタイタムを苦しめ、狂わせたか。かれははじめて、おのが身にあった熾烈な炎を知った。地獄の劫火だった。おぉまさに。おまえを地獄へ突き落とす、というドルミラスの宣言どおり、タイタムがのたうっていた憤怒と呪いは、緑色の焔を燃えさからせる地獄にほかならなかったんだ。

 タイタムは、部下を信用できなくなった。タイタム隊のおおくはドーキンでドルミラスを抱いてる、金貨を使ってドルミラスを玩具のようにあつかったに決まってる。醜い嫉妬だ。物事に粘着しがちなタイタムの情熱が、激しく内向して魂をこがしてる。

 おれはどうかしてしまった——タイタムは毒を喰らったケダモノのように、闇淵でもがいた。解決策はひとつ。ドルミラスを殺す!

 殺さねばならぬ!

 そういう男が、怨念をこめ、日夜、骨身をおしまず作りだした罠だった。その天才性をおしみなく注ぎこんだ完璧な計画なんだ。気、世をおおうがごときタイタムの陣地に深入りしたドルミラスは、小鳩のように無力だったことだろう。



 だがね、聞いてくれ。人間の愚かしさ、摩訶不思議なところだ。

 ドルミラスはきた。タイタムの作戦をくわしく話してあんたを退屈させたくはないが、要するにタイタムは待ち伏せしてたんだ。灯火のもとで、脂汗をかきながら、タイタムはああでもない、こうでもないとドルミラスの進路を推理した。部隊をタウスキー領のあちこちに配置して、彼女をそれとなく誘導するような労さえいとわなかった。

 ドルミラスは斥候を放って、ゆく先々の安全を確認しながら進んだ。

 しかしその斥候をやりすごすため、物音ひとつ、煙りひとつ立てず、何日も何日も草葉に隠れ続けていたタイタムの部下こそ誉められるべきだろう。無人の境をゆくかと見えるドルミラス大隊を、じつは無数の眼がじっとりと見送っていたわけだ。

 なんでもない丘陵地帯。丘と丘にはさまれた谷間に通り抜けようとしたとき、弓の弦が幾重奏にもなってわああぁんと大気を震撼させた。空が真っ黒だった。一拍おくれて、落馬する者がいた。空を覆っていたのは、すべて矢だった。悲鳴が悲鳴をかき消した。血潮が霧みたいになってドルミラス隊を底に沈めた。丘はまるで針の山だ。矢じりが累々たる屍を大地に縫いとめていた。そこへ不吉な地響きが近づく。前から後ろから、いや、左右の丘からもなだれをうって、泥を蹴散らしながら重装騎兵が迫り、ドルミラス大隊をぺしゃんこに押し潰した!

 一瞬のできごとに思われた。草原が血で染まり、土が糊のようにぬかるんで、小さな赤い流れをあちこちにつくっていた。思いもかけいないほど遠いところまで肉片が飛び散っていた。紫色の内臓をはみだした死体を飛びこえ、タイタム隊の騎馬は生き残ったドルミラス隊を追いかけた。その数は決して多くない。そのなかにひとり、勇戦、大剣をぶん回している影がある——ドルミラスだ。いかな彼女とて、この包囲はやぶれまい。どのような剣であっても、多勢に無勢、彼女の逃げ道はどこにもなかった。

 タイタム・スローンは丘の上にいた。大成功だった。これほど鮮やかな戦果が他にあるだろうか。かれの心血をそそいだ作戦が、まさに完成しようとしている。

 しかし神々しく金髪をふり乱すドルミラスが視界に飛びこんできたとき、タイタム・スローンはどうしたか。眼を見開き、髪をかきむしり、タイタムは女のような甲高い悲鳴をあげた。かれは馬の腹を蹴ると身も世もなく飛びだし、戦場へ駆けこんだ。

