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渡辺先輩と向かい合わせ、私達は神妙な面持ちで見つめあう。
場所は第2会議室。
私達のほかに誰もいない。
「……先輩。」
「……。」
彼は何も言わず、私の肩に触れた。
私は顔を伏せて、ぎゅっと目をつむる。
「リンリン――
企画採用!」
「本当ですか!?」
私は勢いよく伏せていた顔をあげる。
そうこの日は、部長から企画が採用かどうかを伝えられる日。
だから、私は電気もつけていない会議室に先輩に呼び出されていた。
「うん!よく頑張ったな。」
「先輩と企画できたからです!」
あーでもないこーでもないと
お互いの頑張りを譲り合いながら、笑いあう私達。
「あとはこの資料、部長に渡すだけだな。」
「そうですね。」
先輩はデスクの上に置いていた、資料を手に取った。
「リンリン、お疲れさま。」
「お疲れさまでした!」
私は会議室を出ようと、ドアノブに手をかけた。
「あ、リンリン。」
「はい。」
振り返って先輩を見る。
「よかったら今日飲み行かない?」
「あー……。」
私はドアノブから手を放した。
確か今日も直人、夜飲み会だったっけ…。
だったら、少しぐらいならいいかな。
でも直人、どう思うだろう。
居酒屋にしても男の人と二人だし、
しかも渡辺先輩って――。
「……神沢さんが嫌がるかな…?」
苦笑しながら先輩は、私の顔色をのぞいた。
「いや…。」
先輩に考えていたことがばれてしまっているようで、私も苦笑してしまう。
「…1時間ぐらいでもいいですか?」
1時間なら、大丈夫…だよね?
「全然いいよ!
大歓迎、俺も短い時間だけのつもりだったし。
じゃあ、また帰りに声かけるわ!」
「はい。」
会議室をでて、デスクに戻って時間を確認すると、もうお昼の休憩時間に入っていた。
私は彼に連絡をすぐ送る。
企画成功しました!
彼も休憩中なようで
おめでとう!頑張ったね!
すぐにそう送られてきた。
今日も10時ぐらいまで飲みそうだから、
頑張りました飲みは、明日しよう!
続けてきた彼のメッセージ。
先輩に「よく頑張った」そう言ってもらえたけど、やっぱり彼に褒められるのが一番うれしい。
ありがとう。の後、私は文字を続けて打つ。
いつもなら、家で大人しく待ってるね
そう送るのだけど、
今日は違う。
それで……渡辺先輩に企画成功のお祝いの飲み会に誘われてて、
ごめん、私も1時間だけ行っていいかな……。
なぜだか心苦しかった。
いっそのこと、だめって言ってくれたら、
楽になるのかも、なんて…。
倫子も付き合いあるもんね、
いってらっしゃい。
気を付けるんだぞ!
そんな私の気持ちとは裏腹に、彼はすんなり分かりましたの連絡。
渡辺先輩の事、
私が思うほど気にしてないのかもしれないな…。
ありがとう。
直人よりは先に帰るし、お風呂入って待ってるね。
私は携帯を鞄にしまって、仕事に戻ろうとしたのだけれど、
ピンポーンと3度連続して鳴る通知音に、
マナーモードにし忘れていることを気づかされて、ついでに彼のメッセージを確認した。
送られてきていたのは、彼が滅多に使わない
寂しそうにもじもじとする熊のスタンプ。
続けて、
ごめん、送り間違えた!
