10話
「はあぁ~」
私は絶賛落ち込んでいる。自分の仕出かしたお酒での失敗に。
あんなに悪酔いするなんて思わなかったんだ。いつもあそこまでは酔っ払わないので、家でリラックスしていたのが悪かったのかも。もうしばらく飲まないぞ……と、心の中で誓う。「焼酎は」と、小声で付け加えて。
「何よ辛気臭い。ダイエットしてるつもりが逆に太ってたから凹んでんの?」
「冷たいな景子さん……太ってないしな!」
私はコンビニで買ってきたサラダをつついている。これはダイエットのためじゃなく、二日酔いで頭が痛いからなのだ。
「昨日お酒飲んで悪酔いしちゃってさ……」
「瑠理が二日酔い? 珍しいね」
「だよね」
私は滅多に二日酔いも悪酔いもしたことがない。だけど、年齢からか、家飲みの威力か、こんなことになってしまった。
「仕事は落ち着いたんでしょ? 今日は早く帰れば?」
「いやぁ~……」
帰ったら寝なきゃならないでしょ? 眠ったらディランに会うでしょう?
どんな顔して会えばいいって言うんだ。恥ずかしくて頭を抱える。
昨日ディランに毎日会えて嬉しいか、と聞かれて嬉しいと答えたけど、今日みたいに会いたくない日にも会わなきゃいけないのは確かに辛いかも。いつまでも逃げてるわけにもいかないんだけどさ……。
「景子もお酒強いけど、悪酔いしたことないの?」
「たまーにあるよ。具合悪くなって動けなくなるやつ」
「絡み酒とかは?」
「絡み酒ぇ?」
景子は顎に手を当てて「うーん」と、考えている。
「外で一人で飲んでたはずが、朝起きたら隣に知らない男が寝てた、とか?」
「そんなドラマみたいなこと、本当にあるの!?」
それは初耳だ。私は顔を上げて身を乗り出す。
「ま、ドラマみたいなロマンチックな話はなかったけどね。20も年上の男だったし」
「それは結構上だね……」
本当に景子はろくな男に引っかからない。こんなにいい女なのに!
「あんたも酔った勢いで何かしちゃったの?」
「景子ほど悲惨な事態ではないけど……まぁちょっとね」
はぁ、本当にどんな顔をしてディランに会えばいいんだろう。27歳にもなってあの失態、恥ずかしすぎて死にそう。
どんな時でも夜も眠気もやってくる。ようやく仕事も落ち着いて早く帰ることができたし、二日酔いの頭痛のせいで疲れてもいた。だから、結局いつもより早くベッドに入った。
(どんな顔して会ったらいいかわからないけど……)
でも、結局は眠るしかないのだ、と腹を括って目を瞑る。そういえば、今日でディランが夢に出てきて一週間だ。その間劇的な変化があったな。そんなことを考えながら眠りに落ちていった。
「……は?」
早く寝たおかげでいつもより長く眠った私は清々しい朝を迎えていた。だけど。
「ディランが夢に出てこなかった……?」
私はベッドの中で呆然としていて、遅刻ギリギリになってしまった。
今まで一週間、ディランが夢に出てこなかったことなどなかった。ディランが夢に出てこなかったのは初めてのこと。
今更になって、どういう仕組でディランが私の夢に出てきてくれるのか、聞いておけばよかったと後悔した。
私は仕事中もディランが何故夢に出てきてくれなかったのか、繰り返し考える。私が寝る時間が早いと出てきてくれないのか、何かトラブルがあったのか。もしくは、前日に私が仕出かした失態にディランは呆れてしまったのか。
そう考えると胸がきゅうっと痛む。
さらに最悪な事態は、すべてが私が作り出した夢の中の出来事で、ディランは実在しないのだとしたら──
どうしようもなく気分が落ち込んでしまい、仕事どころではなくなった。景子にも同僚にも上司にも心配させてしまって、結局定時で強制的に帰らされる。高達さんには、
「恋の悩み?」
と、何ともストレートに尋ねられてドキリとした。肯定することもできなくて「いえ……」と、曖昧に流したけれど、何となく誤魔化しきれなかったような気もする。
そんなことより、ディランだ。私は家に帰って正座でベッドに座って考え込んでいる。いつものように日付が変わってから眠るべきだとは思うのだけれど、早く眠って確かめたいような気もしていた。
もし、今日ディランが夢に出てこなかったら、彼は私が作り出した幻なのだ。そう思うことにしようと決めた。曖昧な状態が嫌いな私は早く確かめたいと気持ちが逸っている。