「射よ! ここだ!」そんな声が聞こえる。

 虫のごとく蝟集した兵士にかこまれて、馬上のドルミラスは剣を投げ捨て、兜をはぎとり、ボタンを飛ばして襟をひろげた。白い首があった。「ここだ、狙え!」

「やめろっ!」雷鳴のようにタイタムの声が轟いた。

 弓をひき絞った兵士がドルミラスの首に狙いをつけていたのを、タイタムは鞍のうえから蹴飛ばした。あやまって放たれた矢が狙いをそれ、ドルミラスのかたわらにいた味方兵士をつらぬく。

「やめろっ! 殺してはならぬ、傷つけてはならぬ!」

 タイタムの号令は戦場を割った。空白を生みだした。

「殺してはならぬ! 生け捕れ! 生け捕れっ!」

 タイタムは狂乱していた。だれも、タイタム・スローンのそんな甲走った声を聞いたことがなかった。駄々っ子のように隊長がわめけばわめくほど、部下たちはとまどった。命令系統がいっせいに昏迷した。生け捕れと叫びながら、彼女に触れてはならぬ! と、そんな矛盾したことまで、タイタムはいった。ドルミラスを殺す。この作戦の至上目的のはずだ。それが覆された、みなが神と慕う隊長によって。

 プツッ! なにかが切れた。緊張の糸みたいなものが。あるいは、ドルミラスを包囲する網がほつれた音でもあったろう。深閑、とさえいえたタイタム隊、寡黙な隊長の意をくんで黙々と動いていたはずの無敵大隊が、我をうしなったタイタムに呼応するように、たちまち浮き足だった。ドルミラスは電光石火だ。これを逃すもんか。

 棒立ちになった兵士たちのあいだを駆け抜ける、丘のほうへ。包囲の甘い箇所を見切り、タイタム隊に泥をひっかけながら。

 丘にのぼりつめた彼女は不吉な笑いを響かせた。

 暗くなってきた空に、鎌みたいな三日月が浮かんでたって、そういう話だ。



 無傷で陣地にもどったドルミラスを、ひとびとは悪魔と呼んだ。彼女に、超自然的な力を感じたんだろう。

 ふたりはもう一度、最後にもう一度、あいまみえなくちゃならなかった。

 ドルミラスは大隊をうしなった責任を問われた。タイタムだってドルミラスを逃した責任を取らなくちゃならない。三度目の邂逅は、これはもう決闘だ。

 今度しかけたのは、タイタム・スローンだ。小細工なし。マノラス領のほとりに堂々と陣を張った。ルシュカ軍はこの事態に難渋した。二個大隊ほどさしむければ、それなりの形になっただろうに、そうしなかった。なんでかは知らない。ま、怖かったんだろうな。

 タイタム・スローンはこのとき、いぶしたような鈍い瞳で前をにらみ、微動だにしなかった。腕組みで盛りあがる筋肉は青銅のようだった。タイタムは、陥った地獄を克服しているかに見えた。かれ自身、地獄そのもののようにも見えた。

 マノラスの側にいたら、その姿がどれほど巨大に見えたろう。厳しいばかりの威圧感だ。嫉妬の地獄を乗り越えたタイタムは、ひとまわり大きくなって、鳴動する火山のようにそびえていたんだ。

 二日ほどたち、ドルミラスが大隊を率いてやってきた。

 早朝の四時くらいだったらしい。双方、動かない。朝食を食べて、朝日がのぼった。

 それでも動かない。日射しがまぶしいんで、日の出直後っていうのは戦争に向いてねぇんだよ。それを、タイタムもドルミラスも、腹のうちにわかってる。午前九時くらいになって、ようやくタイタムの左翼にいた遊撃部隊が動いた——たぶん、ドルミラスの気を引くためだろう。遊撃部隊に注意を向けておいて、右翼の三小隊がぞわりと、ドルミラス隊を囲むように移動する。

 ドルミラスは、囲まれる危険を承知で相手を引きつけた。敵の迫る恐怖に耐えて耐えて、突如、石弓にはじかれたように、中央に突っこんだ。

 こうして戦争がはじまったんだ。

 この様子を俯瞰したら、さぞおもしろい見世物だったろうぜ。敵味方、乱れに乱れてる。五色七彩、ぐつぐつと混ざりあって、もうもうたる土ぼこりが煙ってる。凶暴無比なドルミラス大隊、それを囲もうと必死なタイタム・スローン大隊。まるで巨大なメス竜を捕らえようと、漁網で格闘しているみたいだったろう。水しぶきじゃなく、散ったのは血しぶきだ。包囲の網が破られては、つくろわれ、破られては、つくろわれる、うねうねと渦巻く戦場は一見混沌として、じつに秩序だってもいる。

