32話
その週、ディランは一度夢に出てきただけで、あとは私がディランの国に旅行をする準備が忙しいようで、夢に出てこなくなった。どちらの国に住むのかうんぬんの話は夢でするような話ではないし、その話をしないまま普通に振る舞うことも難しかったので、私としても助かったところはある。
だけど、それと寂しいと思うのは別の問題であって。賢吾に会って気持ちを揺らされて、いつもよりディランに甘えたい気持ちがある。それなのに、それができないのは辛いことでもあった。
週末には初めて3日もディランと一緒にいられるんだから、と自分を励ますけれど、いずれ住むことになるかもしれない異世界へ行く不安もあり、落ち着かない一週間を過ごした。来週月曜日は有給をもらうことになったので、その分の仕事をカバーするためという名目で、急ぎではない仕事のために残業をして気を紛らわせたりしていた。
ディランが「気をつけて」と、言った高達さんとは会社で特別話すこともなく、迎えた金曜の夜。久しぶりにディランが夢に出てきた。
『ルリ、元気?』
「私はね。ディランは大丈夫?」
『まぁ……うん』
ディランは苦笑している。珍しく疲れているように見えた。
「私のために無理してるんじゃない?」
『うーん』
歯切れの悪いディランをじっと見つめる。ディランも私が教えてくれるまで聞き続けるということを悟ったのか、困ったような表情をしながら、
『ちょっとこき使われててね』
と、教えてくれた。
「上司か何かに?」
『いや、ルリをこっちに連れてくるのに協力してくれる魔術師だよ』
「ああ、えーっと、確か知り合いの魔術師だっけ?」
『そうそう』
ディランは打ち明けたことで隠す必要がなくなったのだろう、疲れた様子を隠さずにため息をつく。
『数日使い物にならなくなるから、今のうちに仕事を手伝えって頼まれてさ』
「私がディランの国に行くためにそんなことに……」
『俺がルリに来てほしいんだから、ルリは気にしなくていいんだよ』
私に気を使わせないように笑顔でフォローしてくれる。優しいなぁ。
「どんな人なの?」
『貴族なんだけど魔術のことばかり考えてる変人だよ』
そういえばその魔術師のことについて何も聞いていなかった、と尋ねてみると、変人、とディランは言い切った。
『俺が魔術の勉強をするのにそいつの家に居候させてもらったことがあって、それが出会いなんだけどね。昔から魔術のことしか考えてないやつでさ』
私からしたらディランも相当魔術が好きなんだろうと思うのだけど、どうやらそれ以上のお人らしい。
『俺をこき使ってるのも、ルリの国との移動で使ってる魔法陣の研究がしたいだけなんだ。初めて見る魔法陣だから、興味があるみたいでさ。魔法陣の改良とか魔術の発動に手を貸してくれるのはいいんだけど』
私の知らない魔術師仲間の話をするディランは何だか新鮮だ。
『こうなったら、俺がルリの国に行く時、毎回あいつに魔術を発動させようかな。そうしたらもっと長時間いられるはずだよ』
「すごい魔術師なんだね」
『魔力量が馬鹿デカいんだよ。魔法陣の改良とかは俺の方が得意』
「そうなんだ!」
普段のディランは自分を持ち上げるような発言はしないけれど、魔術に関してだけは別らしい。やっぱりディランも魔術が大好きなんだな。
ディランに魔術師をやめてほしくない、と思うと胸がもやもやとしてきて、それを誤魔化すように笑顔を浮かべる。
「私もその魔術師さんに会えるんだよね?」
『もちろん! 会わせたくはないけどね』
「どうして?」
『絶対質問攻めに合うよ。どんな国なんだとか、魔術はないのかとか。失礼なやつだから心配だよ』
「なるほど」
異世界人がやってくるんだもんね。それは確かにいろいろ聞いてみたくもなるかもしれない。
『だけど、今回はそいつの家で厄介になることにするよ』
「泊まっても大丈夫なの?」
『貴族だから家は広いからね。魔術師は別の人間の魔力を嫌うから、侍女とかはいないけど』
「き、貴族の家……」
貴族とか侍女とか、なんだか急にファンタジーの世界だ。貴族の家になんてお邪魔してもいいんだろうか。マナーが心配だ。
『彼の名前はジューク・アラスガルド。扱いにくい男だけど、俺が守るから安心してね』
「う、うん」
こればかりはディランに頼るしかない。とりあえず明日は持っている中で一番まともな格好で行こうと思った。
そうして迎えた旅行当日。私は朝から支度をしてディランのことを待っている。何を持っていけばいいのかわからなかったので、普通の旅行に持っていくようなものを準備した。
3日分の洋服、化粧道具、お風呂で使うシャンプーやリンス。そもそもお風呂があるのかも謎だけれど、ディランも清潔にしているし、きっとあるのだと信じることにする。
あっても使えないだろうと思い、スマホの充電器ケーブルやヘアアイロンは置いていく。使えないけれど写真は撮りたいし、と、スマホと携帯の充電器は持っていくところは日本人ならでは。
そうして準備をして部屋で待っていると、
『……リ、ルリ?』
と、頭の中にディランの声が響いた。
「ディラン?」
口に出して問いかけながら、胸にかけたネックレスを見ると、赤い魔石が光を放っている。
『よかった。ちゃんと繋がっているね。ジューク、どう? いけそう?』
『誰に聞いている』
ディランのものではない、無愛想な声が聞こえた。この声の主は、もしかしなくてもディランの魔術師仲間なのだろう。
『じゃあルリ、こっちに転移させるね。目をつぶって、しばらくじっとしていて』
「わかった」
本当にディランの国へ行くんだ! そう思うと胸がドキドキしてくる。私が魔術で異世界に転移する。どんなファンタジーだ! だけど、これが私の現実である。
ディランに言われた通りに目を閉じていると、目の前が眩く光る。私はより強く目を閉じて、ただ旅行かばんを握りしめたまま立ち尽くしていた。




