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その 1

だいぶ昔に書いた作品です。下手な箇所もありますが、あえてそのまま投稿させていただきます。

「それでだよ。ノックしたら、女が出てきたんだ。腰を抜かしそうだったぜ」

「なぜ?」わたしは尋ねた。

「でかいんだ、その女」

「でかい?」

「そう。なにもかもね。その身長、軽く六尺はこえてたな。それだけじゃない、胸はバンと張ってるし、ケツもそりゃ見事な代物だった。それで腰がキュッと締まってんだから、まず掛け値なしのいい女だ」

 男は麦酒をあおって、唇をなめた。

 酒場で飲んでいたわたしに、気安く声をかけてきたこの男——年は50くらいに見える。平凡な小男だが、しかし、しゃべりはじめると、その口調の軽快さとあけっぴろげな態度が異彩をはなっていた。わたしは引きこまれた。

「それで?」

「それで、おれはいったよ。天突くような大迫力の女にびくびくしながらね。

『あたしゃ、旅の細工師でがすが、運悪く路銀を切らしちまった哀れな者で……どうかひと晩、寝床の慈悲を、豚小屋でもなんでもよござんす』

 まぁそんな感じだ。哀調切々と訴えたら、大女は、まるで真夏の太陽みたいな笑顔を見せたっけ。

『さぁね。わたしはかまわないけど、旦那に聞いてみておくれ』

 旦那がいるらしいんだ。この女の夫なら、小男に違いない、とおれは思った。だってそうだろ。あのたくましい女とくらべたら、たいていの男は貧弱に見える」

「なるほど」

「ところが、違った。大違いさ。戸口にあらわれたのは、女よりひとまわりも大きい巨人だった。筋肉をびっしりつけた上半身だ。それが、おおいかぶさるみたいで、おれはあの巨漢に睨みおろされただけで縮こまっちまった。おれなんか踏みつぶしそうな男だった。

 かれはおれを、家のなかに入れてくれた。人里はなれた大森林にある、ひと部屋しかない家だった。片方の壁ぎわにカマドがあって、その反対側に寝る場所がある、簡素な部屋だった。巨人夫婦には小さすぎるテーブルがあって、おれはそこで、夕食をごちそうされたんだ。大女は、柄に似あわず、てきぱき炊事をしたよ。ちょっと好ましく見えるみたいな、女らしいしぐさでね。料理もうまかった……。

 無口な夫婦だったな。無口で、感じのいい夫婦だった。おれみたいな者がいうのはなんだけど、無駄口をきかないやつはいいもんだよ。ふたりの充足した満足感が、おれには雰囲気で感じとれた。ささやかには違いない、しかしふたりが、今の生活を大切にしているのが、おれにはわかったんだ。

 おれが水をむけるうちに、すこしずつ、かれらのことがわかってきた。女は名前をベルマといい、旦那はマーグだと名乗った。ふたりのなれそめが面白いんだ。もともとは幼なじみだったが、しばらく別れていて、再会したのがどこだと思う?」

「さぁね」

「戦場だっていうんだ。戦場だぜ。血風うずまく戦のド真ん中さ。旦那のマーグが傭兵だったっていうのは、すぐに得心するがね、しかし、カミさんのベルマがもとは、剣をふるう女戦士だったって聞いて、おれはなんだか、おかしかったよ。あんまりピッタリはまってるからな。

 おれは興味をもった。いろいろうるさく質問して、ことのあらましを、だいたい聞き出しちまった。ふたりは、敵同士として、戦場で出会ったんだ」

 わたしは、麦酒を注文した。わたしの分と、男の分を。そろそろここを後にしなくてはならない時刻だが、わたしは旅立ちを遅らせてでも、男の話を聞くつもりになっていた。

 男は、つぎのような話を語った。



 まぁ聞いてくれ。最近じゃとんと聞けない美談だぜ。

 ふたりが生まれ育ったのは、北方の小さな村だ。なんて村か、名前は忘れた。

 ベルマは早くに両親を亡くしたので、祖父に引き取られてたんだ。この老人が、その辺りではめずらしく、剣を知ってた。じいさん、おもしろがって孫娘に剣を教えたらしい。するとどうだ、彼女の上達ぶりが際立ってる。子供が使うものだ、そのへんの木っ端を削ったような木剣だよ。それをまぁ、思うさまスイスイ動かす。

 剣術の訓練が、遊びじゃなくなってきた。

 ベルマは女の子にしちゃ、がっちりした骨格だった。じいさん、こりゃモノになるかもしれんと、そんな風に思った。

 ものは試し、ちょっと大人が使う鋼鉄の剣を持たせてみた。さすがに重いらしい、おさないベルマは切っ先を地面につけていた。じいさんは笑って、「振ってみろ」なんていう。ベルマは振った。ぶんっ、風を切って物凄いうなりがあがった。

