39話
二人の長い話し合いの後、私が日本から転移して来た部屋に移動してジュークさんが魔法陣を描く。大きな筆でまるで書道のように描くのだが、これも魔術の内でかなり集中力を必要とするらしい。私とディランは一度部屋の外に追い出されてジュークさんの作業が終わるのを待った。
「ルリ」
ドアの真ん前で、ディランにどこか甘い響きで声を呼ばれ、ぎゅっと抱きすくめられる。その力が思ったよりも強くて、私の胸がきゅっと鳴った。
「またすぐに会えるよ」
耳元で囁かれた言葉は自分に言い聞かせるようでもあって、寂しいのは私だけではないと知る。「うん」と、小さく返して、ディランの背中に手を回した。
しばらくそうして抱きしめあった後、そっと身体が離されて間近で目が合う。ディランの表情はどこか切なさを含んだものだった。
「ルリ。俺じゃ頼りにならないかもしれないけど、何か心配事や不安な事があったら言ってね。魔石に強く願えば俺に届くはずだから」
「あ……」
ディランは珍しく心許ない様子で私に言う。それを聞いて、私が二人の今後について悩んでいたことをディランは気がつきながら、ずっと待ってくれていたのだと気がつく。
結局ディランから聞かれて初めて私は悩みを打ち明けた。私が頼ればディランは意志を曲げてでも私の要望を聞くだろうと思ったから言わなかったけれど、それをディランは悲しく思っていたのだ。
自分のことばかり考えて、ディランがどう思うか考えられなかった自分を酷く情けなく、申し訳なく思う。私達は恋人同士なのに、一人で抱え込もうとしていた。
「ごめんねディラン」
私は謝ってディランの両手をぎゅっと握る。
「これからは一緒に悩んで一緒に解決しよう。私も遠慮しないようにするから、ディランもそうしてね」
「ルリ……わかった」
ディランはホッとしたように微笑んだ。この笑顔が見れて本当によかったと思う。
そのタイミングで扉が開き、中から玉の汗をかいたジュークさんが顔を覗かせる。私達の様子を見てどこか苦い顔をしながら、
「魔法陣の準備はできた」
と、言って中に入るように扉を大きく開く。ディランは私の手を握ったまま、二人で部屋に入った。
「いつでも発動させられる」
ジュークさんはそう言いながら魔法陣の前に立つ。相変わらず不機嫌そうなジュークさんに、私は言わなければならないことがある。私はディランの手を離れてジュークさんの前に立って目を合わせた。
「……何だ」
不機嫌そうなジュークさんのターコイズブルーの瞳に見つめられると、身が竦んでしまいそうになる。だけど、私は自分を律して背筋を伸ばす。
「ごめんなさい!」
45度に身体を曲げてジュークさんに頭を下げる。「ルリ!?」というディランの焦ったような声が聞こえたけれど、しばらく私はそうして頭を下げてから再び顔を上げてジュークさんだけを見た。
「やっぱり私、ディランを日本に連れて行きます!」
そう宣言するもジュークさんの表情はピクリとも動かない。折れそうになる心をなんとか保って、私は続ける。
「ですが、ディランも魔術師の仕事を続けたいと言っています。私もそうできるように、ディランと一緒に考えて協力したいと思います。……ご迷惑は、かけてしまうと思います。世界が変わる分、やり取りでご面倒をかけることもあります。それでも、なるべくそうならないように私も努力するので、どうかよろしくお願いします!」
一気にそう言うと、私は再び頭を下げた。ジュークさんはディランの同僚だ。ちゃんと私の口から話しておきたいと、そう思っていた。
何だか「娘さんを僕にください!」的な話をしているな、と頭を下げながら思う。だけど、きっとディランにとってジュークさんは大切な人だろう。短い間だったけれど、二人のやり取りを見てそう感じた。だからこそ、許してもらいたい。
ジュークさんはそのまましばらく何も言わなかった。そろそろ頭を上げようかと悩んでいると、
「……今まで通り仕事をしてくれるならそれでいい」
と、ボリュームの小さな声が聞こえて、私はバッと顔を上げる。ジュークさんは冷ややかな表情ではなく、どこかバツの悪そうな顔をしていた。
