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2 黄金の蜂蜜酒

「俺、異世界転生したんだよ」


 飯田橋のボードゲーム・バー、グリュックのカウンターで俺は言った。


「今日もいい感じですね」


 ゲームバーなのに落語好きで和服の女将が酔っぱらいの戯言と、笑って流す。正面では、小粋な服装のマスターが、頼んだヤドヴィガをワイングラスに注ぐ。


 ポーランドのアピス社の蜂蜜酒ミードの中でも、最高級品。たっぷりの蜂蜜を使い、十年、ハーブを漬け込んで熟成した一品だ。


 当然、美味い。

 口に含むだけ陶然となる。

馥郁たる香り。


「ふくいく」か。こんな時でもなきゃ使わない言葉だ。


「Tさんは蜂蜜酒が好きですね」


 ああ、もう何年前になるかな。

 クトゥルフ神話の本を書いた時に、その名前を知り、知人の紹介で飲むようになった。旅のついでに、京都の輸入元を訪ねて色々飲ませてもらった。


ああ、新しい酒だ。

いや、世界最古の酒なのにな。


 さて、この一杯でも十分に異世界に行くことができるはず。


 ぐびり、ぐびり。

 ああ、美味い。



「ディオニュソス、バッカス神の勇者よ」


 俺は洞窟の底で、三人の女神の前に立っていた。

 彼女らはトリアイ。

 地中海の古き予言の神にして、ミツバチの神。


「神たるもの、これをもって糧とせよ」


 与えられたのは、蜂蜜液を水で割り、発酵させたアルコール飲料、いわゆる神の蜜酒アムリタ。それは神々の糧。


 ぐびぐび。ぷはあ。


 そして、宇宙が幻視えた。



「黄金の蜂蜜酒を飲めば、宇宙が幻視えるんだよ」


 そういうと、女将がクトゥルフ神話ですねと答える。ボードゲーム・バーのいいところは、こういう話の説明がいらないところだ。

 クトゥルフ神話に登場する「黄金の蜂蜜酒」は、ある種のお助けアイテムである。セラエノが天空にかかる頃、この酒を飲み、石の笛を吹いて呪文を唱えれば、邪神ハスターの眷属バイアクヘーが迎えに来てくれて、宇宙の彼方でもどこでも連れて行ってくれるという。

 オーガスト・ダーレスの連作短編「永劫の探求」に登場する。


「でも、どうして、蜂蜜酒なんですか?」


 世界でもっとも古い古代の酒だからさ。


「ビールやワインじゃないんですか?」


 確かに、ビールの原型は紀元前27世紀ぐらいまで遡る。メソポタミアの神殿経済を支えた最初の貨幣であり、穀物生産体制の根幹だ。


 でも、蜂蜜酒の方が古いと、される。

 なぜならば、農耕よりも先、採取生活の頃から作られていた可能性があるからだ。だから、ギリシャ神話や北欧神話に登場する酒といえば、蜜酒と約される蜂蜜酒ミードのことだ。アムリタしかり、クヴァシルしかり。


 ワインも古い。

グルジアで紀元前25世紀頃から醸造が始まったと言われる。エデンの園はグルジアのぶどう畑がモデルという説もある。それがメソポタミアからエジプトに伝わり、小アジアからギリシャへ届く。

 ああ、それを届けた神こそがディオニュソス。



 視界が切り替わる。

 異世界のもうひとりの俺。


 バッカスの勇者たるディオニュソス。



「お前に、ディオニュソスの名前を与える。

 これは、若木の化身たる神名なり」


 トリアイ、予言の三女神たちは蜂の羽をうならせるように告げる。

 新しき樹木の神、若木の息子という名前。


 日本ならば、若木比子命とでも言われたのか?

 転生前の現世知識が脳裏をよぎる。


 ディオニュソスは酒の神で、演劇の神で、狂乱の神。

 酒そのものにして、死と再生を自ら繰り返す酒の神。


 アムリタ、蜂蜜で作った神の酒は、微温くて甘すぎたが、その濃厚な甘みが脳天を貫き、俺の魂は宇宙へと飛んだ。



「だから、俺は酒を飲む」


 二杯目のヤドヴィガがすっと出てくる。

 ペイ・オン・デリバーで、店の専用通貨「ゴールド」を支払う。


 普段の二杯目は、すきっとしたモダンタイプのチョーサーやバーソロミュー、あるいは、国産蜂蜜酒、会津ミードの「美禄の森」を選ぶのだが、最近、覚えた悪い飲み方を実行するために、国産ウィスキー「白州」を追加する。


 ヤドヴィガ5に対して、白州1。

 軽く揺らして、飲めば、神の味わい。

 蜂蜜酒に強い酒精を加え、活力を加速する。


「ヤバイ」


 一口飲んだ女将が口を抑える。


「ダメなお酒だわ」


 ああ、だから、酒はやめられない。



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