過去に囚われて 宮川 直也の場合
この話は、これで終了。
やっとやっと、この手に堕ちてきた。
今日の俺は人生の中で一番の賭けをして、その賭けに勝ったのだ。
俺は彼女が部活に入部してきたときから、ずっと気になっていた。
何も変哲もない空を見て微笑んだり、騒めく風に目を細めたり、微かに薫るバラの匂いに反応したりし、ちょっとした仕草が目に入った。
初めは自分に見えないものが見えているのではないかと、彼女と同じ方向を向いたことがあったが、ありふれた風景しかなかった。
彼女はちょっとしたありふれた中で、楽しいを見つける天才らしい。
そんな無防備な姿でいるときに、声を掛けるのが好きだった。
人がいると思っていなかったのか、いつも少し拗ねたような顔で「驚かさないでくださいよ」っていうんだ。
「ごめん、ごめん」
一歩彼女の横に進み寄って、わざと耳元で謝る。
その声に反応して、耳を紅くする彼女が可愛くて好きだった。
だから、勘違いをしていた。俺のことを好きだのだと。
その勘違いに気が付いたのは友人が裏庭で告白し、OKを貰ったと喜んでいる姿を見たときだ。
俺が意識過剰だったのか、タイミングなのか。胡坐をかいて告白すらしなかった俺が悪い。
それから半年後、二人は別れたと聞いた。理由は聞いてない。聞いてしまえばそこに嬉しさを滲ませながら、二人の経緯に嫉妬に駆られ、まともな話など出来る訳がないからだ。
ヘタレと呼んでくれ。
その後俺がしたかったポジションを勝ち取った別の男が、彼女の横を独占するようになった。
付き合ってないよ。って彼女は言うが、横の男はその気がありありで鼻を鳴らして、俺を嘲笑った。
『羨ましいだろう』
心の声がダダ漏れだった。
ああ、羨ましい。そういえば、お前は満足か?
結局何も言えないまま、先輩後輩の関係で俺は卒業した。
大学に入ってからは、そこに目を向けることを止めてしまった。煩悩のままで過ごせば、彼女ぐらいは簡単に出来た。
「直也君って、淡白だよね」
何故かそういわれて別れ話をされることがあったが、自分でもそうなのかもしれないと納得していた。
だからそれから年月が経ち社会人になっても、自分の恋愛はそんなものだと思っていた。
そんなある日、大学時の友人が二人でお酒を酌み交わそうと連絡してきた。
大学を卒業してから中々会うことが出来ていなかったので、二つ返事で承諾した。
話の内容はもっぱら仕事の愚痴と人間関係、そして大学の時の懐かしい話だ。
「そういえばさ、直也は今彼女いないって言ってが、好きな奴はいるのか?」
「ああ…居ないな。俺はそういうのに、淡白らしいから」
「そうか?案外情熱的だと思うがな。お前好きなモノ、嵌ったモノは絶対に誰にも譲らないし」
確かに、そうかもしれない。
「彼女たちの何が不満だったんだ?」
どの友人たちに聞かれても、答えることは同じ。
「不満なんてあるわけないじゃないか。綺麗だし、スタイルいいし、いい子だし」
「ああ、なるほど。そうか、お前は誰も好きじゃなかったんだな」
その言葉は脳天から電流が流れたように、衝撃だった。
「俺なりに愛したし、ちゃんと褒めたし、彼女の望みも叶えた」
「そこに彼女たちからの望みだけでなく、お前の望みはあったのか?」
望み。彼女たちに何も望んではいなかった。だから、不満などあるわけがない。望み、願い、欲求どれも口に出したことはなかった。言われて気が付いた。誰も見ていなかったし、誰も愛してなかった。今までに欲しいと思った女はたった一人だった。
女々しい男だと笑えばいい。
実際、自分でも呆れるぐらい情けなさだ。
あの子を忘れるために、逃げていただけだった。
「お前が心を占めていた女はどんな子なんだろうな」
「なんでお前が気にするんだ?」
「花梨が好きだからだ」
俺が一番初めに淡白だと言い放ち、別れた女の名前だった。
ごめん、心で謝りエールを送るように、酒を注いた。
「これで心置きなく告るよ」
自分の心が分かってからは、彼女がどうしているのかを積極的に聞くようになった。そこから聞こえてくるのは、もうすぐ結婚するらしいということだった。
幸せなら、いい。だけど、自分が幸せにしたかった。
そんな時に、早希を見かけた。何やら彼氏らしき人とトラブルを起こしたようだった。
そこから早希が足取り怪しく歩いているのを見て、放っておけなくて後をついて歩いた。もしかしたらズルいがチャンスかもしれないと思ったのも確かだ。
きっとこれがラストチャンスだ。
彼女は高校の前で立ち止まり、懐かしそうに目を細めた。
運は俺についている!
彼女が入っていくのを見届けて、俺もこっそりと付いて入った。
もう、タイミングを見る必要などどこにもないよな?
「中島?」
偶然を装い、声を掛けた。
彼女の情報が欲しくて、ボランティアでここの部活の臨時講師をしているのは、口が裂けても言えない。
何気ない会話のあと、少し間が空いた。
「ねえ、kissしよう」
今、なんて言った?俺にとってあまりにも都合過ぎる言葉だ。
「お前、本気か?」
「別にイヤなら良いよ」
「今更やめると言っても、止めないからな」
壁際に追い込み飢えた狼のように彼女に覆い被さり唇を奪った。もしもヤケで俺とkissしているのだとしても、俺には関係ないことだ。この事実をどこまでも本物にしてやる。
逃げ腰になった彼女を追い詰める。
「kissまでしておいて今すぐさよならとか、お前どこの悪女だ」
何度交わしても物足りない。彼女の心はまだ他にあって、流れていく水のように、ここに留まろうとしない。差し出したこの手に零れ落ちてくるまで、何度でもkissして分からせてやる。
「まさか、逃げられると思ってないよな?早希」
耳元で囁くと、ビクッと体が揺れる。…なんだ。やっぱり俺の声、好きだったんじゃないか。
もう騙されてなんかやるものか。
「俺の声、好きだろ」
耳を紅くして、俯く。なんて可愛いんだろう。俺を騙した罰だ。声でいいから堕ちてくれよ。
「お前の声も、もっと聞かせろ」
「せ、先輩!」
「名前、呼べ。そして堕ちろ、…こうやって、囁いてやるから」
俺は今までに、こんなにkissしたことがあっただろうか。
――ないな。もしかしたら、今までにしたkissの数より、今日のkissの方が多い気がする。
俺って今更だが、粘着体質の面倒くさい男だったんだな。
「早希…俺にしろ」
本能を刺激するこの行動を嫌がらないのは、
「こうされるの好きだろ?」
目を潤ませて上目遣いで俺を見る目は、肯定を表す。
「誰か来る」
「俺は構わないよ。お前を彼女だと紹介できるから」
誤魔化すように逃げようとするが、逃がすわけがない。仮に誰かいたとしたら、俺にとっては救いの神だ。
逃げ腰の早希に、少しだけたじろぐ。
「いや、か?」
少しの間があったものの、俺は早希を掴みとることが出来た。
「いや、じゃない。直也」
「やっと素直になった」
やっとスタートラインに立つことが出来た。
きっとこれから色んなことに巻き込まれるだろう。きっとあの男は早希に言い寄ってくるはずだ。その時は目の前で事実を見せつければいい。
やっと見つけた。
俺の本気になれるもの。
それを奪うやつは、心折ってやる。
始まりがkissだろうが、失恋だろうが、最後に手に入れたものが勝利者だ。




