Dec
目が覚めると、布団の中にいたのは私だけで、
腕の中にいたはずの彼はいなくなっていた。
寝室の扉は半分ほど開いていて、
リビングから聞こえてくるのは、一定のリズムの時計の音だけ。
他にはなにも生活音がしない。
私は上半身だけ起き上がると、ベッドの隅に置いた携帯を探した。
そしてすぐにそれが無駄なことだと気付く。
昨日の私に、携帯のことを気にするほどの余裕はなかったんだった。
体を起こすと、私はリビングを覗き見るようにして入った。
探しているくせにどういう表情で会えばいいかわからなかった。
やっぱりそこにいないことを不安がってるくせに。
床に放っていたかばんを探って、携帯を取り出した。
9時48分。
彼が休日に起きて、出かけるにしては早すぎる時間帯。
私は携帯を胸に抱いて、玄関を見に行った。
靴はいなくなっていた。
もしかして…
そして気が付く。
リビングに戻った、
テーブルの上に、
伏せられてあるメモに。
何か書いてあるはず。
昨日はなかった。
私は手を伸ばす。
だけど、ひっくり返すことはできない。
もしかして、もしかして……
心に広がっていくマイナスな感情。
考え始めると止まらない、悪循環。
それでもこれを見なきゃ、彼がどこにいったか分からない。
これを見なきゃ、彼がいつまでも帰ってこない、気がする。
「大丈夫、大丈夫。」
自分に何度も言い聞かせて、
何度も何度も深呼吸して、
私は意を決して、ぺらりとめくった――――…
ガチャ
玄関の扉が開く音がした。
私はメモから手を放し、急いで玄関へ向かう。
「あれ?倫子起きたの?」
拍子抜けするほど、普段通りの直人だった。
「あ、えっとうん。」
「おつまみ何もなかったから買ってきた。」
にこっと笑いながら、
コンビニの袋を私に差し出した。
中に入っているのは、あたりめ、貝柱、チョコレートケーキ。
全部私が好きなもの。
「……ありがとう。」
「うん。」
すれ違いざまに彼はくしゃっと頭を撫でた。
じーんと続く余韻が切なかった。
「メモ見たの?」
「ううん、まだだけど…。」
立ちつくす私にメモを差し出す。
「お味噌汁作ったよ、コンビニ行ってくる。
って書いたの。」
あっさりと告げられるメモの中身。
彼の言葉通りのことがそこに並べられていた。
でも、一つだけ違うことがある。
「この絵は?」
「可愛いだろ?」
端の方に小さく書いてある男の子と女の子の顔。
まさか、これ……
「俺と倫子。」
「…直人、おかしすぎ。」
アハハと思わず、私は笑い声をあげてしまう。
「大真面目に描いたんですけど。
いらないなら返して。」
彼は口をたこのように膨らませてすねる。
「あげない。」
私は彼に取られないよう、大事に握った。
「ばか」って彼が小さく言った。
変わらない、週末の朝。
いや、いつもよりも楽しい一時かもしれない。
昨日の夜からの朝だとは、全然思えない。
「おいしいね。」
笑いあって。
脳内には、巷で流行っているミュージシャンの音楽が流れる。
「朝からもう今日は飲んじゃおうか。」
彼は買って来たお酒をポーンとあける。
予想以上に飛んで行ったお酒のふたに、私たちははしゃぐ。
楽しくて幸せな時を
毎日まいにちプレゼントしてくれる人。
あー楽しい。
あー楽しい。
あーーーーー楽しい。
でも。
だからこそ。
私の前でだけは、彼に我慢してほしくない。
思っていることを話したい。
素直な気持ちを聞きたい。
愛しい。
大切な人だから。
「私、直人のお母さんから聞いたの、直人のこと。」
「え、何?悪いこと言ってた?」
自嘲する彼。
「ううん、逆だよ。
すっごい優しくて、思いやりにあふれる子だって言ってた。」
彼のコップにお酒をたした。
「照れる。」
彼がお酒を流し込む。
「私もそう思う。
直人は本当優しいなって。」
「うるさいなあ。」
照れたように彼はつぶやいた。
「でも、だからって直人のこと好きってわけじゃないんだ。」
「…どういうこと?」
「嫌なことはいやっていって、寂しかったらさびしいって言って、
思ったことを言ってほしい。
直人もそう前言ってくれたじゃない?
