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ture life  作者: ゆぅ
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紅梅

「松太朗さま、ちょっと宜しいですか?」

家の縁側で、愛猫のメダカを抱いて日向ぼっこをしていた松太朗に、早春の暖かなお日様のような明るい声が背中からかけられる。

 松太朗は、うとうとと閉じそうになっていた目をゆっくり持ち上げる。気づくと、彼の隣には梅の花を抱いた織りがちょこんと座っていた。

「紅梅か、よい香りだな」

 松太朗が首を擡げ、目を細めて柔らかく微笑む。

「うっ…」

 その眩い微笑みに、思わず織りが目を瞑る。最近、織りにしてみれば松太朗の愛情に精一杯答えており、そのため少し夫との距離が縮まっていた。しかし、織りは忘れていたが、相手は絵巻物に描かれるような、光源氏に勝るとも劣らない輝きをもつ美男子であったのだ。松太朗が微笑むだけで、市井の娘は腰が砕けてしまう。屈強な猛者ですら頬を赤らめてしまうのだ。織りなど、失神寸前である。

「織り殿、また目にゴミでも入ったのか?」

 突然目を瞑ってしまった愛妻に、松太朗が気づかわしげに覗き込む。織りは、さらに取り乱し、顔を赤くした。

「だ…大丈夫でございます!何でもありませんわ!」

 力いっぱい首を振る織りに、松太朗は、そうか、とだけ答える。

「で、どうしたのだ?俺に用があったのではないか?」

 メダカの顎を指で愛でながら、松太朗が聞く。織りは、はたと思い出し、梅の花をそっと膝の上に置いた。代わりに、帯から一枚の紙を取り出す。

「松太朗さま、これなのですが…」

「ん?なんだ…」

織りの差し出した紙を見て、松太朗は再び首をかしげる。これは先日の回覧版の写しである。『新春町内会対抗競技会』の案内であった。

「織り殿、これに出るのは遠慮してほしいと伝えておいたはずであろう?」

 

道場に通い、織りが竹刀を振るのはかまわない。彼女の好きなことを応援したいと思うし、それでこそ織りという女性だと思っている。しかし、それゆえ、ただでさえ猛者たちの目に触れやすい。猛者たちばかりの中に、このように可憐で愛らしい織り(と松太朗は思っている)がいるということは松太朗にとって、心配の種でもあった。いつ何時、その中の不届きものが織りに懸想し、愛妻をイカガワシイ目で見るとも限らない。それでも道場通いを許しているのは、一重に水村という師範代の存在である。

 一度、水村と手合わせをしたから分かる。ほとんど武芸に励まない武家の次男でも、水村が只者ではないということは分かった。しかも、その師範代は織りのことを娘のように可愛がっている。その娘が傷つくのであれば、夫である自分にでさえ敵意を表してくるのだ。

 そんな彼が仕切る道場だからこそ安心して通わせている。

 水村の目を離れ、道場の猛者だけではなく、ご町内のあらゆる者の目に触れるのは我慢ならなかった。


 もちろん、男としての意地があるから、そんな自分の醜い嫉妬の思いなど、織りには伝えない。それは、松太朗にとっては、武家の男として許せないことだ。しかし、だから織りには松太朗の思いなど、微塵も伝わらない。


「ち…違いますわ、参加することは諦めましたもの」

松太朗の嫉妬の念など、微塵も知るはずもない織りは、何かわからないが怒っているような顔をする松太朗の機嫌を損ねてはならないと、ブンブンと手を振る。

 水村が松太朗を説得してくれないと分かった時から、自分が出ることなどとうに諦めている。

「では、なぜその紙をいまだに大事にもっておるのだ?」

「実は、これに道場で参加することになったようでして…」

「道場からの参加も、遠慮してもらうぞ」

ズイっと顔を寄せ、何が何でも参加を認めないと強い瞳で織りに迫る。織りは、思わず身を退かせ、思いっきり首を振った。

「違うのです、水村様からこの日は炊き出しを頼まれておりますの。炊き出しくらいなら、行っても宜しいでしょうか?」

 小首を傾げ、どんぐり眼を潤ませながら織りが哀願してくる。

 せめて、これくらいは許してくださいませ…。

 そんな心の声が聞こえる。愛妻の愛らしい表情の思わず松太朗は目じりを緩めてしまう。

「左様か。では、しっかりと水村殿の期待にこたえねばならんな」

「まぁ!嬉しゅうございますわ、松太朗さま!わたくし、頑張りますわね」

はしたなくも、織りは嬉しさのあまり思わず膝立ちになり、大きな声を出してしまう。そして、あられもなく松太朗の首に抱き付いた。

「お…織り殿…」

驚いたのは、松太朗である。よもや、織りがこのような大胆な行動に出るとは思わなかった。

(これも、俺の最近の頑張りの賜物であろうか…)

松太朗は、愛猫から手を放し、そのまま織りの腰を抱こうと腕を伸ばした。

「織り…」

昼間から、このようなことになろうとは…。仏は俺を見捨ててはおられなんだ…。

「織り様!」

鋭い茜の声が突然、部屋に響いた。

「あ、茜。良かったわ、松太朗さまが今度の炊き出しに行ってもよいとお許しを下さったわよ」

ピョンと、猫のように身を起こした織りは嬉々として茜に報告をする。

そのため、松太朗の腕は虚しく空を切った。

「ようございました。それより、早く梅を持ってきてくださいませ。床の間の花がいつまでも飾れませんのよ」

織りの肩越しに、床に置かれた梅の花を見た。そして、その傍で虚しく腕を揺らして項垂れる松太朗を…。茜は、松太朗の表情から、彼の思いや自分が来るまでに彼がやろうとしていたことを察した。

「申し訳ございません、織り様。わたくし、とんだお邪魔をしてしまったようですね」

心底申し訳なさそうにする自分つきの女中に、女主人はきょとんと首をかしげる。

「あら、何が?」

「い…いえ…」

(心中お察しいたしますわ、松太朗さま…)


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