【鱗雲】
かわいらしい花嫁さんが嫁いで来て、あっという間に1ヶ月が経ちました。
二人は相変わらずのんびりと暮らしており、しっかり者の使用人がいなければ、きっと二人は餓死してしまうでしょう。
そして、お部屋も散らかりっぱなしのはずです。
そんな二人はきちんと夫婦としてやっていけているのでしょうか?
二人はきちんと想いが通じあっているのでしょうか・・・?
鱗雲が流れる秋の爽やかな日。
「織り殿、此度はめでたく嫁入りなされたそうで」
織りと道場の縁側に座り込んだ師範代が、ズズッとお茶を啜りながら目元を緩めた。
「はい。でも今までと何ら変わりませんわ」
同じようにお茶をズズッと啜りながら、胴着姿の織りが、秋空のような爽やかな笑顔で答えた。
まだ若い師範代(とは言え、30歳手前なのだが)は、ご隠居よろしく背を丸めて織りの言葉かぶりを振った。師範代とは思えない線の細い男である。
その線の細い男は、細い真剣な眼差しを織りに向け、改まったように重たく口を開く。
「織り殿、この際だから申しておくが、今の世の中、女性は家に入れば夫に従うのが習わし。良妻賢母の教育とはそういうものです。お母上はこの道場にあなたがお通いになることをとても心配しておられたのです。そんな織り殿も晴れて奥方になられた以上は、身を慎み、お家繁栄のために………」
「もうっ!水村さままでなんてことを仰いますの!?言われなくても、御仏の功徳があればわたくしもそれなりに落ち着き、ゆくゆくは良き妻、良き母として立派に………」
「子は御仏の功徳によってばかり得られるものではありませんぞ。鸛でもなく、あれは男女の……」
「まぁぁっ!!!昼間っから何を仰いますの!?これだから殿方と言うのはっ………」
水村の発言に、織りは顔を真っ赤にしてキンキン声で叫ぶ。
いやですわ!と首をブンブン振る織りの隣で水村は呆れた面持ちで耳をふさいだ。
これでは御仏の功徳とやらがあっても、とても落ち着いた良き妻賢き母にはなれそうにない。
「何を昼間から話しておるのだ?」
突然、道場の手前から声が聞こえたかと思うと、間を空けずに見慣れた顔が覗く。
「しょ…松太朗さま!?」
現れた人物を見て、織りは目をまん丸くする。そして慌てて居住まいを正した。
出会って1月経つが、いつ見ても見目麗しいその人こそ、織りのダンナさまで、想い人の松太朗だった。
松のように横にも広く伸び、朗らかに育つようにと『松太朗―ショウタロウ』と名付けたらしい。
先日二人で庭の松を眺めているときに、松太朗がぽつりと織りに話してくれたことだ。
もちろん織りは、そんな話しでも「ステキですねぇ」などと、感極まる想いで聞いていた。
あとから茜に「織り様も大変ですね」などと言われた際には、真剣な面持ちで説教をした。
曰く「旦那さまのことを何でもいいから知っていたいのです。どんな細かいことでも、松太朗さまに関わることをご本人の口から聞ければ、織りは幸せになれるのです!」と。
「どちらさまかな?」
開いているのか閉じているのか分からない細い目で、きょとんとする水村に、松太朗はやんわりと微笑んだ。
「失礼。妻がお世話になっております。夫の松太朗と申す」
「あぁ、貴方が」
「つま…」
水村の細い目にも眩しいくらいの爽やかで、織りにとっては目眩すら覚える笑顔で、松太朗は自己紹介をした。
細い瞳で松太朗をを見つめる水村の隣では、うっとうしいくらいに織りが胸をときめかせていた。
他人に自分のことを「妻」と紹介したことに、織りは感動で胸が熱くなる。
自分たちは、夫婦なのだと実感した。