 じいさんは、肝を冷やした。

 幼女だぜ。それが、ぶんっ、ぶんっ、鉄のかたまりを力強く振り降ろす——しかも、どことなくサマになっている。

「こりゃあ……」ってわけさ。「こりゃあ、途方もない玉かもしれんぞ」



 じいさんは幸運だった。ベルマもそうだった。

 村には、もうひとり筋のいい男の子がいた。

 マーグだ。マーグの家はふつうの農家だ。五人の子があって、マーグが一番下だった。

 マーグはチビのころからチビじゃなかった。デカかった。小さなころから、無口でのっそりしていて、他人からはどことなく鈍そうに見られた。牛みたいに純朴で、愚鈍に見られたんだな。

 どういうわけか、あるいは当然のことかもしれねぇが、マーグのおふくろさんは、息子に非凡ななにかを見つけた。おふくろさんは、旦那をせっついて、マーグに剣を習わせようとした。これがどれほど異例なことか——おたくは農夫ってのを知らないだろうな。農家にとっては、ガキだって立派な労働力なんだ。ふつうは、無駄な習い事なんかさせない。

 おふくろさんが、あんまりしつこかったんだろう。マーグの父親は、せがれを剣士のところへ連れていった。その村で剣士っていえば、ベルマのじいさんのことさ。

「せがれがモノになるか見てくれよ」マーグの親父はいった。「もっとも、授業料みたいなもんは出せないがね」

 じいさん、これを聞いて辟易したろうぜ。さっさと追い返すつもりで、わざと重い鉄の剣を、マーグに持たせた。マーグは片手でそれを受け取った。軽々と持っている。

 じいさんはハッとした。

「振ってみなさい」

 マーグは剣を、振り回した。縦に横に、振り回したんだ。じいさんは驚いたが、もっと驚いたのは、こう命じたときだ。「よし、止めろ!」

 剣の先がピタッと止まった。ちょっとのぶれもなく、止めろといわれたところで、しっかり止まった。子供のくせに、みょうに精彩を欠く表情のマーグが、この時ばかりは、鼻をひくつかせて、白く反射する刃に見とれていた。

「こりゃあ……」じいさん、まいったね。「こりゃあ、わしはついてるぞ……」



 まぁ、そういうわけさ。マーグとベルマは出会い、剣を習いはじめた。

 ふたりは、じいさんの教えるとおりに剣を動かした。刃をななめに、手首を返して、一歩さがって、低くかまえる——ふたりの子供がぴったりそろって、言葉通りに身をこなす。一を聞いて十を知る。

 マーグは畑を終えると、じいさんのところへいく。ベルマがきゃっきゃっとそれを迎える。ふたりは、仲が良かった。子供っぽい友情だ。けど、剣の修行でつちかわれた、おさないふたりが初めて得た、大事な絆さ。熊の仔がじゃれあうみたいに遊びまわり、ふたりは黄金の子供時代をともにし、成長していったんだ。

 マーグもベルマも、十をひとつふたつ越すと、もう大人と変わらなかった。

 ふつうの子供と思うなよ、デカいんだから。外見はまったくの一人前に見えた。実際、剣術に関してなら、人並みを超えていた。いまにも首を斬って落としそうな剣さばき——たちのぼる煙をすっぱり分けてしまいそうな鋭さ、一髪の差を見切る正確さ、そして宙に白刃のきらめきを残す素早さ、水際立った剣のあつかいだ。

 まぁ聞きな。うそか真か知らねぇが、こんなことがあったらしい。



 亜人種——小鬼や、矮小族、巨人のたぐいって聞くと、あんたみたいな都会の人は異界の魔物みたいに思うだろ?

 田舎ではちがう。亜人種の脅威は現実としてとなりに接している。

 実際、すぐ近くにすんでるんだ。マーグとベルマの村でもそうだった。ふたりの村の東に森があって、そこに小鬼族の集落があった。

 どこからやってきたのか、わからない。とにかく一氏族か、ひょっとしたら二氏族という規模だ。

 目ざわりな連中だった。小鬼の集落では人身売買やら、残虐な私刑やら、かどわかし、異種交配、近親相姦が公然とおこなわれていた。村の、ほんの眼と鼻のさきに、混沌たる無法地帯があったんだ。

 村びとたちは小鬼を憎んでた。

 けど、決定的な衝突はなかった。どっちかがどっちかを排除しようとすれば、たくさんの者が死ぬとわかってたんだ。ただ、村には禁則がもうけられた。東の森へはいるなかれ、小鬼に近づくべからず。口をすっぱくしなくても、だれもその禁をやぶろうとはしなかった。マーグとベルマ以外はね。