 ドルミラスは鯨の腹を喰い破ろうとするシャチの群れであり、タイタムは暴れる鳥を締めつける大蛇に似ている。まったく、ドルミラスとタイタムの情念の闘いであったろう。二人の性格、欲望、怨念の衝突が、血と肉と、多くの命を贅沢に消費して、豪華絢爛に飾りたてられ、剣といななきと砂塵に演出され、壮観な絵巻になってわんわんと四方に鳴り響いていた。

 俯瞰していたら、これだけのことにとどまらず、この勝負が互角で、双方に悲惨な結果をもたらすことも感得したに違いない。

 二、三十人、屠ったところで、タイタムがそれに気づいた。これ以上やれば、死人が増えるだけだった。

「ベルマ!」

「ここだ!」

 ドルミラスが、意外なほど近くにいた。

 タイタム・スローンはそばにいた副官に、「撤退し、おれの帰還を待て」と告げた。

 そして槍を構えた。殺すつもりだ。タイタムは腹をくくったのさ。彼女を不幸にした、と思えばこそ、殺さねばならぬ。かれは悔いていた。ベルマを肉欲の地獄へ突き落としたのがタイタムなら、ドルミラスという殺戮の怪物にしてしまったのもタイタムだ。愛おしい女だ、しかし、もう、どうにもできない。

 大袈裟にいえば、タイタムもドルミラスも国家を背負っていた。

 この二人の動向で、戦争の行方が決まり、歴史が変るんだ。ぬきさしならないところまで来ちまった。突き進むしかない。やるか、やられるか。こいつに死んでもらわなければ、戦争は終わらない。そしてとどめを刺すなら、それはおれでなくてはならぬ。タイタムは思ったに違いない。

 ドルミラスも、やはり馬槍を腰にすえた。彼女は凶暴性をむきだしにして、余計な間を置かずに突進してきた。それが彼女だった。

 互いの馬が頭をさげて、槍と槍が交叉して火花が飛んだ。

 騎士たちが催す、馬上槍試合を見たことあるかい? ふたりの騎士が突進しあって、すれ違いながら相手を落馬させるだろ。たいてい、一回じゃ勝負がつかないが、この時はついた。落馬こそしなかったが、槍を落としたのはタイタムだった。

 ドルミラスは自分にあわせて馬槍を削り、軽量化していたんだな。そのせいか彼女の槍はバネみたいにしなって、タイタムの重い槍を弾き飛ばしたんだ。

 タイタム・スローンは冷静に馬首をめぐらし、ドルミラスから逃げ出した。彼女は追いかけてくる。だが、追いつけない。槍の重さが邪魔なんだ。

「逃げるな、タイタム!」

 ドルミラスはあっさりと、槍を手放した。

 ふたりの武器は剣だけとなった。

「どこへいく! どこへ逃げても追いかけるぞ!」

 この叫びは、ドルミラスとタイタムに、奇妙な感覚をよびさました。郷愁、とでもいうべき感覚だった。

 タイタムは手綱を引いた。戦場からだいぶ離れたところにきていた。平原の真ん中なんだ。風がそよいでいる。ふたりしかいなかった。

 タイタム・スローンが剣を抜きはなち、馬からおりた。

 ドルミラスもそれに従った。ともに剣を習ったふたりだ。互いの腕を知り抜いてるふたりだった。見つめあっている。息が荒いのはドルミラス。タイタムは、まるで呼吸してないみたいだ。風が吹いている。微風だったのが、きゅうに突風に変った。