ひとまずシャワーを浴びてから、スーパーで買ってきた三割引のお弁当を食べる。今日はお酒はなしだ。準備万端にして、結局22時にはベッドに入った。
明日は休みだ。ディランに会えなければ一人で落ち込むだけの時間はある。覚悟を決めて目を閉じた。頭が冴えてなかなか眠ることができなかったけれど、恐らく一時間程かけて、ゆっくりと眠りに落ちていった。
『ルリ』
目の前に満面の笑みのディランが立っている。
『ようやくできたんだ! いろいろと考えて、一つの考えに行き着いた。魔術を改良してね、今日試してみたいことがある。これが成功したら、もしかしたら……』
「ちょっと待って」
挨拶もなく興奮気味に話すディランを私は一旦止めた。『ん?』と、無邪気に首を傾げるディランを見て、私は震える。
「何で昨日夢に出てきてくれなかったの?」
思っていたよりも低い声が出た。ディランも私の異変に気がついたのだろう、ハッと笑顔を消して眉尻を下げた。
『ごめん、魔術の改良に夢中で眠るのを忘れていて……』
「……なんで」
行き場のない怒りが自分の中に渦巻いていくのがわかる。ディランは悪くない。ディランに当たるのは筋違いだ。
私がまだ10代だったなら、ディランの気持ちなんて考えずにわめき散らしたのだと思う。だけど、私はアラサーだ。もう自分の感情に振り回される子供ではなかった。
それでも、一日分の不安を自分の中に収めて笑うことのできる大人でもない。アラサーの私はそんな中途半端な子供大人だ。
じわりと視界が歪んでいく。夢の中でも泣けるんだ、なんて頭の中の冷静な自分が感心するのと同時に、一滴涙が頬を伝って流れ落ちた。
『ルリ……!』
ディランが駆け寄ってくる気配がする。涙を拭うのも億劫でそのままにしていると、ぼやける視界の向こうでディランが何かを突き出した。
『これを持って、ルリ!』
「何……?」
思考が停止気味の私は言われるがまま手を前に出す。すると、ひんやりとしていて重みのあるものが私の手のひらに乗った。
ん? 待って、感触がする?
『ルリ、一旦夢の中から起きて!?』
どこか必死な声色のディランを見る。
『俺を信じて、頼むよ!』
一度、ディランから逃げたくて無理矢理に目覚めたことがあった。あの時みたいに起きたいと強く思えば起きられるのだろうか。
確かにこんなアラサーの女がめそめそと泣いている姿を見せるのも忍びないしな、と、私はディランに言われるまま起きたいと願ってみる。すると、ただでさえぼやけている視界がさらにぼやけてきた。
『待ってて……!』
ディランのそんな叫びを最後に、私は再び狭いワンルームマンションのベッドの上に浮上した。
「何だ、現実でも泣いてるじゃん」
ゆっくりと起き上がると、頬が冷たい。拭おうと手を持ち上げると……
「あれ?」
私は何かを握りしめている。枕元に置いてあるリモコンで部屋の明かりを付けてから見ると、私の手の中にはチェーンがついた赤い宝石があった。
「なにこれ……」
そう呟いてから、思い当たる。そうだ、私は夢の中でディランに何かを渡された。これはもしかして、ディランがくれたもの?
いや、疑う余地もなかった。私はこんな大きな宝石を持っていない。
「やっぱり存在するんだ、ディラン……」
私は宝石を握りしめて自分の額に持ってきた。ひんやりとした感触が心地良い。信じて良いのかわからなかったけれど、これではっきりとした。ディランは存在するのだと。
これはディランが持っていたものなのだろう。と、すると、この宝石はディランのもの。未だ触れ合うことのできない私達が始めて繋がった。
ぽろりと新しい涙がこぼれた。これはさっきの涙とは別物だ。私はディランが存在してくれていて嬉しい。いつの間にか私の中でディランの存在がとても大きくなっている。
私は本当にディランのことが好きなんだ。
カッと目が熱くなって慌てて額から宝石を離すと、宝石が発光している。
「え、ちょっ……!?」
眩しくて目が開けていられない。ぎゅっと目を閉じると──
「ルリ!」
「え?」
先程会ったばかりのディランが狭い部屋の真ん中に立っていた。あれ、いつの間に私、また眠ったのだろう。眩しすぎて気を失ったとか?