そうメッセージ。
最後は
いってらっしゃいと手を振る熊のスタンプ。
直人、忙しい合間に連絡くれたのかな、
そう思いながら
私は、うさぎがありがとうと発言するスタンプを送ったのだった。
「乾杯!」
「お疲れさまでした!」
私は先輩と予定通り、会社近くの居酒屋に来ていた。
混んでいる店内。
オレンジ色の明かりが照らす中、
会社帰りと思われるたくさんの人たちが何組も飲んでいるみたい。
カウンター席しかないかなと思っていたら、
先輩が予約を取ってくれていた様で、
柵で区切られた4人席のテーブルに向かい合わせに座って飲む私達。
「先輩しっかりしてますね。」
私が笑ってそういうと、
「そう?」
当然でしょ、といった口調で私に奥の席に座るよう誘導してくれた。
直人は予約なんてしない人だからな、そう笑ってしまいそうになりながら。
「リンリンと二人で飲むのはじめてだよね。」
注文した枝豆を口に入れる先輩。
「え?あれそうでした?」
「そうだよ。
ほら、二人で飲もうってだいぶ前なったけど、
結局俺が忙しすぎて、年末の飲み会でいいかなってなって無くなったじゃん。」
「…あー!そうですね。
先輩ここ2、3年忙しかったですもんね。」
顔を少しゆがめて、私も枝豆を食べる。
「リンリンさ、
神沢さんとどれぐらい付き合ってんの?」
「えっと、一緒にお仕事をさせていただいたすぐ後ですね。
もう、何年だろう…。」
「長いね。
リンリンからはアタックしなさそうだし、神沢さんから?」
「そうですねー…、
最初は苦手だったんですけど、彼優しくて。」
進むビール。
直人の話をするのが恥ずかしいからかな。
「リンリン可愛いなあ。
神沢さん可愛くて仕方ないだろうね。」
頬が少し火照る感覚がした。
男の人に褒められることに慣れていないから、お世辞って分かっていても、つい過剰に反応しちゃうんだよね。
そんな自分を気づかれてしまわぬよう、私はすぐに話を変えた。
「先輩はどうなんですか?」
「んーやっと仕事落ち着いたしね。
まあどうなることやら…。
結婚とか話でないの?」
「今は一緒にいれるだけで幸せなんで、
高望みしたらバチ当たりますから。」
ハハハと笑う私。
「へー…。
本当リンリンはまっすぐだね。
俺と飲んでること言った?」
「言いました。
彼も今日飲み会らしんで、大丈夫でした。」
「…彼も女の人と?」
私の反応を楽しむかのようにあおってくる先輩。
「…たぶん複数です。」
「間があるってことは、最近それでもめたり?」
「先輩鋭いですね…。」
私はビールを飲んだ。
「まあ、リンリンは素直だから、彼に言うかもだけど。
男は本気で妬いてたら言わないからさ。」
ビールを飲み終えた先輩。
「そうなんですか?」
「そうでしょ。
好きとかも言わないしね、やすやすと。
俺もまず最初はまわりくどい言い方するし。」
「……へー。」
「気をつけな。
今日もたぶん相当妬いてるはずだしね。」
ちょっとトイレ。
そう言って席を外す先輩。
その間に私は携帯を確認した。
小さく既読という二文字がそこに表示されていただけだった。
****
店員さんの大きな声に見送られて、私達はすっかり暗くなった町にくり出した。
1時間30分。
先輩のペースについ乗せられてしまって、少しオーバーしてしまった飲み合い。
お酒も予定よりも大部多く飲んでしまっている。
「リンリン、最寄り駅まで送るよ。
ふらふらだし、もう9時回ってるから。」
「え、いいですよ!
逆方向じゃないですか!」
「いいからいいから。ほら置いてくよー!」
先に歩きだした先輩。
最後まで先輩のペースにはまってしまう私。
なすがままってのは、こういうことをいうんだろうな。
「神沢さんたちは、どこで飲んでるんだろうね。」
「大勢で飲んでると思いますし、大通りの店じゃないですかね。」
この日に限っていつもより高いヒール。
歩くのが遅くなってしまう。
酔いが回ってるからなおさら。
先輩もたくさん飲んでいたはずなのに、
お酒に強いみたいで、私とは違ってしっかりとした足取りだった。
「これからちょっと大通り歩くし、偶然会うかもだよ?」
「それはないと思いますよ。
まだ飲んでるはずですし、大通りは端から端まで広いんですから。」
そういったものの
がやがやとした大通りに入って、スーツ姿の男の人とすれ違うたびに、直人の顔が思い浮かんでいた。
いつもなら、とっくに家にいる時間。
直人は会社帰りに飲んだら、こんな中を帰っているんだ――――。
「それもそうか。
でも、飲んでるところも詳しく知らないなんて、神沢さんのこと信じてるんだね。」
「……そう、ですね。」
それから私たちは、特に目立った話をしないまま。
でも沈黙はさすがに気まずいから。
帰ったら何する?
お風呂ですね。
俺、入浴剤入れようかな。
いいですね。
そんな話。
「あ、ここでいいですよ。
奥はいって曲がったら、近道なんで。」
私はいつもの道につながるところで止まった。
「え、こんな暗いところ入ってくの?