 ツバメのようにドルミラスがきた。

 タイタムの剣が白く反射し、ドルミラスは岩に激突したみたいに後ろへ飛ばされ、尻もちをついた。なにがどうなったのかわからない、タイタムが速かったのは確かだ。かれは、ドルミラスの剣を地面に叩き落としていた。長い足で一歩、二歩、尻もちをついた女皇の心臓に、剣の先端をむけた。

 うかつにも、この時になってようやく、タイタムは気づいたんだ。

 女の背中から、棒状のものが突き出ている。ドルミラスの背中に、矢が一本、深々と刺さっていた。女の息が荒かった。上目でタイタムを見ていた。

「もう、終わりだ、ベルマ」

 女は答えない。

「戦争は、もうやめだ」

 タイタム・スローンが剣を投げ捨てると、そこに立っていたのは農家の五男、牛のように純朴なマーグだった。のろのろと片膝をつき、デカくて不器用そうな手で、ベルマを、おそらく生まれてはじめて恋人を抱き締めた。すぐさま男の背中に、女の腕がまわり、怪我人とは思えない力で男を抱きよせた。

「あなたを追ってきたの……」

 ベルマがいった。マーグの耳は、彼女の涙で濡れた。

 痛いが我慢しろ、と告げてからマーグはベルマの矢を引っこ抜き、慣れた手つきで応急処置した。そのあと、女を馬に乗せ、流血で気絶しても大丈夫なように、自分の身体に縛りつけた。

 戦場では血が泥のようになって、人間たちがのたうっている。マーグの馬はその情景に背をむけて、どこか遠くへ、とりあえず傷口を縫える場所をもとめて走りだしていた。ふたりの戦いは終わったんだ。

 ……それがふたりの物語さ。

 あのデカい夫婦は、森のなかの一軒家で幸せにやってる。

 おそらく、今もそうしてるはずだよ。



「きみはなかなか、話すのがうまい」わたしは褒めた。

「本当かい。長広舌にうんざりしたんだろう。まぁとにかくだ。マーグとベルマの国を巻きこんだ痴話喧嘩がこうして終わった。そうとも、仕事を理由にほったらかしにされたカミさんが、寂しさのあまり浮気して、大喧嘩の果てに夫婦和合するっていう、これは尺度のデカい痴話喧嘩だ。マーグとベルマ、成りもデカいがやることもデカかった。ハハハ、そこがおもしれぇところだよ」

「わたしは別の部分におもしろさを感じる」わたしは感じたことを述べた。「わたしは、嬉しいんだ。かれらは、人間であることを選んだ。国王たちの意志に翻弄されるコマにすぎなかったかれらが、最後のぎりぎりで、人間であることを選んだ。殺人の化け物としての名声や栄光でなく、ささやかで小さな人間の幸せを選択した。わたしは……」

 なんとなく言葉がつまった。

 男はうなずいている。

「わたしはそれが嬉しい。ひどい時代だ。最低な時代だ。しかしかれらのように生きられないわけじゃない。人として生きられる。それがわかって、とても嬉しいんだ」

 旅の細工師はにやにや笑って、鉄の杯を持ち上げた。

「マーグに」

「ああ、ベルマに」

 杯が触れあうと、涼しげな音になった。



 すでに夕刻になろうとしていたが、わたしは従者四人を連れ、あわてて宿屋をあとにした。のんきに細工師の話を聞いてはいたが、わたしは急ぎの旅の途中なのだった。

 もし、急ぎの旅でなかったら、寄り道してみたいところがある。

 細工師によると、マーグとベルマが暮らす森は、わりと近いところにあるらしい。二日無駄にする余裕があったら、ふたりの小屋をたずねて、いいたいことがあった。

「あなたたちは勝った」のだと。

 マノラスとタウスキーの戦争はもう終わる。わたしはマノラス家の特使として、和平会談に臨んだ。いまは、その帰りである。わたしは悲憤慷慨して現状を訴え、おおいに演技し交渉して、マノラスに有利な条件を引き出したつもりだった。あとはルシュカ王に、合意の調印をしてもらえば、この馬鹿げた戦争は終わる——バカげた、まさに——この戦争の勝者は誰だ。勝者はいない。敗者と、疲弊した敗戦国が横たわるばかりではないか。