ディランはどこか泣きそうな顔で一歩二歩と近づいてきて……
「……ルリ」
私はディランに抱きしめられていた。
「え、ちょ、ディラン?」
「ごめん、ごめんね、ルリ。不安にさせたんだよね」
ディランの力はひょろっとした見た目に反して強い。そして、何より温かい。
少し押し返して、ディランの顔を視界にちゃんと収める。ゆっくりと手を伸ばして、ディランの白い頬に触れてみた。ふにっと柔らかい感触がする。
「嘘でしょ……もしかしてディラン、こっちの世界に……?」
私の目の前にいるディランはちゃんと人間だ。温かくて触れられて生きている。思えば、ディランの声は夢の中と違って頭の中に直接響いてくるものではなく、耳からしっかりと聞こえていた。
「一時的にね。恐らく今の魔法陣だとあまり長時間はいられない」
「私に会うために徹夜して研究してたってこと……?」
「だって、会いたかったんだ」
苦しげな顔でディランは言う。
「会ってこうして触れたいと思った。ルリがあんまり可愛いから」
「か、可愛いって……それ、私に向けて言ってる?」
「当たり前だろう」
今度はディランは怒ったようだ。少しムッとして私の背中に回した手に力を込めた。
「あんなに可愛く『触れたい』ってお願いされたら、俺だってルリに触れたくなる」
真剣に言われて、途端に心臓が跳ね回る。ディランの真っ直ぐな愛情が伝わってくるようだった。
「だけど、ごめん。そのせいでルリを不安にさせた」
「それは……うん、もういいよ」
今度は私は心から笑うことができた。私が不安になったのは、ディランのことを心から信じきれていなかったことも原因にある。だから、おあいこだと思ったのだ。
「私もちゃんと魔術の仕組みを聞いてなかったのが悪かったしさ。ディランも眠らないと会えないんだね」
「そう。お互いに眠っている状態で夢を繋げるような術式を組んでいる。だけど、これからはこうして実際に会えるようにもしていくからね」
ディランは私の手に握られた赤い宝石を撫でる。
「これは魔石。俺の魔力が込められている石だ。これをルリが持っていてくれる限り、俺はここに来ることができる」
宝石だと思っていたこの石は魔法の道具だったらしい。見た目は宝石にしか見えないので、いつも身につけていても支障はないように思う。
「俺の魔力量は多くはないから、来れる時間と頻度は限られると思うけど、いずれずっと一緒にいられるように改良を進めるから。それまではこれを持って待っていてほしい」
真剣にプロポーズのようなことを言われて顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。酔っ払って尋ねた時にもディランは私と結婚したいって言ってくれたんだっけ。
ちゃんと受け止めなきゃ。これは紛れもない現実なんだから。
「ディランは……こっちの世界に来るつもりなの?」
「そのつもり。ルリと一緒にいたいから」
いつもは子犬みたいなディランが今は大人の男に見える。こんなに誰かに真っ直ぐな気持ちを伝えられたのは初めてのことだった。
「そろそろ時間だ」
ディランが顔を歪めて、もう一度私のことをぎゅっと抱きしめた。
「好きだよ、ルリ」
温かいディランの匂い。初めて嗅ぐのに、妙に落ち着く匂いだった。
もうそろそろ、私はちゃんと認めなきゃならないんだと思う。顔を上げて、ディランを見上げる。
「私もディランのこと、好き」
「……ルリ」
照れながらも告白すると、ディランの顔が蕩けるような笑顔に変わった。その顔を見ただけで体温が跳ね上がった気がする。
「また夢の中で」
「うん、またね」
そうして私を抱きしめながら、ディランは再びの眩い光と共に元の世界に戻っていった。