私だって同じだよ。
聞き分けいい彼氏なんていらない、私は直人がいいの。ありのままの。
私の前で、そんないい人演じてほしくない。」
私は彼の手を握る。
彼の目線はその手に移る。
「だから教えて。
思ったこと、我慢してたこと。
何でもいい、私にも共有させて。」
彼は私の肩に首をうずめた。
「渡辺先輩にすごくやきもちを妬いていました。」
「うん。」
「リンリンっていうのもそうだし、
いちいち距離近いし、
ご飯だって行ってほしくなかったけど、俺も飲み会行くしなって。
だけどそう思ってること言ったら、男らしくないから…。」
「はあ。」
ため息をもらす彼。
「倫子は優しすぎんだよ。
普通ね、やきもちごときでこんな風になる彼氏なんか、
大抵の女の人は嫌いになるもんだよ?」
あーやだやだ、そう言って、
彼は私の肩にぐりぐりと頭をすりつける。
「そんなことないです。」
「そんなことありますー。」
「すみません、大抵の女の人じゃなくって。」
そこで言葉が途絶えると、顔を見合って私たちは笑いあった。
「直人の方が優しすぎるよ。
私が直人の立場になったら、もうもっとぎゃー!!!ってなってる。」
「嘘だ。」
「本当です。
私のやきもちやきをなめないでください。」
また笑いあう私達。
「……俺さ、まあずっと寂しいっていうか、なんていうか
うーん。」
「うん、聞かせて?」
「弟と兄貴いて、俺は真ん中で。
親が俺の事愛してくれてたのは分かんだけど、なんかいまいち実感できなくて。」
「うん。」
「おふくろがさ、体調一時期崩して。
俺が小さいころだったから、俺は結構ばあちゃんに面倒みてもらっててさ。
その後またおふくろ元気になって、弟たちできて。
んー、弟たちは俺と同じようにならなくてよかったなって思うんだけど、
どっか羨ましい気持ちもぬけなくて。」
「うん……。」
「親と俺どっか壁作ってて。
申し訳ないって思ってるけど、どうしてもいろいろ拭いきれなくて…。
ってごめんな、こんな話。」
彼は私から離れるとお酒を含んだ。
「ううん、話してくれてありがとう。」
彼は私の頭を大事そうに撫でた。
なんでだろう。
直人のほうが私よりも大きいのに。
今は彼が、私よりも小さく感じるのは――。
彼を覆うように私は抱きしめた。
強く強く。
「お父さんもお母さんもきっと分かってくれてるよ。
分かってくれてる。」
「……うん。」
彼が私を抱きしめ返す。
「でも今は倫子がいるから。
……もう大丈夫かな。」
安心した声色だった。
「そう?」
彼を見つめる。
「うん。
まあやっぱり隙だらけで心配がつきまといますが。」
彼は悪戯がばれてしまった子供のように、ぺろっと舌を出した。
「ごめんなさい。」
「いいえー。」
笑う彼。
「大好き。」
「うん。
俺も大好き。」
抱きしめて、キスして、笑いあって。
彼と遠距離恋愛も乗り越えて、同棲もして、ずっと付き合ってきたけれど、
この日、はじめて私は彼を知れたような気がする。
「ねえ直人。」
「何?」
口づけを落とす彼。
「優しい直人も好きだけどね。」
「うん?」
「昨日みたいな強引な直人も嫌いじゃないよ。」
笑って私はコップを流しに持って行った。
「……倫子!」
真っ赤になった彼。
今日のところはお酒のせいってことにしといてあげよう。