 ふたりは、じいさんの眼を盗み、段びらをひっさげて東の森へ馳せていった。

 遊びのつもりだった。小鬼を見てみたいという好奇心もあった。ちょっとした冒険だ。ふたりは微笑みをかわしながら、危険きわまりない森のなかを進んでいった。

「ね、小鬼を見つけたらどうする?」

 ベルマがいった。彼女は11歳になっていた。

 マーグのほうはひとつ年上の12歳だ。その年にしてかれは、一種の重厚さを身にまとっていた。

「……うん」

 朴念仁みたいな反応を返した、まさにその時、かれらの前に小鬼がいた。

 小鬼はびっくりして、かかえていた木ノ実をドサリと落とした。

 マーグは剣を振り上げて、小鬼に駆けよった——というと、えらく殺気立って聞こえると思うがね、実際は他愛のない衝動だった。ちっちゃな子がリスを見つけると、おもしろがって追いかけたりするだろ? マーグには小鬼が、ちいさくてチョロチョロ動く、おもしろいものに見えた。ただマーグは、上背がふつうの子供じゃないし、顔つきも真剣だったから、小鬼はおびえたね。

 ふたりにはわからない言葉を発しながら、小鬼は森のなかを走った。

 マーグとベルマは、それを剣の先でつつきながら追いかける。楽しい追いかけっこがはじまったんだ。小鬼にとっては悪夢だったろう。小鬼は仲間のいる集落へ逃げこんだ。それが仲間たちを危険にさらすことになるとも知らずに。

 結果からいうと、マーグとベルマは小鬼族の集落を壊滅においやった。飛躍して聞こえるかもしれないが、まぁ、本当のことだろう。

 小鬼族の住処っていうのは、三尺ほどの深さにほった、底のひろい竪穴に、わらぶきの屋根をかぶせた代物を想像してもらうといい。えらく原始的なんだよ。

 蜂の巣をつついたようだった。小鬼たちはあわてふためいて、いくつかあるかれらの家へ逃げこんだ。たちまち人気がうせて、あたりは静まりかえる。

 マーグとベルマは、夢の国に迷いこんだような顔をして、集落をぶらついた。クスクス笑いながら、住居のひとつに近づき、入り口にかかった垂れ幕をめくりあげる。なかにいた小鬼どもは大騒ぎだ。少年は勝ちどきの雄叫びをあげ、少女がそれにつづく。そのまま平穏な家庭に踏みこみ、思うさま荒らしはじめた。ニワトリの群れに突っこんだことあるかい? まさにあれだ。逃げまどう小さな連中を追いかけて、白刃が虹を反射した——大虐殺がはじまったんだ。



「ちょっと信じがたい話だな」

 わたしはいった。

 男はケロリとしている。

「まぁね」

「子供だろう? 血を見て、おびえなかったんだろうか?」

「いいかい、ふたりは20人から25人の小鬼を殺した。大半の小鬼は森のおくへ逃げちまって、そのままもどってこなかったからな。夕暮れになってマーグとベルマは村へ帰ったが、それは大虐殺を終えたからというより、遊びの時間が終わって、夕食の時間になったからにすぎなかった」

「やめてくれ、気味が悪い」

「そうかな? ふたりにとっては、蟻をつぶすのと変わらない。子供ならではの残酷さだよ。あるいは、ふたりが生まれながらの戦士だったからかな。病的なところはカケラもない、健康的な力に満ちあふれた子供たち——それだけのことさ。そんなことをいいたかったわけじゃない、ようするにそれだけ強かったってことでね。話を先にすすめよう」



 じいさんは、小鬼村での出来事を聞いて腰をぬかした。村びとたちもそろって、あんぐりと口をあけた。ふたりの子供は、化け物あつかいされたし、英雄視されもした。一目おかれるようになったのは間違いない。

 どうであれ、ふたりには関係のないことだった。マーグとベルマは、いつもふたりきりだった。マーグは図体のデカいうすのろと思われてたし、ベルマは女のくせに大木みたいな成りをしていると、よく笑われていた。

 いまさらどう評価されたって、関係なかったんだ。

 数年が平和にすぎた。

 ふたりの関係に、成長にみあう変化があらわれた。

 かわす視線に微妙な意味が生じ、とぎれた会話の間にも精妙な意識の交感が芽ばえた。ときおり漏らすため息には、なんとも艶めいた余韻がたなびき……ようするに、色気づいたんだな。

 なにしろめきめき育っていくふたりだ。日に日に、男と女になっていく。ベルマの胸はふくよかに膨らみ、腰の丸みにえもゆわれぬ色気がまとわりつきだした——ベルマが美人だっていったかな。絶世の美女、とはいわねぇよ。しかしあの笑顔。まっしろな歯が浮く、花開くような笑顔。まわりを吊りこまずにはおかない、彼女にはなにかある、と思わせずにおかない、素敵な笑い方をするんだよ。彼女の笑みはパッと世界を照らすのさ。そしてその笑顔は、いつもひとりの男に向けられていた——マーグに。

