大晦日…の4日後
三が日も終わり、茜もやっと戻って来たことで、日常が動きつつあった。
「松太朗さま、織りさま。明けましておめでとうございます」
上座に夫婦を座らせた茜は、恭しくこうべを垂れる。
松太朗はその仰々しさに、尻がムズムズするのだが、織りはすっかり笑顔で頷くばかりだ。
これが昔から茜と織りたちの年始であるのだから、いつものことだ、とお互い割り切って、そして場を楽しんでいる。
「また、此度は長の暇ありがとう存じます」
「ゆっくり出来ましたか?」
いつになく、上品に言う織りの口調からも、本人らにってこれがただの『イベント』だと知れる。だが、慣れない松太朗は胡座をかき、腕組みしたままブルっと身震いしてみせた。
「つまらぬ物ですが、お年賀にどうぞ」
そう言って茜が風呂敷から出したのは、上等な生菓子だった。
松太朗は苦笑して、それを受け取る。
こんな茶番でも、彼女らにしてみれば、伝統であり、そしてただの茶番だけではないのだと知れる。
「すまんな、気を遣わせて。正月はゆっくりできたか?」
茜は風呂敷を畳ながら、「えぇ」と答えた。
「懐かしい方々と、再会できたのではない?」
織りの何気ない言葉に、茜が目を丸くして
「そうなのでございますっ」
と鼻息を荒くした。
「なんと、2年ぶりに楊蔵さまに会ってしまいました!!!」
興奮する茜に、織りはまぁっと目を剥き、松太朗は首を捻る。
「また、何で?」
「実はここに戻る道すがら、お稲荷さんに参ったのでございます」
「そこで、会った、と?」
「ま、そんなかんじですわね。あちら様は薬種問屋で大店の跡取りですから」
「ふぅん。焼けぼっ杭に火などはありませんの?」
からかう様に目をニンマリと細める織りに、茜は即答で、否と言う。
「焼け………なんだ。そのヨウゾウ殿とは、茜のかつての思い人か何かか?」
ははは、と新年も変わらず美しく笑う夫に、妻も袖で口元を隠しながら、無邪気に言う。
「違いますわ、松太朗さま。楊蔵殿は、茜の昔の旦那様ですわ」
「なっ……!?」
「2年前に暇を申しつけられましたの」
無邪気な妻の言葉に目を剥き驚愕の表情で、口をパクパクさせながら一家の主は美しい使用人を見た。
茜は松太朗の反応を楽しむようにコロコロと笑う。
「わたくしも、一応おなごの幸せを掴んではみたのですけれどもね」
織りは、茜に気遣う風でもなく、実に無邪気に言う。
「茜は、奥方としても、わたくしの先輩なのです」
「まぁ、結局離縁致しましたけれども」
まったく気に留めないのは茜も同じで、織りの言葉になんとも返答のしにくい言い回しをしてみせた。
口元を歪にゆがめて、なんとか笑おうとする松太朗をよそに、織りは大きく頷きながら付け加える。
「武家でみっちり行儀見習いをしていた茜が、大店の女将など、務まりませんわよ」
「ほほほ。でも楊蔵様もお元気そうでした。なんでも去年の春には新しい奥方を迎えて、今年の夏前には待望のややも……」
若い娘たちらしく、鈴を鳴らしたような爽やかな声で楽しげに話していたのだが、茜は意味ありげにニッコリと極上の笑みを浮かべた。
本当は、あまりの茜の美しい笑みに、楊蔵は彼女を「妻」という女として見れなくなり離縁したのだが……。
それはさて置き、その美しい笑みを顔面に貼り付けたまま、茜は松太朗を見てもう一度言う。
「待望の、ややもっ。産まれるそうです。おややがっ」
「えぇぇい!!!何だと申すのだ!!!小姑のようにやや、やや、と。我ら夫婦、ちゃんと年末にやや計画をしたわ!!!」
「えっ!!??はっ!!??」
「んっまぁ…!!!松太朗さま、それはそれは!!!誠におめでとうございます!!!念願叶いましたのね!?」
松太朗は織りと過ごした大晦日を思い、一人で『織りとのややはしばらく待つ』と合点させていた。勿論、彼らに姫はじめなどあろうはずもない。
そんな松太朗の気も知らず、織りが慌てて赤面しうろたえる。
そんな二人を見て、忠義者の女中は目を爛々と輝かせる。
山田家(松太朗は姓を山田という)の賑やかな年明けであった。
何とか奥さんとの接吻に成功した松太朗さまは、とりあえず目標達成。 ややは作らずとも、次は春までに『二』度めの『初』夜を迎えることが目標です。
松太朗家の姓、茜の過去。
微妙な新発見で、おままごと夫婦+忠義者の女中たちの生活は、また始まるのでした。