1:酔っぱらいと異世界転生 リモンチェッロ
アル中のおっさんが色々な場所で酒を飲んでは、異世界転生した別の人生でも、酒を飲むだけの話。
不定期に酒の話を投下する予定。
「俺、異世界転生したんだよ」
いきつけの居酒屋、中目黒の大樽で俺は言った。
「あのー、Tさん?」
知り合いの作家のNさんが言った。
「それは、異世界転生物を書いている俺へのあてつけっすか?
だったら、怒りますよ!」
血の気を多い奴だが、そこがストレートでうらやましい。お前さんは、そのパッションがあるから長編小説やシナリオが書けるんだ。尊敬する。
それはさておき。
「まあ、聞け。
俺、酒を飲むと、時々、異世界転生するんだ」
「このアル中め、ついに幻覚が見え始めたか?」
「いやまあ、アル中なことは否定しないが、幻覚じゃないはずだ」
例えば、これ……イタリアン・リモンチェッロ。
まあ、カッコつけているが、イタリアのレモン・リジュールを使った酎ハイだ。中目黒は、レモネード酎ハイ押しで、フェスティバルまで開いている。
「それ、レモン酎ハイとオレンジジュースで悪魔合体している俺へのあてつけっすか?」
そんなつもりはないが、まあ聞け。
こいつを飲むと、異世界転生するんだよ。
ぐびぐびぐび。
*
かくして、酔っぱらいは死んだ。
*
目覚めると、神がいて、俺が死んだことを教えてくれた。
12月の寒い夜に泥酔したまま、裏路地で寝て、そのまま死んだそうな。
ああ、俺らしい。
「酒の神バッカスがお前の人徳を讃え、異世界転生の申請を出した」
人徳? 酒しか飲んでないが、世の中、奇特な神様がいるものだ。
「……という訳で、お前は酒の神バッカスが創り出した異世界、ドリンカーズ・ヘブンに転生し、新たな人生を始めるのだ」
「酒飲み天国」とは、ああ、いい感じの世界だ。
「バッカスの勇者ということで、転生するので、特殊能力を与えることになっておるが、何か希望はあるか?」
ああ、いわゆるチート能力って奴だな。
「例えば、絶対に酔い過ぎない鋼の肝臓とかどうだ。
お前、アルコール中毒で死んだだろ?」
神様、あんた、馬鹿ですか?
酔っぱらわない酒のどこが美味いんですか?
泥酔できない体なんていりませんよ?
酒を飲んでも苦痛にならない程度の健康体で十分。
神の勇者なら、そのくらいは基本性能でしょ?
「では、何がほしいのじゃ?」と神が言う。
まず、美味い酒を探し出す情報収集能力……
「スキル〈酒探知〉を広域タイプで最大にしてやろう。
これでこの多元宇宙のあらゆる場所にある美味い酒を発見できるぞ」
スキルは技能というか、特殊能力だな。
しかし、多元宇宙中の美味い酒の場所が分かっても、迅速に飲み屋で連れていってくれる移動手段がないといけないな。
「使い魔として、ペガサスを用意してやろう。特別に空飛ぶ馬車付きじゃ」
もちろん、満足するまで、飲めるだけのお財布がないとな。
「バッカスの勇者としてのお墨付きがあれば、酒代はすべて、バッカス神殿のつけにできるぞ」
おお、これで毎日、美味い酒で飲んだくれることができるな。
後は、酔っ払った後、介護してくれる美人のお姉ちゃんかな?
ああ、本音が…
「そこは自分でなんとかしろ」
そんな雑な。
*
いつ、自分が転生者であることを自覚したのかは、割りと定かではない。
そもそも、バッカスの勇者の生まれ変わり、ディオニュソスとして、バッカス神殿に生まれた俺は、幼い頃から、勇者としての武芸を叩き込まれた上、小麦や葡萄の畑で働き、神殿のビール醸造所とワイン醸造所に出入りして育った。当然、10にもならないうちから、ワインとビールを飲みまくり、バッカスの勇者としての名前を上げた。酒関係の異能やスキルも色々追加できた。便利、便利。
「……という訳で、お前は酒神の勇者として、酒を極める修行の旅に出なければならない」
やがて、神殿の司祭長様がこう言った。
待ってました!
