29話
飲み会は1時間半を過ぎた。ラストオーダーで頼んだお酒もほぼなくなって、そろそろお開きだ。
私はハイペースにお酒を飲んで、考えなければいけないことを頭の隅に追いやった。今は考えないようにしよう、と決めたら、本当に頭からその悩みが消えていく。
若い頃にはこうはいかなかったと思うけれど、大人になるごとに感情のコントロールが上手くなっている気がする。逃げていると言われたらそうなんだけど、時には逃げることも大事だと、この年になって思うのだ。
初めこそ質問攻めにあっていたディランだったが、今は景子も落ち着いて普通の会話が続いている。主に会社の愚痴とか、景子と高達さんの話とか。
ディランは退屈じゃないかなぁと心配になったのだが、実に楽しそうに聞いていてホッとする。聞き上手だなぁ。
「いやぁ、でも本当によかったよ」
支払いのお釣り待ちの時、眠たそうな目をした景子が私とディランのことに話を戻す。
「瑠璃がちゃんとした彼氏見つけてくれてさ。ディラン、すごくいい人じゃん」
「景子も幸せでしょ?」
「まぁね。だけどさ、あたしは瑠璃の方が心配だったわけよ」
残っていたお酒を飲み干して、景子は目を細める。
「瑠璃が夢の中で架空彼氏を作った、なんて言った時にはとうとう頭おかしくなった! って本当に心配したんだからね」
「その話は……」
「彼氏が魔術師だ、とか言っちゃってさ」
景子はケラケラと笑う。やばい! その話は! 高達さんにしばらくバカにされそうだ。
そう思っていたのに。
「魔術師?」
高達さんは驚いたような顔で聞き返してきたのだ。
「翼さん、なーに真面目な顔してんの? 瑠璃の夢の中の話だって。彼氏が全然できないから、相当切羽詰まってたんだね」
「夢……」
何かを考え込むようにそう呟いて高達さんは顎に手を当てた。何? その反応?
「さ! 帰りましょ!」
何で高達さんがそんなファンタジーみたいな言葉にそんな反応を示したのか、尋ねる前に景子が立ち上がったのでうやむやになってしまった。
「お疲れ様、ディラン」
帰りの電車の中。ディランにそう声をかけると「楽しかったよ」と、言ってくれる。
「ケイコは面白い人だったね」
「今日は酔ってたから余計にね」
景子はサバサバしていて付き合いやすい大事な友達だ。ディランもいい印象を持ってくれたみたいでよかった。
「ツバサは不思議な人だったけど」
ディランの国では人を名前で呼ぶのが普通なのか、7歳も年上の高達さんのことを名前で呼んでいる。
「不思議って?」
私が尋ねると、ディランがぐいっと耳元に顔を近づける。突然狭まった距離感にドキッとした。付き合ってしばらく経つけれど、なかなか慣れない。
「魔力を持ってる」
「え?」
耳元で囁いたのは、周りに聞かれたくないことを伝えるためだったのだ。私は恥ずかしさを一瞬で忘れて聞き返す。
「高達さんが?」
「うん、前にも言ったと思うけど、この世界の人間はほとんど魔力を持っていない。持っていても微量だ。だけど、ツバサは違った。量が多いんだ」
「そんな」
高達さんが魔力を?
「俺よりも少ないけど、この世界で今まで見かけた人間の中では一番多かった」
「魔術が使えるってこと?」
「方法を知っていれば、簡単な魔術なら可能かもしれないね。この世界には魔術がないって話だから、知らないのなら本人に自覚はないと思うけど。でも、ツバサは違うかもしれない」
「どういう、こと?」
ごくりと唾を飲み込んだ。急展開すぎて、心臓が嫌な音を立てている。
「魔術師という言葉に反応したのは気がついた?」
「ああ……」
帰り際、景子が言った魔術師という言葉に妙に反応を見せていた。それって、まさか──
「高達さんは魔術師?」
「俺の国と関係があるのかはわからないけど、何かを知っているのかもしれない」
ディランは私の両肩を掴んだ。
「ツバサには気をつけて、ルリ」
頭がついていかない。高達さんが魔術師? そんなまさか。今の私は、心配してくれているディランに向けて頷くことしかできなかった。
「ルリの次の休みっていつ?」
家に戻って帰り際。ディランにそう尋ねられた。
「えっと、7日後だよ」
「わかった。じゃあ、そこから2泊3日でロンド王国に来ない?」
「あ……うん。たぶん大丈夫」
月曜日に有給をもらう必要があるけれど、仕事も落ち着いているし大丈夫だと思う。楽しみにしていたディランの国への旅行だけど、忘れていたはずの高達さんの言葉が蘇ってきて素直に喜ぶことができない。
『吉岡さんって、海外で暮らしたいタイプには見えないからさ』
ディランの国に住むということ。浮かれていてちゃんとした現実として考えられていなかったんだと思う。日本を離れて別の世界で暮らすということがどういうことか。
「その日程で調整してみるね。決まったらまた夢で報告する」
「……うん」
ディランにこの気持ちを打ち明けようかと考える。優しいディランはそう言ったら自分が日本に来ると言うだろう。日本に単身別世界に来ることになるのはディランだって同じなのに。
好きな仕事も捨てて日本へ。それを強いることが私にできるとは思えなかった。
「ルリ?」
頭の中がごちゃごちゃで、私はディランに抱きついた。単純に顔を見られて悩んでいることがバレるのが嫌だったし、今はディランの胸の中に逃げたいとも思ったから。
ディランは私を抱きしめかえして頭を撫でてくれる。
「ルリがロンド王国に来ること、楽しみにしてるよ」
「……うん」
初めてディランに嘘をついているみたいで、苦しくて堪らなかった。