大丈夫?」
焦る先輩、もう慣れてるんでとばかりに笑う私。
お風呂すぐ沸かさなきゃ、
もう考えていることは直人に繋がることで、
「お疲れさまでした」
そう告げて、先輩と早々に別れようとしていた私。
でも先輩は私より早く、
「じゃあリンリン、最後に一つ俺の意地悪。」
と告げてきた。
「もう今日は、十分直人関連で意地悪でしたよ。」
私は笑う。
先輩も「そうか~?」なんて言って笑う。
でも先輩はすぐにお仕事するときに見せる、
まじめな表情に変わって、
私に半歩近づいて、
ささやくように、
「リンリンの事ずっと気に入ってたんだけど。」
って―――――。
でも私はそういわれても理解できずに、
ただ
なんとなく
意味を聞いたらダメなような気がして、
「……えっと
あ、ありがとうございます。」
冷静に、冷静に。
「意味分かってる?」
「分かってます…。」
「本当に?」
また半歩近づいた先輩。
「分かってますよ!」
先輩の顔を見ずに、ハハハと笑いながら答えた私。
これ以上、先輩とここで話していたら、
なにか変わってしまいそうで―――
この関係が変わってしまいたくないから、
私は
「……それでは!」
そう言っていつもの道に入ろうとしたのだけど、
「あっ。」
「あぶねっ。」
がくっとなってしまう私。
私の肩を先輩が掴む。
「倫子…?」
聞こえてきたのは
「リンリン」じゃなかった。
「なんで……。」
大通りの遠く離れた先。
女の人と一緒に並んで立つ、直人がそこにいた。
私と直人は、それから二人で帰った。
いつもの道を二人並んで。
彼が持っているビニールの袋が歩くたびに音を立てて、
うっすらと見えるお酒の瓶が、
ああ私と飲むために買ってくれたものなのだと気づかせてくれた。
ガチャン
「ただいまー」
「おかえりー」
二人で帰った時でも必ずそう言っていたのに、
ここでも私たちは何もしゃべらないまま。
私より先に直人はリビングに入ると、上着を脱いでネクタイを緩めた。
彼はいつものテーブルのところに座って、
私もお水をコップについで、かたんと二つ置いて座る。
直人も私もうつむいたまま。
彼がごくっと先に水を口に含んだ。
「……いつもならもう1人、男社員さんがいるんだけど、
今日たまたま休みで…。
さっき、そのこと携帯に連絡したんだけど。」
私はポケットに入れていた携帯を取り出して、
ピカピカと通知で光るランプに、画面を開かずとも、
彼が連絡をくれていたのだと気づかされる。
ごめん、今日玄野と帰ることになりそう…。
私を気遣って、そう彼は送ってくれていた――――。
私、なんてものを彼に……。
「あの、今日飲みすぎて、足ふらふらしてて、
先輩とあそこで別れようとしてたら足くじいちゃって、それでえっと…」
慎重に、慎重に、言葉を選んで。
傷つけないように……。
「うん、分かってる。
倫子の事信じてるし…。」
「直人……。」
頭を抱える彼。
「でもさ、でも、
分かってんだけど――――…」
苦痛に顔をゆがめた彼。
私を一瞬見て、
ガバッ
直人はそのまま私を押し倒した。
「直人っ」
「聞いて」そう言う前に
「あっ。」
ふさがれる唇。
抵抗する腕もぎゅっと掴まれて、床におしつけられたまま。
「…ん。」
こぼれるのはあつい吐息だけ。
笑いながら「大好きだよ。」そう言って、
何度も私に口づけしてくれた直人。
おどけた感じも、意地悪なあの表情も―…
いつものやさしさはここにはない……。
何かを訴えるような、
強い、激しいそれに私は抵抗ができない。
「直人…や…。」
ずるりと服が下がって、露になってしまっている私の左肩に、
彼は何も言わず、口づけを落として。
気づけば私は、涙を流していた。
「…っ。」
彼は腕を離して、私を起こす。
「直人……。」
「疑ってるんじゃなくて。
頭では分かってんだけど、、
でも…なんで、二人っきりなんだよ。
なんで、リンリンって親しげなんだよ。
なんで――――…触れさせてんだよ。」
「あ…。」
苦痛に顔をゆがめた彼。
悲しそうな、切なそうな、今まで見たことがないくらい
傷ついた彼がそこにいた――――。
「直人、なおと…」
私は腕をのばして、抱きしめようとするのだけれど、
「ごめん、先寝る…。」
腕をかわして、バタンと静かに彼は寝室の扉をしめた。
隣で横になる彼の背中を見ながら、
私はやっと気づいたのかもしれない。
彼はずっと我慢していたのだと。
ご飯を一緒に食べて先輩の話をしたときも、
デパートで先輩に会ったときも、
あのとき感じた違和感は、きっと間違いじゃなくて―――。
直人のお母さんに教えてもらっていたのに、
寂しがり屋で、我慢しいで、
ずっとずっと一人で耐えていた彼の事を……。
「直人、ごめんね、ごめん。」
彼の背を抱きしめながら、
私はその日ベッドにたくさんの染みを作った。




