36話
翌朝、私とディランは一緒に食堂で朝食を食べている。今朝はサラダとパンというヘルシーなものだ。薄味なのが朝食には嬉しい。
どこか甘い空気を引きずったまま朝食を食べ進めていると、食堂の入り口の扉が音を立てて開いた。すっかり油断していたので、ビクッと身体を揺らすほどに驚いてしまう。
そこに立っていたのは昨日一瞬会っただけのジュークさんだ。ここはジュークさんの家なのだから、いても当たり前なのだけれど、丸一日会っていなかったので油断していた。
「やあ、ジューク。回復早いね」
「まだ魔術は使えない」
不機嫌さが標準装備と言わんばかりのジュークさんはつかつかと歩いてきて、当たり前のようにお誕生日席に座る。昨日よりは顔色もいいように見えるけれど、元々肌が白いようにも見えるし、よくわからない。
魔術が使えないというジュークさんのパンにディランが手をかざして、温めてあげていた。
「ディラン。すぐに王宮へ行ってこれを渡してきてくれ」
ジュークさんは懐から何やら畳まれた紙をディランに手渡す。ディランはその中身を確認してから、ジュークさんに視線を戻した。
「ジュークの部屋に置いてくればいいんだね?」
「そうだ。使いの者が取りにくるだろう」
冷ややかな声で淡々と告げる。ジュークさんの声は常に怒っているように聞こえるし、見た目も相まって正直怖い。
ディランは動じていないみたいだけれど、ジュークさんのことが怖くないのだろうか。もしこんな上司がいたら、私だったらストレスで胃が痛くなってしまいそうだ。
「じゃあすぐに行ってくるよ」
食事の途中だというのにディランは立ち上がった。
「ルリ」
ディランは机を回って私の側までやってくる。
「少し出てくる。すぐに戻ってくるから、ゆっくり朝食を食べていて? 戻ったら出かけよう」
「わ、わかった」
ディランは私の頭を一撫ですると、食堂から出て行ってしまった。
どうしよう。
部屋には私とジュークさんの二人きりだ。ただでさえ初対面だというのに、こんなに怖い人と二人きりにされるなんて。
さっさと食堂を出たいけれど、朝食はまだ半分残っている。食べ残しは私のポリシーに反するので、必死に口の中にサラダを詰め込む。
「……本当に魔力がまったくないのだな」
ジュークさんの冷たい声が聞こえた。ギギギ、とゆっくり顔を向けると、綺麗な所作で朝食を食べているジュークさんのターコイズブルーの瞳が私を捉えている。
「そう、みたいですね」
話しかけられたのに無視などできない。社会人になってから身につけた社交性をフル稼働させて、私は笑顔を作る。
「そんな人間滅多にいない。ディランが自分のものにしたいと思うのもわからなくはない」
「え?」
「俺たち魔術師は他人の魔力に敏感だ。よほど魔力が合う人間でないと、一緒にはいられないからな。その点、魔力がないなら何の問題もない」
「な、なるほど」
ジュークさんは思ったよりも饒舌に喋った。
「ジュークさんも私の世界の人間となら結婚できるかもしれませんね」
だから、もしかしたら優しい人なのかもしれないと、つい余計なことを言ってしまう。ジュークさんは瞳をさらに冷たくする。
「俺はディランと違ってそういうものに興味はない」
「そ、そうですか」
地雷を踏み抜いてしまったのかもしれない。私は身を小さくして、止まっていた食事の手を再開させる。早くこの場から立ち去りたい。
「……お前」
だけど、ジュークさんは話を続ける。
「ディランを自分の国へと連れて行くつもりか」
ジュークさんの顔を見返すと、固い表情をしていた。
「え、っと……」
どうするかはまだ話し合っていない。答えが見つからずに視線を彷徨わせる。
「ディランはこの国に必要な人間だ」
私が答えないと判断したのか、ジュークさんはそう告げた。
「魔術師としては決して優秀ではないが、魔法陣を作る才能はある。どこか別の国に行かれては困る」
ストレートにそう言われて、胸が貫かれたような痛みを感じる。
「一緒になるつもりなら、お前がこちらの世界に来るしかない。ディランが別の世界に行くという選択肢は、ない」
カチャン、と食器がお皿に落ちる音がした。見ると、私の手から食器が溢れ落ちている。
慌ててもう一度手に取りジュークさんに視線を戻したが、話が終わったとでも言わんばかりにもう二度と私のことを見ることはなかった。
「お待たせ、ルリ」
部屋に戻って、ぼんやりとしているせいでいつもの2倍くらいの時間をかけて化粧を終えた頃に、ディランが帰ってきた。
「支度できた? じゃあ行こうか」
ディランに当たり前のように手を差し出されて、その手を握る。笑ったつもりだけれど、上手く笑えているかはわからなかった。
私がこの手を取り続けるためにはひとつの選択肢しか残っていない。ここまで望まれている人を、どうして日本に連れていけるだろうか。
私の仕事なんて、私が辞めても代わりはいくらでもいる。私がこの国に来ても、困る人はいないだろう。
私の親や友人は寂しく思うかもしれないし、私だって本当は日本に残りたい。だけど、私が日本を選ぶのだとしたら、この手を離さないといけない。それは、身が切れそうな思いだった。
賢吾の言った「恋愛と結婚は違う」という言葉が蘇る。この世界に移住する、なんて、無謀な選択なのかな? 苦しくなって、結局ダメになってしまうのが怖い。
それならば、傷が浅い内にやめておくべきなのだろうか。だけど──
あまりにも重い選択に、頭がクラクラとしてきた。学校のテストみたいに正解なんてないのだから、余計に苦しい。今の私は一体何を選んだらいいの……?
「ルリ?」
何も喋らずにいると、ディランに顔を覗き込まれる。私はできるだけの笑顔で微笑む。
「ディランの家はどんなところだろうなーって思ってた」
「大したところじゃないよ」
そう言ってディランも笑う。そこは、私の家にもなる場所だ。ちゃんと見ておかなくちゃね。
私はディランの手をきゅっと握り直して、一緒に転移室へと向かった。