なんだかんだ言って、神殿の生活は厳粛なもので、必要な時以外は飲めない。酔っぱらいとしては、いつでも飲んでいたいのである。
*
……という訳で、俺は今、ここでイタリアン・リモンチェッロを飲んでいるのだ。
「勇者殿、それ、一杯480円の酒ですよ」
Nさん、ノリツッコミが的確だ。
まあ、そういうな。
そんなことがあって、俺は酒を飲むと、異世界「酒飲み天国」で生きているもうひとつの人生を歩むことができるんだよ。
「銀の鍵ですか」
ああ、ラヴクラフトも、夢の世界で理想の別の人生を生きる幻想譚を書いているな。まあ、これが俺なりの「銀の鍵」かもしれないな。
そうなると、いずれ、黄金の蜂蜜酒の話もせんとな。
まあ、いずれ。
*
ペガサスを降りた場所は、イタリア半島の南側だった。
「酒飲み天国」は、俺達の世界とも交流がある酒の神バッカスが作ったファンタジー世界なだけに、ほぼ、地形や歴史を共有している。つまり、酒の歴史を追えば、飲みにゆくべき場所が分かるというものだ。
これでも、歴史や地理は好きな方だ。
あくまで、下手の横好きだが。
俺は波止場のはしに座り込んで、瓶を片手に持っていた。
リモンチェッロ。
レモンの果実をハードリカーに漬け込み、砂糖を加えて一週間から一月ほど熟成させたリキュールだ。度数は30度。イスラム経由でヒマラヤ原産のレモンがヨーロッパに入ってきたのが11世紀頃、イタリアで量産されるようになったのが15世紀、砂糖が大量生産されるようになった17世紀あたりからレモネード・リキュールが広く作られるようになった。
甘酸っぱい強い酒が、乾燥した地中海の潮風に合う。
ふぅ。
波止場の近くの屋台から香ばしい匂いが漂ってくる。
ガルム(魚醤)で焼いた魚介の串だ。
バッカス神殿のつけで、魚と海老を一串ずつ買う。
リモンチェッロはそのままだと甘すぎるので、ソーダ水で割ろう。
古くは、レモネードに重曹をぶっこんで炭酸を入れていたそうだが、……ってことは、こいつを水で割って重曹を入れるか?
いや、ここはバッカスの勇者の異能を使おう。
「割り材引き寄せ」
酒を割る材料なら自在に呼び出せる便利なスキルだ。
とりあえず、ウィルキンソンで。
気づくと、陶器のマグがレモネードで満たされていた。リモンチェッロをソーダで割ったアルコール度数13度の炭酸系カクテル。
こいつで口をさっぱりさせたところで、焼魚にかぶりつく。魚醤の濃い味わいが身の旨味、油とともに口内に広がる。
うめえ。
そこで、さらにリモンチェッロ・ハイボールを一口。
すっと油が溶ける感覚がまたいい。
酒のうまさには色々あるが、最近はこれ、酒が油を溶かす瞬間の、舌の上で起こる悦楽が俺の魂を捕らえている。
濃厚な味わいがすっと溶ける。
このすっという瞬間こそが至福。
さらに、焼いた貝を喰らい、また、酒を飲む。
海の味そのものが凝縮したような濃い味わいが口を満たした後、そこからの解放が続く。美味とそこからの解放。こいつは病みつきになるな。
はあ。
あっという間に、串も酒もなくなった。
もう少し飲みたいが、このぐらいの酔いがいい塩梅。
ペガサスの背から落ちないように上がるとしよう。
*
……という訳だ。
「いや、それ、多分、酒飲み過ぎの幻覚だから」
Nさん、信じてませんね。
ま、いいか。
かくして、酔っぱらいは、異世界でも、酒を飲む。
異世界酒、始まり始まり。
「ところで、この話、続くのですか?」
酒が好きだ。
酒の飲み方も適当だし、弱い方なのですが、どうにも、酒が好きで、こんな話を書いてみることにしました。
いずれ、蜂蜜酒の話も書きたいところ。