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35話

 食堂も立派な屋敷にふさわしい広さだった。10人くらいが余裕で座れそうな広いテーブルに、椅子は5脚しか置いていない。そんなテーブルの上には、無人なのにも関わらず食事が用意されていた。


「通いの侍女がいるんだ」


 ディランはそう説明しながら、食事に向けて手をかざす。すると、驚くことに食事から湯気が出始めた。


「これも魔術?」

「そうだよ。魔術で温めてる。このくらいの魔術なら呪文を唱えなくてもできるんだ」


 転移の魔術もそうだけれど、食事を温めるのも魔術でできるなんて。ディランの中にあらゆる電化製品が揃ってる、みたいな感じだ。これなら文明が発展していなくても、日本よりも遥かに便利だと思う。


 ディランが椅子を引いてくれて、私はそこへ座る。ディランが注いでくれたのは、赤くてドロドロとした飲み物だ。くんくんと匂いを嗅いでみると、アルコールの匂いが!


「この前の果実酒とは別の果実酒だよ」

「ありがとう」


 正直とても嬉しい。初めての世界にやってきて、気疲れもあったから、お酒に酔いたいと思っていた。広い食堂で二人だけの食事が始まる。私はディランとグラスを合わせて、まずは果実酒を飲んでみた。


「身体に良さそうな味だ……!」


 野菜ジュースのお酒バージョンというような味だ。これを飲んでいるだけで栄養が取れそう。それなのにちゃんとアルコールは感じるから、お酒だけ飲んで生きていきたい人にぴったりに思える。


 だけど、目の前には豪華な食事。私はそちらにも手をつける。


 チーズと生魚の前菜っぽいもの、葉物のサラダ、スープ、何かわからないけれどフライ、貝など魚介の洋風煮だ。どれも、ちゃんと食欲をそそる見た目をしている。


 異世界なのだからと覚悟していたけれど、昼食も夕食も素材が見たこともないものなだけで、調理法は地球でもありそうなものだ。おかげで安心して食べられる。


 そっと口にすると若干どれも薄味だけれどどれも美味しい。身体に良さそうなものばかりなので、普段外食かコンビニ弁当ばかりの一人暮らしOLにとってはありがたいラインナップだ。この旅行で健康的になれるかも、なんて思ったり。


「ジュークさんは夕食大丈夫なのかな?」

「ジュークはジュークで部屋で食べてるから大丈夫だよ。起き上がる元気もないと思うから」

「そんなに……」


 一瞬会っただけのジュークさんを思うと申し訳なくなる。私をこちらに呼ぶために体調不良になってしまったんだから。


「その分こき使ってるんだから、気にしなくて平気だよ」

「ディランも、ありがとね」


 どのくらいこき使われるのかわからないけれど、もしジュークさんみたいに体調が悪くなるくらい魔術を使わなきゃならないなら、申し訳ないと思った。だけど、ディランは、


「俺がルリをこっちに呼びたかったんだからいいんだよ。それに、長く一緒にいられるからね」


 と、私を安心させるようなことを言ってくれる。ディランはいつも私の心を和らげてくれる。本当に優しいんだよね……。


 ディランに言われて気がついたけれど、私達は今まで最長6時間しか一緒にいたことがない。今日はもう既にそれを越えている。それに、あと2日も一緒にいられるなんて、やっぱり私も嬉しい。


「明日はどうしようか?」


 ディランもニコニコとしながらそう聞いてくれる。


「もう少し王都を歩いてもいいし、他の場所に行ってもいいよ。ロンド王国内なら、大抵の場所は転移できると思うから」


 どこでも行けるなんて便利すぎる。日本人なら誰でも一度は夢見るであろう、扉を開けば別の場所へ! が現実になったような感じ。


「自然の多い場所が多いけど、王都の他にも大きな街はあるよ。芸術で有名な街とか、買い物ができるお店が多い街とかね」


 ディランの話を聞きながら、どこに行きたいだろうと考える。それで、私はふと思いついた場所があった。


「ディランの家には行けるの?」

「俺の?」


 私が予想もしなかったことを言ったのだろう、ディランは素っ頓狂な声を出す。


「行けるけど、何もない山の中だよ?」

「それでもいいから行ってみたいな。だって、いつも夢では見てるけど、触れることはできないじゃない?」

「ああ、なるほど、そうだよね」


 ディランはニコリと微笑んでくれた。


「面白くないと思うけど、それでもいいならすぐに行けるよ」

「じゃあ行ってみたいな」

「わかった」


 夢の中で見ているからっていうのもあるけれど、本当はディランの暮らしている場所が見てみたいのもあった。普段どんな場所で暮らしているのか、覗いてみたかったから。


 そうして明日の予定も決まって、夕食を終えた。



 食後には広すぎるお風呂に入ることもできた。個人の家なのに、口からお湯が出ている石像が置いてあるお風呂に入れるなんて、世界が違いすぎる。


 ちなみに、お湯はジュークが組んだ魔術によって出しているらしく、一般家庭では自ら沸かして入れているのだとか。魔術が使える人間とそうでない人間の生活レベルが違いすぎる。


