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kissから始まる恋 ~短編集~  作者: 桜田 律 
1.先輩&後輩
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声に囚われて  中島 早希の場合

「ねえ、kissしよう」


目を見開いた先輩の顔をマジマジと見つめた。

この時、なんであたしはあんなこと言ったのだろうか。

完全に感情のコントロール出来なくなっていたのは確かだ。


「お前、本気か?」

「別にイヤなら良いよ」

「今更やめると言っても、止めないからな」




先ほどずっと好きだった男と別れた。それもただ別れたわけじゃない。結婚の約束までして、両親に挨拶に来る日まで決まっていた。

それなのに、酔って譲りの女と一晩過ごして子供出来たとか。

しかも別れ話をしにきた男の後ろにいたのは、この間まで友人の彼氏を寝取って揉めていた女だった。


「本当に、彼の子?あなた二ヶ月前まで、あたしの友達の彼氏、寝取ったじゃない」

「それは、本当か?」

「それはその女に聞いたら?」

お腹に子供が居るのが本当かどうかわからないけど、もしいるのなら…案外誰の子がわからないから、手当たり次第父親になってくれる男を捜しているのかもしれない。

そんな女に引っかかった彼を、本当に好きだったのだろうか。


その場で醜い言い合いを始めた二人を見ていたら、何もかもがイヤになった。


――バカみたい。

こんなにも簡単にそう思えたことが、余計に腹が立った。

自分にも、彼にも。


「さよなら」

2年間の思い出はものの10分で崩れ去った。

別れって、こんなにも簡単だったのか。


男、見る目ないな。あたし…。



フラフラと歩いていたら、懐かしい場所に来た。

なんでここに来たのだろう。

ほんの数年前まで通っていた高等学校。表の校庭では部活の真っ最中で元気な叫び声が聞こえる。サッカー部と野球部かな?フェンス越しに女の子達が応援しているのが見える。

なんだか微笑ましい。


裏って今はどうなってるのだろう。ここで告白されて付き合った二人は結婚する、なんて噂があって一時期ここで告白したりされたりすることが、流行っていた。

そんな私もその中に混じっていた一人だ。

ただの噂だって、わかってるけどね。夢見るのは楽しかった。


恋に恋してまっすぐだったあの頃の思い出は、甘酸っぱい。

今のように、辛み成分なんてなかったから。


もう、恋なんて出来ない。



「中島?」

不意に声を掛けられて振り向くと、部活で一緒だった先輩が居た。

「先輩?どうしてここに」

「それは俺の台詞、俺はここで臨時講師をしてるんだ」

「へえ…意外」


「まあ、そうかもな。お前は?」

「あたし?あたしは…」


振られたからやけくそで彷徨っていたらここに来た、なんて言えない。

紅く染まった空から、闇が支配を始める時間。

逢魔が時。


寂しさと悲しさとやけくそで、ただ一人になりたくなくて魔がさした。

気がついたら、誘っていた。


今ならわかる、あたしがなんで魔がさしたのか。


建物の壁に押しつけられて、噛みつくようにされたkiss。私が抵抗しないと分かると、啄むようなkissが繰り返された。

―――やられた。

あたしはこの時既に、彼に堕ちていたのだと思う。

こんなに気持ちいいkissは、初めてだった。


その時はこれでさよならだと思っていたのに、彼はkissまでしておいて今すぐさよならとか、お前どこの悪女だと更に自分を刻み込むように、キスの雨を降らし始めた。


「足りない」

耳元で囁かれる声に、子宮が疼く。

この声が、あの頃は好きだった。

今思えばあの声優さんが好きなのも、先輩の声に似ていたからかもしれない。


唇の形も、厚みも、舌も気持ちいい。

この時だけはあの男の顔すら忘れていた。

あたしの目の前には、部活で憧れていた先輩しか居ない。

今はただ、欲望に忠実な女であってもいい。

明日にはきっと違う自分が居る、そんな気がするから。


「まさか、逃げられると思ってないよな?早希」

耳元で喋らないで。

「俺の声、好きだろ」

なんでバレてんのよ!

「お前の声も、もっと聞かせろ」

「せ、先輩!」

「名前、呼べ。そして堕ちろ、…こうやって、囁いてやるから」

止められることのないkissに、クラクラしてくる。

こんなにkissしたこと、今までにあっただろうか。

――あったとしても、止めたくないkissはなかった。


「早希…俺にしろ」

もはやこの声は毒でしかない。耳から入ってきた毒は全身に回って、あたしを狂わせる。

「こうされるの好きだろ?」

抗えない。

抗えるわけがない。

kissされた時ですらあの男を忘れていたというのに、目を瞑っているkissの合間に声を聞かせるとか、凶悪な男だ。

「誰か来る」

「俺は構わないよ。お前を彼女だと紹介できるから」

どこまでが、本気?


「それとも、人前が好きだとか?」

「そんなわけないでしょ!」

耳舐めないで、囁かないで、リップ音響かさないで!

「いや、か?」


ダメだ。どれだけの色んな言い訳を並べても、誤魔化しようがなくなっている。脳内を占めているのは、この男のことだけだ。10分前まで、恋なんてしないって宣言したのに。


「いや、じゃない。直也」

「やっと素直になった」


誰かの息を呑む声が聞こえたけど、もう気にならなかった。

もしかしたら、彼のことが好きな女の子だったかもしれないけど、こんな凶悪な男は無理だから諦めなさい。

本当に悪い男。

私の人生、紆余曲折しすぎてない?

10分で振られて、10分で堕ちるとか。

どこの三流ドラマ?

事実は小説より奇なりとは、よくいったものだ。


kissから始まる恋があっても、いい。



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