 マーグは壮健な若者に育った。かれはまるで大地だった。雄渾な山のような男だった。足が長くて、逆三角形のからだに筋肉が引き締まっている。顔は……ベルマとくらべたらずっと不活発で、沈毅だった。かれはよく、遠くを見つめた。眉間に縦じわを二本立てて、視線を動かさなかった。かれの思考は、かれの村からはるかに離れたところにあったのかもしれない。

 ベルマにも、かれの真意はわからなかった。マーグはもともと、おっそろしく喋らない男だったからな。子供のころは一心同体だったふたりだ。しかしこのころ、ちょっとした食い違いが生じはじめていた。

 とはいっても、マーグだってしょっちゅう遠くを見つめていたわけじゃない、ベルマのぴたぴたの胴衣が浮き彫りにする、見事な身体の線に見とれることだってあった。第一かれ自身、自分のもやもやしたあこがれが、どこにむかっているのか理解していたわけじゃなかった。

 ふたりは愛しあっていた。ごく普通に。

 じいさんもかれらの間がらを認めたし、村びとたちも、お似あいだと公認した。

 ベルマは無邪気に将来の結婚を信じきっていた。

 ただマーグだけが、よくわからないでいた。かれは幼なじみを愛していたし、頭ではいつか彼女と結ばれると思っていた。しかし気がつくと、その視線は遠くへ、山脈のむこうがわへさまよったんだ。



 ごぞんじの通り、今も、そのころも、戦争といえばタウスキー家の領するアジャンティと、マノラス家の領するエルザーの、20年越しにおよぶ領土問題のことだ。

 ふたりの老王が、交通の要衝を占める一地方の継承でもめ、やがて衝突した。

 両家の王は、あいついで死去するが、代替わりして戦争は継続された。マノラス家をついだのは青年王ルシュカ。タウスキー家をついだのは辣腕の女王テレミア。

 ルシュカとテレミアは、たがいの存亡をかけて傭兵をあつめ、散発的な戦闘をくりかえしている。最近じゃ両王家の経済もひっ迫して、この勝負、どっちに転ぶか微妙らしい。

 まぁ、それはともかくさ。戦争は悲惨だけど、ひとを利巧にもするね。

 ルシュカもテレミアも、戦術を見直しはじめた。重装騎兵の突撃より、歩兵に陣を組ませるほうが、攻めにも守りにも強いとわかってきた。すると、方陣を指揮するやつが必要になる。青年王と女王は、それを従来の騎士にもとめず、傭兵にもとめた。

 おれがなにをいってるか、わかるかい? いままで使い捨てだった傭兵にも、出世のチャンスがめぐってきたんだ。身元の知れない傭兵でも、戦にさえ強ければ正規軍にとりたてられ、頭角をあらわせば指揮官になれる、そういう時代がきたんだよ。

 マーグがベルマを捨てた背景には、こういった歴史のうねりがあった。



 素性のいやしい農夫でも、戦功しだいで騎士になれる——その噂は、北方の寒村にも敏感に伝わった。そして腕におぼえのある18歳の若者の胸に、火をともした。

 マーグは、希望を見つけた。想像力は膨張し、きらびやかな世界を駆けめぐった。そこにあったのは、もうひとつの生き方だった。マーグの生まれる前から、かれの一生は決まっていたも同然だ。誕生、労働、結婚、労働、労働、そして苦しみのうちに死。かれは漠然と、暗い将来を知っていたし、逃れられるすべがあろうなどと夢にも思わなかった。

 そこへ光がさしたんだ。

 かれには剣がある。二本の腕がある。強靱な足腰とどんな逆境にも耐えうるであろう、寡黙な精神がある。成功は目の前にぶらさがっている——あとはつかみとるだけ。そう思えてならなかった。

 おれは結末を先取りしてしゃべってるが、願望が行動として結実するには時間がかかった。じっさいのマーグはもたもたしてた。

 自分の腕が抜きん出ているとはなかなか信じられなかったし、村を出るふんぎりがつかなかった。だいたい、ベルマがいる。マーグは異国で闘う自分のすがたを夢想したが、夢から覚めたとき、かたわらにいるのは愛しい恋人だ。それはそれで、好ましく思える。かれは夢想と現実のあいだをいったりきたりしていた。のどの渇きに似た焦燥感だけがつのっていく。

 マーグを決意にみちびいたのは、皮肉なことにベルマだった。

 あんたが幸運なやつなら、きっと知っているだろう。年頃の青少年をを勇敢にするのは、同年代の女の子の視線だよ。綺麗な女の眼には、男を無敵にし、大胆にする魔法がある。マーグはその魔法にかかった。ベルマはときに、崇拝の眼でマーグを見上げたからな。マーグのその瞳を見て、自分自身の価値をたしかめることができたんだ。