 もし、勝った者がいたとしたら、それはマーグとベルマであったに違いない。

 わたしはそれを、当人に伝えたいという気まぐれに駆られたのである。

 二日半ほど馬をすすめると、ルシュカ青年王の起居するエルザー城が見えてくる。



 ルシュカ・マノラスは若い頃、今のような人気はなかった。剛勇を誇るマノラス家の王子のなかで、ルシュカは病的に暗い影のようなものを帯びていた。ルシュカが王になってからである。貴族も民衆も、青年王の怜悧さに気づき、気づいた時には手遅れだった。王は、自分の兄弟の王子とその家族を焼き殺し、反乱の素地をいっさい葬り去った。マノラス家がタウスキー家との戦争に没頭できたのは、ルシュカ青年王が内憂を適切に処理したからであった。

 残酷な王なのかといえば、そうではなく、ルシュカには慈悲深い一面もあり、ようするに長年つかえているわたしにすら、青年王の正体はつかめていない。青い瞳は氷のようにもなり、狂的な熱を放つこともある。容貌はすぐれて美しい。その魅力と権力があいまって、人をひきつけずにおかない魔性めいたものを、なまめかしい肢体から発散させていた。

 わたしが和平交渉の成果を報告すると、王は底の知れない薄笑いを浮かべた。

「ごくろうであった、トリメクス」

 静かにそういって、終わりである。

 大広間には、たくさんの貴族がいた。

 どこの宮廷もいっしょだが、貴族たちは国王とその生活のほとんどを共有し、王に対する忠誠をつねに示しておく必要がある。

 広間のひとびとはみな、ルシュカのつぎの言葉を待ち、息をひそめていた。

「和平を結ぶか、戦争をつづけるか」王はいった。「すこし考えてみよう」

 ため息が広間に満ちた。ルシュカはそれを楽しんでいるように見えた。

「陛下、もうひとつお知らせしたいことが。わが軍で猛威をふるった女将軍ドルミラスのことです——」

 わたしは、細工師から聞いた物語を、かれほど巧みではないにせよ、だいたい語った。

 貴族たちはわたしの話に聞き入った。ドルミラス失踪の真実があきらかになると、広間には寂として言葉もなかった。誰かが、

「して、貴殿はドルミラス将軍の居所をごぞんじか?」

 と質問したが、わたしは否と答えた。呼び戻す、などということになったら、つまらないからだ。

 ルシュカの反応が意表をついた。かれはめずらしく大笑した。

「トリメクス。そなたに隠していたことが実はある。他の者も聞け。今がちょうどいい時かもしれぬ。ドルミラス将軍は四日前、当城館に帰還している」

「なんですと——」

 わたしはおののいた。

「マーグ、とそなたはいったか? その男がタイタム・スローンであるなら、ドルミラスは見事かれを討ち果たし、当城館に帰還した」

「……ベルマが、マーグを?」

「そなたの知らないことがある。ドルミラスは、余がじきじきに与えた命令によって、タイタム・スローンを見張っていたにすぎぬ。また、そなたのいうように、タイタムがドルミラスを愛していたかどうかも、あやしいものだ。そんな顔をするな。ここへきて、余の隣に座るがいい」

「いえ、けっこうです。続きを」

「この宮廷にテレミアの犬がまぎれているように、余もテレミアの宮廷へ密偵を送りこんでいる。女王の一挙手一投足、手にとるようにわかる。よいか。あの女は、あの女は軍資金をたくわえていた。和平をすすめる、と明言しておいて、軍資金をたくわえていた。今さらもったいぶることもあるまい。余は宣言する、余はかならずや、タウスキー家を滅ぼす。タウスキー家を叩き潰すまで、この戦争はつづけられるのだ」

 おおぅ、と低い歓声が広間にわいた。

「お待ちください」わたしはあえいだ。「陛下、お待ちください」

「聞くのだ、トリメクス。そなたをだましはしたが、しかし敵をあざむくためだ。テレミアも同じことをした。テレミアは宮廷内の和平推進派をあざむくべく、軍資金を森のなか隠した。森なかへ埋めたのだ。軍資金を守るため、女王はタイタム・スローンを呼んだ。かれに守らせたのだ。タイタムが戦列を離れ森へはいったのは、殺しあいに嫌気がさしたわけでも、色恋に目覚めたわけでもない。女王の命令に従っただけだ。純然たる軍事行動だった」

