June
「やばい、すごい緊張してる…。」
「大丈夫、父さんも母さんも特に何も言わないと思うから。」
「……うん。」
週末にもかかわらずスーツに身を包み、せんべいが入った紙袋を手土産に持っている彼。
朝から彼は口を開くたびに、「緊張」という言葉を発していた。
もうお昼を回っているというのに、この日まだ彼の冗談を聞いていない。
私たちは今日、同棲することを伝えるために私の実家に訪れていた。
私自身どちらでもよかったのだけれど、彼は私がそのことを相談する前に挨拶に行きたいと言ってくれた。
素直にうれしいのだけれど、緊張で強張っている彼の表情を見ると、複雑な気持ちにもなる。
「直人、無理しなくていいからね。」
私は彼の背中をさすった。
「大丈夫!」
そう言いながらも彼が浮かべた表情は、到底笑みと呼ぶには遠すぎるほどのぎこちないものだった。
「私がなるべくフォローするから。」
「ありがとう。」
まだ落ち着かない様子の彼。
大丈夫かな……
彼の様子に心配になりながらも、電車から降りた私たちは、駅から15分ぐらい歩いて私の実家に向かった。
「意外に近いね。」
事前に結構歩くからねと注意していたのだけど、緊張している彼にはいらぬ心配だった様子、
今の彼には徒歩15分が5分に感じたみたい。
周りは田んぼだらけの私の実家。
和風なつくりの玄関の前で、直人は気持ちを整える。
「倫子、俺変なところない?髪型とか。」
ふわふわの髪の毛。
今日は前髪に残っているパーマの跡以外、寝癖は一つもついていない。
いつもは後ろの襟足が、はねていたりするのだけれど。
「かっこいいから、大丈夫。」
彼の緊張を少しでもほぐそうとそう言ってみた。
「だめだ、緊張してて今そう言われても嬉しさが半減。」
苦笑いして、彼は大きく息をはいた。
「よし倫子。入ろう!」
彼の頭を一度撫でて、私は玄関を開けた。
ガラガラガラ―――
「ただいま~!」
「お邪魔します。」
私たちの声を聴いて、奥からバタバタと駆けてくる音がする。
「あら、倫子おかえり!
直人くんもはじめまして、いらっしゃい!」
出てきたのは母だった。
肩まで伸びた黒い髪を、後ろに一つに縛っている。
黄緑色のエプロンをしているところを見ると、私たちが来るのを気遣い、掃除をさっきまでしてくれていたのだろうか。
「あがってあがって~!」
「お邪魔します。」
私は直人に微笑んで、リビングに誘導した。
「お父さんとお姉ちゃんは?」
私は彼にここに座ってと合図しながら、母に尋ねる。
「夜ごはんの買い物。
健くんは今日夜遅くまでお仕事だって。直人くんに会えないって残念がってたわよ。」
健くんとはお姉ちゃんの旦那さんのこと。
もうすっかりこの家になじんでいるらしい。
「んー、今日は泊まらないからね…。」
いきなり泊まりは彼の心臓が爆発しそうだと思って、私は今日中に帰ると伝えていた。
「今度は直人くん、ゆっくりいらっしゃいね。」
「はい、ありがとうございます。
あ、これよかったら。つまらないものなんですけど。」
直人は母に手土産を渡した。
「まあまあ、気にしないでいいのに、ありがとう。
あ、倫子ビール出してあげて。冷やしてるから。」
「うん。」
私は立ち上がって、冷蔵庫からビールを取り出しに行った。
「いやそんな、いただけないです!」
「お父さんからね、来たらビールすぐ出すようにって言われてるの。
気にしないで。」
表情は見えなかったけれど、母は微笑んでいるようだった。
「すみません、ありがとうございます。
いただきます。」
「それよりも直人くん、倫子どう?
一緒にいて疲れない?」
「ちょっとお母さん!」
直人の前にグラスを置いて、瓶を傾けてビールを注いだ。
「だって、倫子ところどころおかしいから。
ちょっと心配なのよ。」
「ハハハ!」
直人が噴き出すようにして笑う。
「あ、やっぱり直人くん思い当たるふしあるのね?
もう大変でしょう?」
「ちょっと!」
「どこかに出かけたりしても、たまに車にひかれそうになっているんですよ。
目が離せないです。」
直人は笑いながら、ちらっと私を見た。
「直人、ちょっとしー!」
そういっても変わらず笑い続ける直人。
「直人だって、たまに変なところあるんだよ!お母さん!」
「あら?そんな風には見えないけれど。」
突発的に口に出した私の言葉に、首を傾げた。
「えっとね、えっと。」
こういうとき、どうして一つも思い浮かんでこないんだろう。
「……ないのね。
もうそういうところよ、心配なのは!
直人くん、倫子のことお願いね。」
「はい。」
私をほっといて二人で笑いあっている。
なんだかな~と思いつつも、彼の緊張が少しほぐれたみたいでほっとする反面、きっかけが私のことで、ちょっと複雑。
でもやっぱり嬉しいかな。
お母さんと笑いあう直人を見て、そう思った。
「ただいま~。」
玄関から大きな姉の声がした。
そうこうしているうちに、買い出しから帰ってきたみたいで、すぐにリビングに入ってきた。
「直人くん、いらっしゃ~い!
あー疲れた。焼肉にしたよ、母さん。」
たったその2分程度の中で、姉の表情はころころと変わった。
「お邪魔してます。」
ぺこっと頭をさげた直人。
「相変わらずだね、怜奈子さん。」
耳元でぼそっと耳打ちしてきた直人に私はつられて笑った。
直人は姉が1回私の家に遊びに来たことがあり、すでに面識があった。
同い年ということもあり会話は弾んでいたが、終始姉のペースに巻き込まれていたことも記憶に新しい。
姉がキッチンに食材を置きに行くと、少し遅れて父が入ってきた。
「やあ、直人くん。いらっしゃい!