 だからある月夜の晩、かれは恋人を呼び出した。そんなことは初めてだ。

 ベルマはじいさんを起こさないように気をつけて家を出た。性的にはからきし奥手なマーグが、ついに行動をおこすのかもしれないと、ドキドキしていた。

 彼女は月明かりさす丘のうえに連れてゆかれ、そこで打ち明けられた。

「村を出る」マーグはいった。

「どうして?」

「……傭兵になるんだ」

 晴天のへきれきというのは、こういうことをいうに違いない。



 ちょっとばかり、いいそえるがね。

 マーグはうんざりしてたんだと思う。なにに? 村に、生活にか? そうだろう。ベルマにか? それもある。だがなにより、自分自身に嫌気がさしていた。

 少年はなんらかの試練をくぐり抜けて、男へ成長する。マーグは男になりたかった。自分を変えたかった。それまでの過去とおさらばしたかった。そして、捨てるべき過去というのは、ふるさとと恋人に他ならなかった。

 ベルマは過去のマーグを知りすぎている。マーグの両親もそうだ。マーグはまっさらな世界で自分の力をためしたかった。ベルマや親御さんは邪魔だ。それどころか重苦しいしがらみとなって、かれの足を引っ張っているようにすら感じられた。

 口さがないことをいえば、マーグはすこし頭に乗ったんだな。自分の未来に夢中で、ベルマがどれほど得がたい伴侶であるか考えようともしなかった。本当に、前世から決まっていたような相手だったのに。

 傭兵になる、なんていわれて、おさまらないのはベルマだった。

 彼女だって、マーグの様子が近頃おかしいことに、気づいてないわけじゃなかった。女独特の勘のよさを、彼女ももっていた。だが、まさかそんな大胆なことをもくろんでいたとは。どことなく上の空で、いつも黙然としているマーグの口数の少なさを、ベルマは愛していたが、このときばかりはその寡黙さが周到な裏切りに感じられた。

「そんな、そんなこと——本気なの?」

 マーグがうなずく。

 ベルマはぞっとした。というのも、一度決めたらテコでも動かない、恋人の牛のような頑固さを知っていたので。

 青ざめた顔で、ベルマは立ちふさがった。

 悲しいことに、かれをひきとめる言葉の駆け引きを、彼女は知らなかった。

「そんなこと、させない。村を出るなら——勝負して。わたしを倒したら、好きにするがいい」

 彼女は雄々しくいい放った。しかし、その雄々しさにいじらしさを感じるのはおれだけだろうか。彼女は純情だった。マーグもそうだった。まったく不器用なふたりだった。剣しか知らないんだから。青春にありがちな、真摯だが、ぶざまな衝突だった。

「勝負といっても」マーグは深沈とした口調でいった。「おまえは剣をもっていない」

「とってくる! とってくるわ! そこから動かないで、待っていて! 逃げてもかならず追いかけるから!」

 火のようにいきりたって、彼女はきびすを返した。家へと走り、部屋のなかに飛びこむと、剣をとってもとの丘へ引き返した。マーグはいなかった。

 旅立ったあとだった。

 これ以上の言葉が必要だろうか。

 ベルマは捨てられたんだ。



 もっとも、マーグはそんなつもりじゃなかったようだがね。

 さてと。ここで失礼して、おれの話をさせてもらうよ。

 三年ばかり前、おれはある売春宿に通いつめてた。ハイダックってあるだろ。年寄りの売女ばっかりいる、汚らしい街だ。だがね、三年前に、ひとりだけ天使みたいな女がいたんだよ。

 ミロっていってね。おれは彼女に夢中だった。

 その彼女が、一度、おもしろい話をしてくれたよ。

 テレミア女王が、軍隊を通すために、ソーリス峡谷に橋をかけたろ。工事のため、数百人の人夫があつまって、飯場はちょっとした繁華街みたいな様相を呈していた。人夫たちの夜を面倒みる簡易売春宿なんかが林立し、ミロはしばらくそこにいたっていうんだな。

 ミロは飯場の人気者だったが、もうひとり、名物娼婦がその工事現場にはいた。

 金髪の波うった美しい女で、並の男を見下ろすほど身長が高かった。

 本名は誰も知らなかったが、その娼婦はドルミラスと呼ばれていた。どこの言葉かは知らないが、女皇って意味らしい。うまいこというもんだ。

 ドルミラス……。どうした? そんな顔して。



「ドルミラス? 彼女が娼婦だって?」

 わたしは叫んだ。

 男は杯をかたむけ、のど仏を上下させた。

「そうだよ」にやりともせずにいう。

「違う。彼女は高名な戦士だ」

「そうさ。マノラス家エルザーの女戦士、悪魔の微笑で数々の傭兵を地獄へ叩きこんできた、かの有名な金髪のドルミラス……彼女の前半生を知る者は誰もいないが、その一端をおれはたまたま、垣間見たんだ」

