弟子と妻
厨房に立つ2人は、最初に必要な会話を交わしただけで、あとは無言のままである。清介が握る包丁の小気味よい音を耳にしながら、織りは火を起こそうとしていた。
しかし、竹筒で、ふぅっと息を吹きかけるのだが、一向に火がつく気配がない。
「なんだ、まだ火がつかないのか?」
竈の側にしゃがみこむ織りの横に座り、覗きこむ清介が尋ねる。
額に汗を浮かべた織りは、その汗をぬぐいながら首を傾げた。
「思えばわたくしは、火など起こしたことがございませんでしたわ」
「……そ…そうか……。じゃあ、俺がこっちはやるから、そこの野菜を切ってくれ」
苦笑いを浮かべて言う清介が指さす方を見て、おとなしく包丁を握った。
トン、トン、とゆっくり、そして危なっかしく野菜を切る織りを横目に見ながら、清介は竹筒から口を離して尋ねた。
「家で…包丁も持たないのか?」
織りは目も向けずに「ええ」と答える。
「実家では、使用人がやってくれていましたし、今も茜がいますし」
ふぅっと大きく火種に息を吹きかけながら話を聞く清介も、額に汗を浮かべながら「ふぅん」と答える。
「で、あのダンナ様は何もおっしゃられないので?」
そう言うと、また大きく息を吹きかける。
パチパチを音を立てながら、薪が燃え始めたのを確認すると、清介は数本の薪を入れたして、もう一度、息を吹きかけた。
「よし、ついた」
清介は、竹筒を傍らに置くと、未だ危なっかしい手つきだで野菜を切る織りの横に立つ。
「おぉと…こりゃ……まぁ………」
織りの切った野菜のカケラを手にしてた清介は、あまりにチグハグな切り方をするので言葉にすることができない。
「松太朗殿は……何もおっしゃられないので?」
野菜と織りを半眼で見やりながら、再度聞く。
「さぁ…。何か思うところはおありかも知れませんが、何もおっしゃっては下さいませんので」
冷たい隙間風も吹きこむ厨房で、織りは額に汗をかきながら必死にジャガイモの皮を剥いていた。
顔も上げず、真剣なまなざしで手元を睨みつける織りを見て、清介はふぅっと小さなため息を吐く。
「包丁の背に人差し指を添えてだなぁ…」
「え…ちょ…」
織りの背後に回り込み、清介は織りの右手を取った。
自分と背の変わらなかったじゃじゃ馬をいつの間にか追い越し、自分と変わらず小さなふっくらとしていた手も、いつの間にか自分の方は大きく節の目立つものになってしまった。
その節と豆だらけの手で、織りのほっそりとした白い手を握る。
突然のことに織りも慌てる。しかし、清介は構わず続けた。
「ふん。チビのままの織り殿は包丁の使い方も知らぬようなのでな。で、親指はこうやって、刃を滑らせればよいのだ」
手を添えてやりながら、ゆっくりとジャガイモの皮を剥いていく。
「松太朗殿は…何故奥方に料理の一つも出来ねば困ると言われないのだろうな。こんな包丁一つろくに使えぬ娘、俺なら絶対に黙ってはおらんがな」
「口やかましい旦那さまですこと。松太朗さまは優しいのですわ」
「夫婦というものは優しいだけではやってはいけぬと思うがな。まぁ、俺のように家事全般においてそつなくこなし、武芸にも励むような男が織り殿にはあっているのではないか?」
織りの顔が見えないのをいいことに、清介は強気にそういう言う。
そして、やはり本心から解せぬという声音で続けた。
「あのような見目麗しいご仁が、そこいらの一般武家の娘を嫁に迎えるというのもなぁ…。あのようなご容姿であれば、どこか大名かはたまた公家のお姫様方からお声がかかってもおかしくはないと思うのだが…。なぁ。そうは思われんか?」
意地悪でも、嫌味でもない。
清介は本当に無邪気な少年のように、解せない問題を解くかのように口にしていた。
それは織りにも伝わり、織りはムッとするよりもただ共に首を傾げる。
「それも、そうでございますが…」
自分自身ですら、キツネにつままれているのではないかと思っているのだ。それを今さら清介に言われたからと言って、怒る気にもならない。
「でも、これが現実でございますしね。今さら考えても仕方がないと思っておるのですよ」
ゆっくり手を動かす織りは、ふっと困ったように言う。
清介は、手を添えてやりながらもその言葉に耳を傾けた。
「松太朗さまが、わたくしを妻にと迎えてくださったことも、わたくしと添い遂げると言って下さったことも、どれも夢のようですけれども、ぜぇ~んぶ現実なんですもの。そして、わたくしも毎日目覚める度に、夢ではなかったのかと思いますけれども、隣には松太朗さまがいらっしゃって、毎日が始まるのです。そんな生活も半年近くもたてば、いい加減現実なのだろうと、いやでも思うしかありませんわ」
(うぅむ…)
厨房の入り口に隠れた松太朗は、織りの言葉に腕組をした。
清介がこれ以上、織りに触れようものなら、怒鳴りこみ、引っ張ってでも織りを連れて帰るつもりだったのだが…。
(タイミングを失ってしまったな…)
入るタイミングも、立ち去るタイミングも。
「ならば、なおさら妻には妻としてあり方を教えるべきではないのか?」
「それは…」
「ままごとではないのだから」
言い淀む織りに、清介は畳みかけるように言った。そして、織りに添えていた手を、そっと離すとそのまま彼女を後ろから抱きすくめる。
「せ…清介さん!!」
驚いた織りが、包丁を持ったまま、清介を肩越しに振り返ろうとする。
厨房の入り口では、松太朗が一歩踏み出す。
「腹がたつなぁ…まったく」
清介の呟きに、松太朗はそのまま足を止める。
織りも、怪訝な表情をした。
「久しぶりに会った、幼馴染は…俺の敵にはならんくらい小柄だし。美しく育っておるし…。ましてやキツネにつままれるような嫁入りまでしておるし…。俺だけが、まるで時が止まったかのようだ」
織りが小柄なのではない。
清介が青年として成長したのだ。
織りが美しく育ったと思うのも、清介が織りを好いていたからだ。
だから、そんな織りがのほほんと、鈍感で呑気な見目麗しい、自分よりずっと大人の松太朗のもとで幸せにすごしているようだから、腹が立つ。
織りに。
松太朗に。
そして、自分自身に。
清介の心のうちなど分らぬ織りは、そっとジャガイモをもった手で清介の手に触れた。
「何も、変わってませんわ。清介さんがいらっしゃらなかった時の間にはそんなに変わってなどおりません。すぐ、元の生活が戻ってきますわよ」
優しい声音で言う織りに、清介はただただ黙って、その身を抱きすくめていた。
織りは、そんな清介に母のように、ポンポンと手を叩いてやる。
「また、わたくしが相手になって差し上げますわ。そして、またわたくしが勝ちます」
織りの言葉を聞いて、清介はしばしののちスッと体を離した。
そして、再び織りの横に並んで、鍋の様子をうかがう。
「相変わらず生意気な口だ。もう織りさんなんかには負けませんよ」
ニッと笑う清介に、織りはやんわりと「どうかしらね」と笑って見せた。
(うむ…。黙って飯を待つとしよう)