「しかし、ドルミラスは……」

「もちろん、余は先手をうった。ドルミラスを呼び、密命をさずけた。タイタムを監視し、かならずや敵の軍資金を奪取せよ、と」

「ちがう! すくなくともマーグは愛していたはず——だからこそ、彼女を連れて森へ引っこんだのです、彼女を愛していた。おそれながら陛下、あなたがそれをぶち壊したのです……」

「かもしれん。だが余の考えは違う。余がタイタム・スローンであったなら、やはり敵方にドルミラスを残してはいかないだろう。いっしょに連れてゆくだろう。敵の力を、それだけ削ぐことになるのだから。だが、余はうまくやった。裏をかいてやったのだ。ともに森で暮らそう、などと誘われたのは、ドルミラスにとって幸運だったはずだ。いや、どうでもいい。すでに軍資金は回収した。みなの者、聞け。マノラス家は馬車四台分の金塊を奪取した。国庫はすでに潤沢だ。そしてタウスキーは、あてにしていた金を失ったのである。そなたらのなかで、祖父、父、子弟をうしなった者は喜べ、復讐の時がきた。余はタウスキー家をつぶす。はげむがよい。余が恩賞で吝嗇であったことがないのは、みなの知るところであろう」

「陛下、陛下」

 歓喜の悲鳴が爆発し、わたしの声はかき消された。いざるように玉座へにじりより、わたしは王の膝をかき抱いた。

「陛下、ドルミラスに、彼女に会わせていただきたい」

 青年王は、なんともいい難い、優しい微笑みを口もとに漂わせた。

「トリメクスよ。そなたは情のわかる男だ。今の世は、それを知らない者ばかりだというのに。だが、おまえは間違えている。おまえのいう、マーグとベルマなる者たちはいなかった。森にいたのは、日々、腹のさぐりあいに明け暮れるふたりの戦士だった。平和はない。あったのは暗闘だ。むしろ、ふたりのいた森のなかこそ戦争の最前線だったろう。森のなかにいたのは、わたしとテレミアの操り人形でしかなかった」

 わたしは首をふりつづけた。

「彼女に会わせていただきたい」



 青年王その人に案内され、わたしはエルザー城の一室に入った。

 白い寝台に、金髪の女が横たわっている。かたわらに老婆が座っていた。

「死んだか?」ルシュカが老婆に尋ねた。

「いいえ。いつ死んでもおかしくないのですが……」

 枕元に近づいて、驚いた。ふいごのような熱っぽい呼吸で、女が眼を見開いている。

「彼女はいったい……」

「タイタム・スローンとの闘いで深手を負った」

「その声は、ルシュカさま」金髪の女が、起き上がろうとする。「ルシュカさま……」

 青年王は寝台のわきに片膝をつき、べったりと額にはりついた女の金髪を撫でた。「寝ていろ。ゆっくり眠れ。もう生きなくていい。楽になるのだ」

 細工師がしきりに語った、例の、太陽の笑みをベルマはうかべた。愚かな顔だった。戦士の誇りはなかった。身も心も王にささげ尽した、田舎娘の、とろけそうな顔だった。

「眠れ」

 女は命令に従った。その場で死んだのである。二日後、美しい花々で飾りつけられた、豪壮な葬儀がおこなわれた。ドルミラスの死は、おおいに兵士を悲しませ、奮い立たせた。志気は高まり、結束は強まった。ルシュカはドルミラスを英雄として扱い、その死をも利用したのである。

 わたしは、毎日、書類を処理し、若者、壮年を問わず、多くの者を戦場へ送り出している。粛々とすすむ兵士の行列を見送る日々だ。

 凛冽たる風が吹き荒れる時代だった。希望はない。勝つまで戦うしかない。終わりはいつまでたっても、やってきそうにもない。これがわたしの物語である。

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