傘さし月
松太朗の唇は冷たかった。
角度を変えながら、彼は織りの唇を奪い続けた。
「しょ……さま……んぅ」
苦し紛れに、松太朗の胸に手を当てて、何とか彼を引き離そうとするが敵わない。しかも、言葉を紡ごうとした瞬間、松太朗は更に深く織りに口づけする。頭に添えられている手にも、いっそう力が入った。
織りは、結った髪が乱れても仕方がない、と思いながら、頭を動かし松太朗から離れようとする。
松太朗の舌も、冷たかった。
こんなところ、誰かに見られでもしたら…。
(う…打ち首だわ…。)
織りは青ざめる。
何とか、松太朗を引き離さなければ。
「だ…だめ…!」
「何が…?」
唇が触れるか触れないかの距離で松太朗が色っぽく、低い声で織りに尋ねる。そして、そのまま唇を耳元に寄せた。
「織り」
「んっ」
風を震わす松太朗の声に、織りはくすぐったいような感覚を覚え、肩をすくめた。
「織り」
ただ名前を呼ばれているだけなのに、顔が熱い。
いや、顔だけではない。冬の夜風に触れているはずの耳も、指先も、すべて熱く感じる。
織りは、恨めしそうに松太朗を見上げた。
「いじわるですわ、松太朗様」
「どこが」
ツンと言い放つ松太朗は、まるで何もなかったかのように踵を返すと、一人で歩き始めた。
「あ、待って下さいませ」
慌てて織りも、後を追う。
「いじわるですわ、松太朗様」
松太朗の背に向かって、織りは再び同じ言葉を言う。
「明日は雨だなぁ…」
しかし、松太朗は月を見上げながらまったく織りの言葉など意に介さない。
「松太朗様、感心いたしませんわ。あのような、こと…。もしどなたかに見られでもしたら、どうしますの?」
見つからなかったからよかったようなものの、あんなところ誰かに見られでもしたら…。考えただけでゾッとする。
下手したら、一族も明るい場所を歩けなくなってしまう。
「松太朗様、聞いてらっしゃいますか!?」
先ほどまでの居心地の悪さや罪悪感はどこへやら。
織りは、厳しい口調で続ける。
しかし、松太朗は振り返らず、何かを払うように手をヒラヒラさせる。
「静かにしないか。相変わらず騒がしい。もう夜も更けているというのに。どちらが近所迷惑か。」
呆れたような松太朗の口調に、織りは目を丸くひん剥いて絶句した。
「明日は雨だなぁ…。なかなか晴れぬものだなぁ…空も。俺も」
そう言うと、松太朗は、またもや歩みを止めゆっくりと織りを振り返った。
やはり、松太朗は美しかった。
顔半分に青白い光が落ち、風で髪をなびかせたたずむ姿は妖艶で、しかし今はどこか哀愁も讃えている。
織りは、無意識に先ほどまで重ねていた松太朗の唇に目をやる。
形の良い唇は、冬の風に当たり冷たかった。
「織り、俺は気にしていない。だが…妻が他所の男と一緒にいるところを見るのは、面白くない」
「あっ…」
織りは、松太朗の言葉にキュッと胸の奥を握られたような感覚を覚えた。
さみしげな瞳を見せられては、いつものように浮かれる気にはなれない。
「俺は…本当は誰にも触れさせたくないと思っている。俺だけを頼りに生きてほしい。ずっと俺だけに笑っていてほしい」
織りは、松太朗のまっすぐな瞳に囚われてしまったようだった。
熱っぽい松太朗の言葉に、織りは喜びより何より、松太朗に対する熱く優しい想いがじわりじわりと湧き出てくるのを感じた。
とても心が温かい。
「わたくしも…。松太朗様には、ずっとわたくしを見ていてほしゅうございますわ」
松太朗は、ふっとはにかむように微笑んだ。