いつも冷たく感じるジュークさんのそうじゃない面を見れた気がして、じわりと胸が温かくなる。
「ジュークさん……」
「ちょっとジューク。もしかして俺がいない間にルリに何か言ったんだね?」
私がお礼を言おうとすると、珍しく怖い顔をしたディランがジュークさんの後ろから顔を出す。ジュークさんはうんざりした表情でディランを見る。
「それはディラン。お前がはっきりしないからで……」
「俺とルリとの間の話に首を突っ込むなよ!」
「いや、それは……」
ジュークさんが珍しく狼狽した表情をした。本当にディランのことを大切に思ってくれているんだとわかって、思わずくすりと微笑んでしまう。
その笑いに反応したディランがジュークさんを置いて私のところまで来る。
「ごめんねルリ。ジュークって本当にデリカシーのないやつだから」
ディランの怒った様子も珍しい。それほど二人の間にはしっかりとした絆があるのだとわかって、私は嬉しかった。
「大丈夫だよ。おかげでしっかり考えられたし」
「だけど……」
「そんなに責めないであげてよ。ジュークさんも困ってるみたいだから」
私は笑顔でジュークさんに視線を送る。
「ジュークさん。これからもディランのことよろしくお願いしますね」
「……ふん」
ジュークさんは少し照れたように視線を外した。何だ、ジュークさんは冷たいだけの人じゃなかったんだ。
「ちょっとジューク! ルリがせっかくジュークに話しかけてるのに……」
「うるさい。さっさと魔術を発動させるぞ」
手をしっしと払うような動作をして私達を促した。ディランは不満そうな表情ながらも私に向き直る。
「それじゃあまたすぐにね、ルリ」
「うん」
「今度は俺もジュークに日本に送ってもらおうかな。そうしたら時間を気にせずに一緒にいられるし」
「おい」
「ルリを虐めたツケは払ってもらわないと」
「……」
ディランは未だに怒っていて、ジュークさんはやれやれと言った表情をしている。そんな二人が面白くて、私は笑いが止まらない。
「ジュークさんもいつか日本に来てくださいね」
「えぇ!? ジュークはいいよ!」
「俺は……別に」
「ほら、ジュークもそう言ってるし!」
「でも、魔力がない人達がたくさんいる日本を見てみたくないですか?」
「……」
ジュークさんは何も言わないが、瞳がキラリと光った。やっぱり興味があるんだ。ディランと同じで魔術のことになると興味を隠せない。私はジュークさんのことをもう怖いとは思わなくなっていた。
「ぜひ来てくださいね」
「もう、ルリは甘いんだよ」
ディランがジュークさんから私を隠すように一歩横にずれる。
「またね、ルリ」
そっと私の頬に触れて優しく撫でる。つい今までジュークさんに怒っていたのに、スイッチが切り替わったかのように表情も甘くなった。
「いろいろとありがとう」
「ううん」
「私ね、ディラン」
私はディランの目をしっかりと見ながら言う。
「もう何があっても大丈夫だと思う。ディランとずっと一緒にいるって決めたから」
「ルリ……」
ディランの瞳がキラリと煌く。
「一緒に頑張ろうね」
「うん、もちろん」
なんとも形容しがたい甘い笑顔を見せて、ディランは私の額に触れるだけのキスをする。鼻いっぱいにディランの匂いを感じて、私はまた勇気をもらった。
「それじゃあお願いします」
ディランが私から離れて、視線を逸していたジュークさんにお願いする。ジュークさんは一つ頷き、すっと表情を切り替えた。
冷たげな表情で何やらわからない言語を呟き始めると私の下に描かれている魔法陣が発光する。次第に私自身も光に包まれて視界がぼやけてきた。
魔法陣の外から、
「またね、ルリ!」
と、もう一度ディランの声がする。返そうとするけれど、眩しい光に包まれて目を閉じると声も出てこなくなってしまった。
しばらく目を閉じたままでいて、光が収まってから目を開ける。すると、私は自分の小さなワンルームの部屋に立っていた。
「帰ってきた……」
見慣れた部屋を一回り見て、そうつぶやく。一筋の涙が頬を伝って、私は立ち尽くしたままそれを拭ったのだった。