 わたしは絶句した。

 子供でもその名を知っている、ドルミラス。空白の出自を背負って戦場に登場し、敵にはつるぎの魔女、戦雲の女怪と恐れられ、味方からは戦の女神として崇拝さえされたドルミラス。現れたときと同じように、魔風のごとく消え去った伝説の女皇ドルミラス。一説には死んだともいわれている——わたしは細工師を見つめた。

「きみはその……ベルマが……」

「まぁ、聞きな」



 愛しのミロちゃんがいうにはだぜ。

 ドルミラスは、何かと話題にのぼる女だったらしい。どこからきたのか、本当の名前はなんなのか、なんでこんなとこにいるのか、噂は絶えなかった。女皇は黙って男に抱かれていた。ときどき、売女とは思えない、明るい笑顔を浮かべた。それが男たちを戸惑わせる。腹のなかは灰色の体液で汚されているはずなのに、彼女が穢されていると考える男はいなかった。ドルミラスの神々しい肉体を征服した男もいなかった。むしろ、彼女の強靱な身体についていけない男のほうが多かった。

 ミロは好奇心をかきたてられ、ドルミラスと会ったんだ。

 なるほど美人で、ぜい肉のない引き締まった身体つきをしていた。大柄なのにもびっくりした。

 ミロは神経が細やかで、相手の気持ちをときほぐす魔法のような才能をもっていたからな。会話するうちに、ドルミラスの無表情をかち割って、生身の感情を引き出すことに成功したんだろう。

 いろんなことを尋ねるうちに、ドルミラスが泣きだした。泣きじゃくった。男を追いかけてきたのだといった。しかし、ちっとも会えないでいる、どうしたらいいのか、ちっともわからない、といってミロに泣きついたのさ。

「相手はどんな男?」ミロはたずねた。

「傭兵なの……」

「それなら、こんなところにいちゃ駄目じゃない。どうして戦場へいかないの?」

 ドルミラスは眼をぱちくりさせてミロを見つめ、また泣いた。

 ミロは、大女の無能力ぶりにあきれかえった。女皇は、ナリは立派だが、世間にほうりこまれた幼児のごとく無力で危なかしかった。ぐすんぐすんと鼻を鳴らして顔を覆っているが、彼女は涙をふく手巾さえ持っておらず、鼻水まで平気でたらしていた。

「いいわ。泣くことなんかない。わたしが戦場へ連れていってあげる」

 ミロはいった。ドルミラスの泣き方に思わずほだされたんだろう。それに、戦場で稼ぐのは傭兵ばかりじゃない、女にとっても戦場は夢のある場所なんだぜ。



 ちょうど、ドーキン地方の東端にずうずうしく駐留していたルシュカの軍を包囲するため、女王テレミアが濃密な陣営を敷こうとしていた。娘子軍——従軍娼婦だな——が募集されるってんで、ミロとドルミラスは旅をした。

 とんだ珍道中だって、ミロはおれに語ったよ。なにしろドルミラスは世間知らずで、稼いだ金は平気で巻き上げられるし、めずらしい食べ物はなんでも欲しがるし、ほとほと手を焼いたそうだ。それでもミロは、ドルミラスの燦々たる笑顔と、愛情深い純真に、心をうたれることもあった。

 とくに、捜している男の話をするときの彼女は目に見えて生き生きしていた。

「けどね、あんた。その男は、あんたが現れて喜ぶとは限らないよ」

 ミロが、心配半分、やっかみ半分でいうと、ドルミラスは知らない言葉に遭遇したみたいな、不思議な顔をするのが常だった……。

 さて、ドーキンで慰安婦の小屋へもぐりこんだふたりだ。化粧品と薄衣で戦闘体勢をととのえ、バリバリ稼ぐつもりで身づくろいをしたから、ふたりは繁盛した。

 傭兵はもちろんきた。兵士もきた。騎士だってきた。男はみんなきた。抱きにやってきた。ただひとり、慰安所にけっして足を踏み入れない男がいた。

 どこからきた男か、誰も知らないという。

 飄然とやってきて、たちまち、きらびやかな手柄をたて、いまは傭兵隊の一隊長をつとめているという話だった。魔神のように剣をふるうらしい。

 スカした男がいるもんだ。

 ミロは思った。戦場みたいな命のやり取りをする場所で、女を買わない男っていうのは、あまり信用されないもんなんだ。

 ところがさ。ミロはまもなく不思議なことに気づいた。その隊長を悪くいう男がひとりもいねぇんだよ。誇り高き騎士でさえその魔神野郎に一目置いていた。傭兵たちにいたっては、その男を尊敬し、全幅の信頼を置き、自慢にさえ思っているようだった。なにしろその男は、テレミア女王からじきじきに名前を頂戴したって話だからな。