ビール飲もう!」
部屋に入るや否や、父はおどけた調子で直人に絡んだ。
挨拶しようと立ち上がって身構えた直人も、呆気にとられた表情。
「あ、じゃぁ一緒に飲みましょう。」
あわてて返事した直人に、父はにこにこ笑った。
****
「また遊びに来てね、直人くん。」
「また飲もう!」
玄関で見送りしてくれる父と母、姉もその後ろで笑っている。
「今度はゆっくり遊びに来させていただきます。」
直人の表情も柔らかい。
玄関から出て手を振り別れを告げると、真っ暗な道を二人で歩いた。
「どうだった?」
「楽しかった。」
行きとはまるで違う彼の表情、私の口元も緩んだ。
ふと右手にぬくもりを感じる。
それが何であるかすぐにわかった。
「…お父さん見てるかもだよ?」
クスクスと冗談っぽく告げる。
「こらー!って言われるかな。」
ハハハと彼が笑った。
「本当来てよかったよ。」
隣を車が通り過ぎた。
彼が私のほうに軽く寄って立ち止まる。
「よかった。
……明日は野菜鍋でもしようね。」
彼の右手には貰った野菜がたくさん入った袋が提げられている。
「だね。」
私たちはまた歩き始めた。
「まぁごはんの心配の前に。」
「何?」
彼が唇の端をぐにゃっと曲げた。
「来週は倫子が俺の実家くるんだから、服選び手伝ってあげるよ。」
「あー!」
すっかり元の調子に戻った直人をよそに、今度は私が緊張に包まれたのだった。
盆栽が飾ってあって松が2本植えてあって、
車が4台とまっているのにキャッチボールを二つ並んでしても、
まだ十分な広さを感じさせるのではないかと思わせる広いお庭。
お兄さんと弟くん2人とで仲良く遊んでいたのだろうな……。
夕飯をいただきながら開けられた障子の隙間から見えるお庭の様子からそう思った。
「倫子ちゃん嫌いなものある?」
「特にはないです。」
優しそうな直人のお母さん。
髪の毛をサイドにたらし柔らかく微笑む目元から見るに、直人はお母さん似らしい。
「じゃあ大変でしょう。
直人は好き嫌いが多いから。」
「…ご飯の時工夫してます。」
苦笑しながら横に座っている直人をちらっと見る。
「兄ちゃん俺より好き嫌い多いからね。」
大学生になったばかりという一番下の弟くんが言った。
「うるせー!」
「いやほんとのことだろ。」
続けてせめるもう一人の弟くん。大学3年生。
いつもこうして彼は弟くん達にいじめられているらしい。
「兄ちゃんご飯食べたらゲームしようよ。」
「俺、絶対今度は負けねー自信あるから!」
直人につめよる弟くんたち。
「こらこら倫子さん来ていただいてるんだから。」
私の父とは違って穏やかなお父さん。
「大丈夫ですよ。」
微笑む私。
「倫子は俺の隣で見てたらいいよ。
絶対負けないからな!」
ご飯をほおばりながら弟くん達にそういう直人。
なんだかんだで嬉しそうな彼を見るとかわいくて仕方ないんだろうな。
下に兄弟がいないせいか、少し羨ましくなった。
「兄ちゃんもいたらよかったのになー。」
一番上のお兄さんは都内に出張中のようで、今日は会えない。
「ごちそうさまー!」
「ごちそうさまー!兄ちゃん早く!」
「お前らはいつになっても、子供だなあ。」
笑いながらテレビ台の前に移動する直人。
「さて片付けましょうか。」
「私も手伝います。」
「ありがとう、倫子ちゃん。」
使った食器を一つ一つ私が洗うと直人のお母さんがそれをふいてくれる。
テレビ台の前でぎゃーぎゃーと騒ぐ直人達。
しているのはサッカーのゲームらしい。
「仲がいいですね、本当に。」
「そうなの。
直人は面倒見が良くてね。」
微笑むお母さん。
「私が言うのもなんだけど、直人優しいでしょう?」
「…とっても優しいです。」
浮かんでくるのは彼の表情。
どれも優しく微笑んだ彼の顔ばかり――――。
怒ったことなんて一度もない。
「あの子は昔から優しい子でね。」
愛しそうに直人を見つめる。
「でも……
優しい子にならざるをえなかったのかもしれないわ。」
最後のお皿をカタンと置いた。
「一番上のお兄ちゃんは、ある程度大きくなってたからあれなんだけど、
直人には弟たちがいたから…。
寂しいなんて言ったことがないのよ、私に。」
いつも彼が家族の話をする時は、弟君がどうだーとか楽しそうに話すから、
そんな風に考えたことがなかった。
むしろ楽しく過ごしてきたんだろうなって―――。
「直人は寂しいってあなたに言う?」
「…はい。」
「そう、ならよかったわ。」
また微笑んでくれる。
顔だけじゃなくて、直人の優しいところもお母さん譲りなのかもしれないな。
「これからもよろしくね、直人のこと。」
弟君たちと仲良く遊んでいる直人を一度ちらっと見て、
「……はい。」
大切にしようと改めて強く思った。
片付け終わって私は彼の隣に行く。
「片付け、ありがとう。」
直人の口元が緩んだ。
ずっとこうやって、寂しくても優しく笑ってきたのかもしれない。
我慢して、甘えたい気持ちおしこめて……。
今すぐにでも抱きしめたい衝動をこらえながら、私は優しく告げた。
「こちらこそ。」
「……え?何が?」
直人は理由を尋ねてきたけれど、
私は答えないまま彼のひざに手を置いた。




