33話
「ルリ、目を開けても大丈夫だよ」
眩しい光が収まって、すぐ近くからディランの声が聞こえた。恐る恐る目を開けると、そこには赤毛で毛先だけが金髪のディランが笑顔で立っていた。
「ディラン!」
私は旅行かばんを置いて、ディランへと手を伸ばす。ディランはその手を掴んで、
「いらっしゃい」
と、微笑んでくれた。初めての魔術、転移するとあって、どんな感覚になるのだろうと不安だったのだけど、驚くことにただ眩しかったくらいで身体への負担は一切なかった。これでディランの国に来れるのだから、国内旅行なんかより遥かに楽だ。
「無事に成功してよかった」
ディランは私の頭を撫でる。それだけで強張っていた身体がほぐれて温かい安心感が身体に染み渡っていった。
「何が無事に、だ」
後ろから無愛想な声が聞こえてビクリと身体を震わせる。振り返って見ると、そこには椅子に身体を預けている顔色の悪い銀髪の男性がうんざりとした表情でこちらを見ていた。
すっかり忘れていたけれど、私をこちらへ転移させるのに別の魔術師が力を貸してくれていたのだ。彼がその人だろうと想像がついて、私は慌ててディランから手を離す。人前で、それもディランの知人の目の前でいちゃつくなど、なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろう。
「酷い術式だ。これじゃあ魔力を根こそぎ持っていかれる」
しかし、魔術師ことジュークの不満は私達がいちゃついていたことではなく、魔術のことに対してらしかった。
「だからジュークに頼んだんじゃないか」
「俺に頼る前に魔法陣の構築を見直せ」
「ジュークも見ただろう? この魔法陣はこれで完結されていて、組み直すのにはかなりの苦労が必要なんだ。特に日本への転移の術式なんかは、新たに編み出す必要がある」
「わかっているが、こんな非効率な魔法陣だとは」
ジュークは綺麗なターコイズブルー色の瞳を歪めて苦い顔をしている。ディランよりもさらに肌が青白く、体つきも細い。一見すると病人にしか見えない出で立ちだった。
「とにかくありがとう、ジューク。おかげでルリを呼ぶことができた」
「あ、ありがとうございます」
私も慌てて頭を下げる。顔を歪めて額に手を当てたジュークは、
「ひとまず俺は休ませてもらう」
と、言って立ち上がった。壁に手をついて辛うじて身体を支えているが、すぐにでも倒れてしまいそうだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「いくらジュークでも魔力を使いすぎたんだね。俺の魔力じゃ到底成功できない魔術だよ」
ディランは困ったように微笑む。
「魔力を使いすぎるとこんなに具合が悪くなるものなの?」
「そうだよ。魔術師も結構体力勝負なんだ」
知らなかった。このジュークの様子を見るに、身体に酷い負担があることがわかる。もしかしたらディランも日本に来た後はこんな風に具合を悪くしていたんじゃないかと思うと、今さらながらに申し訳なくなった。
「2日後までに回復させておいてね」
そんなジュークにディランは容赦ない要求をつきつける。
「誰に言っている。それより、この女が帰ったあとは覚えておけよ」
ジュークはヘロヘロになりながらも、そんな捨て台詞を吐いて部屋から出ていった。
「覚えておけよって大丈夫なの、ディラン?」
「ああ、うん。仕事を押し付けられたり、ルリを呼び出した魔術の魔法陣について改良を要求されたり、そういうことだから大丈夫だよ」
とても大丈夫そうには聞こえないことだったが、要はしばらく仕事の手伝いをさせられる、ということなのだろうか。
「それより、ルリ。まずは部屋に荷物を置いて、何か食べに出ようか」
ディランはそう言って私の旅行かばんを持ってくれる。ジュークのことも気になるけれど、いよいよ異世界観光が始まるのだ。私は頷いてディランの後に続いて部屋を出た。
ジュークの家は、家と呼んでいいのかわからない程の広い家だ。廊下には赤い絨毯が引かれ、先を見通すのがやっとの長さ。
「ここお城じゃないの?」
思わずそう呟いてしまった程だ。
「アラスガルドの屋敷だよ。伝統ある家柄だからね、屋敷も立派なのさ」
「へ、へぇぇぇ」
腰が引けてしまう。まるで教科書に載っているようなヨーロッパのお城のようだ。
「ジュークはここに一人で住んでいるんだ。もったいないよね」
私の一人暮らしとは規模が違いすぎる。廊下の面積ですら私の部屋よりも大きいだろう。
「寂しくないのかな?」
「寂しかったら今頃結婚してるよ。魔術のことで頭がいっぱいだから、寂しいなんて思う暇もないんだろうね」
そういえばディランも山奥に一人で住んでいると言っていたっけ。魔術師というものは一人でも生きていける人種なのかもしれない。
「ここを使おうと思う」
ディランはそう言って廊下の突き当りの扉を開けた。そこは私の部屋の2倍はあるくらいの部屋で、大人が3人は眠れそうな大きさのベッドと小さなテーブルと椅子2脚が置かれている。
「どこを使ってもいいって言われたんだけど、俺が前に使っていた部屋を借りることにしたよ」
「ここにディランが住んでいたんだね」
「うん。今でも王都に用事がある時はたまに使わせてもらうよ」
「そうなんだ。ディランはジュークと仲がいいんだね」
「仲がいい……」
ディランは難しい顔をしてその言葉を復唱した。
「ルリとケイコみたいな友達とは違うけど、まぁ一緒にいてもいいかなって思えるレベルかなぁ」
休日には一緒に過ごしたくないけれど、仲のいい同僚、みたいなものだろうか。
「さ、出かけよう」
ディランに手を引かれて、私は今度こそ異世界観光へ出かけることになった。




