回覧
水村と昼食をとっていた清介は、ごちそう様です、と言うと茶碗を片づけ始める。
「あぁ、清介。ちょっと座りなさい」
お茶をずずぃっと飲んでいた水村は、ニコニコと清介を促した。きょとんと小首を傾げる清介は、訝しげにまた腰を下ろす。
「なんですか?」
「いやぁ、清介は日ごろからよく働いてくれるし、稽古にも精を出しているから、ちょっとこれに出て、気晴らししてこないかなぁとね」
そう言いながら、水村は清介に回覧を渡した。それを受けっとって、清介は一読する。
「新春町内会対抗競技大会?長い名前ですねぇ」
「ま、早い話がここいらのご近所で互いに競い合おうという催しだよ。道場という手前、うちが参加しないわけにはいかないからね。門下の生徒さんと清介に参加してもらおうと思っているんだ」
実に嬉しそうに話す水村に、清介は眉をひそめた。
「これらすべてに出るのですか?寒中水泳に持久走に力比べに大食いに…」
いろいろな種目が書かれているのだが、どれも大変そうなものばかりである。
「楽しそうだろう?」
「いやぁ…」
清介が返答に困っていると、湯呑を持ったままの水村が自分の正面まで膝を詰める。そして、持久走を指さしながら、「これなんていいんじゃない?」と言う。
「剣術とは、なぁんも関係がないじゃないですか?」
半目で水村に訴えてみる。すると、水村は心底不思議そうに首を傾げて、
「じゃあ。寒い中、町のど真ん中を流れる川を褌一丁で泳ぐかい?それに、隣の町には力自慢の兄弟がいるから、彼らが出れば清介なんてすぐに負けてしまうよ?それとも大食いに出るかい?先日見ていたが、どう見ても松太朗殿の方がお前より食っておられたぞ?」
「う…そ…それは…」
あまりに的確に言う水村に、清介は思わず言葉に詰まってしまう。そんな彼に畳みかけるように、ずいっと水村は顔を寄せて付け足す。
「それで、清介が勝てるとでも?きっと織り殿も見に来られるが、お前は織り殿にみっともない姿を見せたいのかい?」
その言葉に、清介の目がクワッと見開かれた。
「お…織りさんも見に来られるのですか?」
心なしか弾むような、しかし不安で震えるようなそんな声音で清介は水村に尋ねる。水村はクイッと湯呑を傾けて残りの茶を一気に飲み干し、とぼけるように視線を泳がせながら答えた。
「うちの生徒に変わりないですからね。茜殿と一緒に炊き出しに来るように伝えているのですよ」
にっこり微笑み、水村は織りが炊き出しに来る経緯になった日を思い出した。
回覧板を見た織りが、意気揚々と小さな拳をキュッと握って『わたくしも、参加したい!』と、先日訪ねてきた折りに言っていた。
しかし、それを松太朗には早々と「ダメだ」と言われたらしく、『水村様、門下生としてわたくしを参加させて下さいませ。ね、そして、松太朗さまを説得してくださいな』と言っていたのだ。ここで松太朗を相手に、水村が説得する労力を惜しむ義理もないので、織りにはうまく言いくるめて、炊き出しに来るように伝えたのだ。そして、ほんの僅かな下心と、大きな不安から『一人では何もできないだろうから、茜殿にも来てもらいなさい』と織りに伝えたのだ。
ぷっと膨れた織りは、渋々『分かりましたわ』と水村に答え、とぼとぼと帰っていったのである。
空になった湯呑を回しながら、水村は清介を見る。そして、最後に一言付け足した。
「しっかり体を動かして、織り殿の炊き出しを馳走になるとしよう」
むぅっと眉間に皺を寄せて思案する清介は、ゆっくりと水村と視線を合わせる。そして、揺るぎない強い意志の灯った瞳で「出ます」と、答えた。
「よい心がけだね」
水村は満面の笑みでうなずいた。しかし、清介は重々しく続ける。
「しかし…、俺は織りさんの炊き出しでは不安です。あの方は包丁すらろくすっぽ使えぬ方なのだ。そのようなおなごが、炊き出しで旨いものが作れるとは思えない」
先日、ともに台所に立った際に見た、織りの危なっかしい手つき。とても、彼女が料理をするとは思えないし、水村の言いつけで、温かいものを作ったとして、それが体を動かしてきた猛者たちの舌を満足させられるとは、到底思えなかった。
織りに懸想しながらも、冷静に判断する従兄弟を見て、水村は実に頼もしく思った。腕組をして、
「清介、君は立派な男だよ」
と称えたのだった。