 この世界は驚くことばかりだ。温かい湯船に浸かりながら今日一日を思い返す。


 想像の範囲内の世界であったことは安心したけれど、やっぱりいろんなことが違うんだよね。一番の違いは魔術。日本にいる時と違って、気軽に魔術を発動させているディランを見ていると、本当に魔術師なんだって今更ながらに痛感する。


 ディランとちゃんと話をしなきゃ……


 日本で暮らすのか、このロンド王国で暮らすのか。思っていたよりも暮らしやすそうな世界だけれど、ここには私の知り合いがいないことに違いはない。


 私が悩んでいることを知ったらディランはなんて言うだろう。そう思うと胸が苦しくなる。


 ディランと長い時間一緒にいられる楽しい旅行だけれど、この現実から目を背け続けるわけにはいかない。お風呂から上がったらちゃんと話をしよう。そう決意をして私は湯船から上がった。



 お城みたいな豪華なお屋敷をパジャマ姿で歩く。何だか酷く場違いで悪いことをしている気分だ。ディランに言われた通りお屋敷には誰もいないみたいなんだけど、それでも誰にも会わないように祈りながら歩いて部屋に戻った。


 部屋ではローブを脱いでラフな格好になったディランが椅子に座って何やら本を読んでいた。私が部屋に入ると、本から顔を上げて微笑んでくれる。だいぶ見慣れたはずなのに、不意打ちのその笑顔に胸を撃ち抜かれた。


「迷わなかった?」

「うん、大丈夫」


 私は肩にかけたタオルで髪の毛の水分をパタパタと取っていく。


「そこに座って。乾かすよ」


 ディランは自分の座っていた椅子を譲ってくれて、そこに私が座る。私の後ろに立ったディランがそっと髪の毛に触れると温かい風を感じた。


「魔術で乾かしてくれてるの?」

「そうだよ」


 なんて便利なんだ魔術!


「だけど、こんなに魔術使って大丈夫なの? 転移だってしたし」

「全然平気だよ。今使ってるような魔術はほんの少ししか魔力を使わないからね」

「それならよかった。ジュークさんの体調不良を見ると心配になっちゃって」

「ありがとう」


 顔は見えないけれど、ディランが笑ったような気配がした。


「ディランが魔術使ってるの初めて見たけど、すごいね。便利だよねぇ」

「日常的に使うような魔術は、そうだね。なかったら不便かもね」


 日本では使えないんだよね。そうしたらやっぱり不便になるよね……


 そう思うとふわりと浮き立った気持ちが沈んでいくのを感じる。そのタイミングで、


「はい、もう大丈夫だよ」


 と、ディランに声をかけられた。髪の毛に触れると、すっかりと乾いている。


「ありがとう、ディラ……」


 お礼を言って振り返ろうとすると、身体をぎゅっと包まれた。後ろから抱きしめているディランの腕が、しっかり男の人の腕でドキリとする。


「ルリ」


 耳元で囁かれた名前はどこか色気をはらんでいた。その時、今更ながらに今日はこの部屋で一緒に過ごすんだということに気がつく。


 もういい大人なのに、ドキドキとしてダメだ。あらゆるものがどこかへ行って、頭が真っ白になってしまう。


 わんこのように懐いてくれている時は可愛いなーと、思うのに、こうしている時はちゃんと男の人なんだ。やっぱりディランのことが大好きだな、と思いながら、ドキドキを抑えるためにディランの手にすがるように触れた。


 私の肩にディランの赤毛が乗る。


「今日はディラン、夢には出て来ないのかな?」

「出てきてほしい? 魔法陣を描いて魔術を発動させておけば出て来れるけど」

「……ううん、だって隣にいてくれるんでしょ?」

「もちろん」


 至近距離で目が合うと、ディランは蕩けるような笑顔を浮かべた。ずるいなぁ、もう。


 いろいろと考えなければならないことはあるけれど、そういうのはすべて置いておいて、ディランと過ごす幸せな夜をゆっくりと過ごしたのだった。


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