 その男はタイタム・スローンと呼ばれていた。

 おや、また何かいいたげじゃないか。



「タイタム・スローン?」

「そうさ。知ってるのか? もちろん知ってるだろうな。世界一の剣士だ。かれを知らないやつなんか、いやしない」

 わたしの反応がおもしろかったらしく、男は嬉しそうな顔で魚料理をつまんだ。

 タイタム・スローン。

 わたしの心臓は、その名前を聞くといまだに飛び跳ねる。戦場へなどいったことのないわたしをして、そういう反応を起こせしめる、『格』のようなものをその名前は帯びている。タイタム・スローンは戦乱の中心に立つという。かれの回りには血しぶきが沸きたつのである。

 タイタムの上半身は戦塵にまみれることなく、いつも抜きん出て闘うひとびとを見下ろす。大魔王そのものだという。もちろん、剣をもたせたら龍の火炎を吐くように敵を一掃する——かれはマノラス軍を戦慄させた。

 タイタムは、そこにいるだけで戦場を掌握したのである。虎のような一声で、かれの部隊は奔流のように侵略した。腕のひとふりで鉄の守りに入った。タイタムは、熟練した漁師が、投網を広げたり引き寄せたりするみたいに、兵士をあやつった。魔法のような、ゆきとどいた統率だった。

 しかしかれが戦場を席巻したのは、ひと昔まえの出来事にすぎない。

 タイタム・スローンは、ある日とつぜん、姿を消したのだ。理由は謎とされている。

 奇妙なことにその失踪は、ドルミラスの消息がつかめなくなった時期と一致していた。わたしは旅の細工師から、かれらの失踪の謎を聞こうとしているのかもしれなかった。



 さて、タイタムは、効果的にルシュカ軍を包囲した。

 補給路をふさいで駐留軍を干上がらせつつ、一ケ所だけ手薄な道を残しておく。当然、罠だ。ルシュカ軍もおびきよせられちゃいけないってわかってる。だから動けない。タイタムが指揮をつとめる主力は不気味に沈黙している。一本の道をはさんで、両軍、こんくらべしてるってわけだ。

 ミロにも、タイタムがただの気取り屋じゃないってわかった。

 同じ棟で仕事をしているドルミラスがやってきたのは、そんなときだ。大女はこんな仕事をしてるのに、いつも元気だった。ただ、その日に限ってやけに神妙なんだ。

「タイタム・スローンって男のことなんだけど……」

 ドルミラスは、タイタムこそ自分の捜している男に違いないといいだした。

「どうしてわかるの?」

「その人、大男なんでしょ?」

 ミロは肩をすくめた。

「かれだわ」ドルミラスは簡単に決めつける。それだけならいいが、彼女はタイタムと会う、といい残し、慰安所を出ていこうとした。ミロはあわてた。

「莫迦だね。わたしたちはここから出ちゃいけないの!」

 ドルミラスはきょとんとしている。「じゃ、どうしたらいい?」

 ミロは下唇に指をあてた。

「ふん。いいわ。わたしに任せて」



 へへ。ミロはそういう女なんだ。自分の倍はあろうかというドルミラスを、彼女は妹みたいに思いはじめてたんだろうぜ。ひと肌ぬごうってわけだ。

 といってもね、とくに妙案があるわけじゃない。くる男、くる男に「タイタムを連れてきてよ」って頼むのが関の山さ。

 肌で通じあった女、ミロみたいな愛嬌ある女にお願いされたんだ。男どもは隊長を追っかけて、慰安所へ誘った。タイタムはこない。鉄の芯でも入ってるみたいに頑固だった。

 そんな鉄の芯、わたしの手でとろかしてやるのに、ってんで、ミロはじりじりした。

 スローン隊長を連れてきてくれたら、あんなことをして、こんなこともして、誰も体験したことないようなスゴいご褒美があるんだよ、とかなんとか、ミロは男どもにハッパをかけた。しかし誰も、タイタムを連れてこられねぇんだよ。

 ドルミラスは日に日に悄然としてくる。

 ミロはやけになって伝言をタイタムのところへもっていってもらった。

『スローン隊長に直接おはなしすべき、重要な軍事情報があります』

 もちろん嘘なんだが、タイタムがこれに喰いついた。夜に、くる。っていうんだ。ミロは飛びあがってドルミラスを呼んだ。彼女の髪をととのえ、入念に化粧してあげて、ふたりで夜を待ったんだ。

 そしたら、きたよ。

 熊だか怪物だか、得体の知れない巨大な影が、爛々と眼を光らせて、ミロの小屋にやってきた。タイタム・スローンだ。かれがきただけで、小屋のなかに殺気が満ち、血なまぐささが漂った。

