【後朝】
まだ夜も明けぬ頃。
ごそごそと松太朗は布団から起き上がった。
ぼんやりした頭で考える。
(あぁ…そうだった…)
横で小さな寝息をたてる少女を見て、松太朗はまた目を閉じた。
祝言を上げたのだった・・・。
そして昨夜は…。
年甲斐もなく、カッと顔が熱くなってゆくのを感じた。
そして昨夜の名残かのように、心臓がうるさいくらいに早鐘を打つ。
会ったばかりの娘と祝言をあげ、初夜を迎えるにあたって、松太朗は特別な思い入れなどなかった。
全ては家のため。
裕福でない下級武士の家に、次男坊がいつまでも居座っていてもただの穀潰し。
ならばさっさと嫁をとり、家を出てしまった方がよい。
それに、女を抱くのも初めてではない。
いつも通り・・・やれば良いのだ。
そうすれば、女は悦ぶ。どこにどう触れればよいか、どう声をかければよいか。
そう。いつも通りだ。
そう思っていた松太朗は、やって来た少女に目を見張った。
まず、花嫁衣装を着たあどけなさの残る娘の真っ赤な唇がとても可愛らしく思えた。トクン・・・と小さく胸を打つものがある。
そして昨夜。
まっすぐな眼差しに、ピンと伸びた背。よく通る声には張りがあり迷いがない。
そして武家の娘らしからぬことを言う。
また一つ、トクンと胸を打つ。
しかし、そんな彼女が実は大きな不安と戦いながら微笑んでいることは、容易に想像がついた。
大きなことを言いながら、彼女の小さな手は震えていたのだから。
織りのその姿を愛おしく感じた。
昨夜は、必死に理性と戦っていたのだ。
気丈に振る舞っていた織りも、いざ床の中ではやはり身を固くさせていた。
小さく震える肩は、何とも頼りない。
そんな織りに触れるだけで松太朗の胸は高鳴った。そして締め付けられるように苦しかった。
武家の娘らしからぬことを言う織りが、床の中では武家の娘らしく振る舞う。それはとてもぎこちないものであったが、いじらしい。
松太朗を華奢な全身で必死に受け止めている。
初めての恐怖と破瓜の痛みに耐えながら、織りは武家の娘らしく努めた。
そして、改めて松太朗は気づいた。
(織り殿にとって俺は、初めての男か・・・)
そう思えば、高ぶる気持ちをそのままをぶつければいいと言うものではない。
そうすれば、きっと織りを傷つけてしまうだろう。
こんなまっすぐな娘を、そのような形で傷つけてしまってはいけない。
ガラス細工のように繊細な織りは、壊れてしまいそうだ。
こんなことは初めてで、松太朗も戸惑っていた。
『あぁ…っ』
『織り殿…』
松太朗は、織りを丁寧に扱いながら、その姿や声をじっくりと知っていきたかった。
ふいに漏れた甘い声は、松太朗の理性を奪いそうだった。
小さく上げた甘露な声に自身で驚く織りの手を掴んで口元からどける。
恥ずかしそうに視線をそらした織りが、可愛くて仕方がない。
その恥ずかしがる表情も、自分の前でしか出したことがないのだ。
その甘い声も。
そして、織りにそんなことをさせられるのは、自分だけだ。
徐々に、松太朗の心に独占欲がこみ上げてきた。
それでも、松太朗は自分のその気持ちを抑えながら、織りに言葉で気持ちを伝えていた。
事が終わるおと松太朗は倒れこむように織りにもたれる。
『お…重いです…』
松太朗の重みに苦しげに織りがうめくと、松太朗はまさに名の通り、朗らかに笑いながらクルリと身を返して織りの横に寝転ぶ。
その様を目最初と同様に目だけで追う織りに、優しく温かい微笑みを向ける。そして織りの肩を抱き寄せて、その身をぎゅっと抱きしめた。
ふかふかの、柔らかく小さな体だ。
『 愛しくてたまらん』
情事のさなか感じた思いを囁きながら織りの手に自分のそれを絡ませ、その手にちゅっと接吻をする。
そして、織りの手を唇に当てたまま、そこから覗き込むように目だけを見せた松太朗は、織りの瞳を捉えて離さない。
『初めて会う貴女が愛しくて仕方がないのだ』
『あ…あの…』
熱い視線でそうささやかれた織りは、どうしてよいのか分からず、どんぐり眼を伏せる。すると、松太朗は絡めていた手を織りの顎に添え、こちらを向かせる。
『……』
恥ずかしくて、言葉にならない。そんな織りの戸惑いなどかまわずに、腰に手を回して一層織りを抱き寄せる。
『織り殿、惚れてしまいました』
『しょ、松太朗さま……』
恥ずかしくて仕方がない。あまりに真剣なまなざしで自分に愛を囁くその松太朗に戸惑うくせに、目が離せない。
自分も、松太朗が愛しくて仕方がないのに。こうして抱き寄せられることに、幸せを感じているというのに。
(わたくし、捕まってしまったんだわ…)
松太朗の瞳を見つめ返しながら、織りは観念したようにそう心の中で呟く。
『これから、宜しくお頼み申すぞ』
そんな、武家の次男坊らしく固い挨拶をした松太朗は、ちゅっと織りに口づけして、そのまま眠りについてしまった。