「なんのつもりだ?」怖い声でタイタムがいった。

 小屋の灯はつけてない。暗闇のなか、緊張ぎみのドルミラスが寝台に腰かけて、ミロは家具の影に隠れて様子を見ている。

「そこにいるのは誰だ」タイタムが問うと、闇がざわりと動いた。

 ドルミラスが立ち上がったのさ。

「おお、マーグ……」

 奇妙な連想だが、ミロは誰かが死んだのかと思った。そういう緊迫をはらんだ静けさだった。胸騒ぎに耐えられず、ミロは窓の鎧戸を、がしゃがしゃ鳴らして巻き上げた。赤い光がくわっと射しこんだ。慰安所の四隅にある、かがり火の明かりだ。

 ふりかえると、部屋がせまくなるほど大柄な男と女が見つめあっている。



「おお、マーグ……」

 ドルミラスはいった。

 タイタムとドルミラスの間に、こわばった空気がある。時空の裂け目のような、越えようにも越えられない断絶がある。ミロは感じた。が、ドルミラスは長い足で超然とその裂け目をまたいでしまった。タイタムはよろよろと後ずさった——。

「わたしよ、わたしだわ——ベルマよ! おお、マーグ、あなたは少しも変ってない!」

 あの鬼神タイタムが、猛犬に吠えられた子供のような表情をしていることに、ミロは気づいた。

「どうしたの……あなたに会いにここまできたの。ベルマよ!」

 タイタムは、うめいた。

「ベルマ……」

「そうよ! そう、やっと見つけた。おお、おお、マーグ。その額の傷は……怪我をしたのね、あなたみたいな人がどんな油断を……おお、神さま、どうしたの? そんな顔をして——マーグ、わたしがきたの! あなたのベルマがこうして、きたの!」

 ドルミラスは——ベルマというべきかな、マーグの言葉を待った。マーグの腕を待った。骨も砕けよ、とばかりに抱き締めてくれるかれの腕を。かれの笑顔を待った、いとしげに髪の匂いをかいでくれるかれの鷲鼻をベルマは待った。

「おまえは、なんという格好をしているのだ」マーグがいった。

 ベルマの豊満な乳房は、胴衣の胸襞におさまらず、そのほとんどを露出して白く光っていた。ベルマはそれでも、なんのことかわからなかったに違いない。

「格好? この服のこと? ちがうわ! 服のことをいっているんじゃない、わたしがいるの! ここにわたしが——」

「ここは従軍娼婦の小屋だ」

「あなたを追ってきたの!」

「近づくな!」マーグ——タイタムというべきかな、かれは吼えた。「おまえを想えばこそ、貞潔を守ってきたのだ。それなのに、ベルマ、おまえは売女になってしまった!」

「あなたを追ってきたの!」

「見知らぬ男に身体をさわらせたのか! おぉ、どうして待てなかった!」

「なにをいうの」すがるように、タイタムに近づく。「地獄だったわ、毎日が……あなたのために我慢した——誰も愛さなかった、あなた以外には」

「だまれ! くるな!」

「なにも変ってない、あなたの愛したベルマがここにいる」

「出ていけ! ベルマは死んだ。おまえはベルマじゃない! 淫売だ!」

「淫売でもなんでも、わたしはわたし。帰ろう、マーグ。お願いだから、そんなに怒鳴らないで。わたしが莫迦なことをしたのなら、気のすむまで謝るから——」

 タイタムは頭を振った。二度、激しく振った。

「もう遅い。ベルマ。昔には戻れん。おれはおまえを、捨てたのだ。ひとりで帰るがいい。おれは生涯もどるまい」

「マーグ……」

「おれはタイタム・スローンだ。そしておまえは、けがらわしい売女だ」

 ミロは、窓辺にたたずみ、固唾を飲んでいたが、次の瞬間、ドルミラスが突如おこした行動に度胆を抜かれた。ドルミラスは、飛翔した。横に低く跳躍し、タイタムの腰あたりをかすめながら、かれの剣を抜きとっていた。タイタムが振り向くのと、ドルミラスが剣を構えたのが、ほぼ同時だった。

 ミロの知らない野獣のような女が、そこにいた。

「わたしは死んでない、ここにいる」

 火を吐くような声だ。

「マーグ、地獄に堕ちたわたしが抱けないなら、わたしは悪魔の愛人にでもなろう」

 剣を握ったドルミラス——これが泣きべそをかいていた、あのドルミラスだろうか。刃物にそっくりなあの瞳、全体、惨として、あでやかにむきだした肩から妖気を立ち上らせている、あの女が。

 タイタムは沈黙していた。あるいはこのとき、タイタムはタイタムでなく、マーグに戻っていたのかもしれない。

「おまえを突き落としてやる、わたしが堕ちたこの地獄に! 苦しむがいい!」

 そういい残し、ドルミラスは音も立てず、ふりかえりもせず走り去り、夜気に溶けていった。遠くにいってしまった、ミロは思った。もう決して戻ってこないだろう。どこかで、男の悲鳴が響き、続いて断末魔のうめきが夜を不気味に覆った。それで終わりだった。もう、なにも聞こえてこなかった。

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