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ture life  作者: ゆぅ
39/58

恋人

「うぅぅっ…寒い寒い」


 手をこすり合わせながら、足早に松太朗は家の中へと入る。

 そうじをしていたため、火鉢の火も昨晩から消えている我が家は、外よりは温かい程度であった。


 織りよりも先に部屋へと入り、急いで火をおこす。


 後から入って来た織りは、丁寧に借りていた襟巻を畳んで箪笥にしまう。そして、買ってもらった紅と香を懐から取り出すと、実家から持ってきた漆塗りの化粧箱の前に腰を下した。


 ともに蓋を空け、淡い桜色の紅と爽やかな甘い香りの香を楽しむ。

 鏡を前にして、織りはしばらく自分の顔を眺めた。



 ほっそりとした顎と、ふっくらと膨らむ頬。

 松太朗と一緒にいれば、どちらかというと幼さが目立つ織りの顔にそっと小指にとった紅を引いてみた。淡い桜色の紅が、織りの顔の中でぱっと色めき、しかしけっして唇を悪目立ちさせず、上品に彼女を飾る。


(なんとまぁ…。松太朗さまのお見立てはバッチリだわ)


 鏡を見ながら織りは自分の顔をまじまじと見つめて関心した。

 そして、紅も香も大切に化粧箱にしまうと、すっと立ち上がった。


 心なしかウキウキしながら、そして気恥かしさも漂わせながら松太朗のもとへ向かう。

 


 (自分で言うのもなんだか恥ずかしいし…でも、言わなければ、松太朗さまは気づいてくれるとも思えませんものねぇ…)


 腕を組み、うぅぅんと考えていた織りが部屋に戻ると、

「あぁ、織り殿。熱い茶をいれたぞ」

 膝に愛猫を乗せた松太朗が、その背を撫でながらニコニコと言う。

「まぁ…、松太朗さま!申し訳ないですわ、そのようなこと、本来であればわたくしがせねばなりませんのに……!!」

「いやぁ、よいのだ。朝からずっと掃除で疲れていただろう。ん…」

 慌てる織りに、松太朗は柔和な笑みを浮かべていたわった。

 そして、申し訳なさそうに腰を下ろすを、松太朗はまじまじと見詰める。

 湯吞みを手にした織りは、その視線に気づく。


「な…何でしょう」


 織りが目をきょどきょどさせると、松太朗はニッと口角を上げる。

 そして、湯呑みの淵に指を添えて茶を口に含んだ。


「もうしばらく、茶を飲むのも茶菓子を食うのも我慢した方が良いな」


 そう言いながら松太朗は、織りの湯呑みをそっと彼女の手から取った。


 織りは、わけが分らず変わらず目をパチクリさせている。そんな妻を見ながら、松太朗は愛猫を抱えた。甘えた声で鳴くメダカの下顎を撫でると、気持よさ気に目を細める。そんなメダカを見下ろした松太朗は、まるでメダカに話しかけるように続けた。


「せっかく綺麗な桜色をしておるのだから、茶を飲めば、落ちてしまうではないか、なぁ」

「よ…よくお気づきになりましたわね…」


 驚いた織りは、目を丸くしたまま呆けたように言う。

 この夫が、まさか妻の化粧に気づくなど微塵も思っていなかった。

そんな、織りの顔を見て、松太朗は柔らかく微笑んだ。まるで、冬に差し込む暖かな昼の日差しを思わせるような、そんな微笑みだ。


(あぁ、わたくし、松太朗さまのこのお顔すきだわ…)


惚けたように織りは松太朗を見つめながら思った。


 気づけば、そこは火鉢の中でパチパチを炭が燃える音しか聞こえない、二人だけの空間だった。

松太朗は、笑顔のまま、片手をついてゆっくり織りへと体を傾けたきた。

 自分に落ちてくる影を意識して、織りは松太朗から目が離せずにいた。

まるで、金縛りにあっているかのようだ。

 

 柔らかく微笑む松太朗が、ゆっくりとした動作で織りに近づいた。

 息が触れてしまうほどの距離で、心臓が飛び出しそうなくら胸が早鐘を打つ。

 松太朗が近づいた分、体は後に退きたいと思うのに、松太朗の瞳に捉えられてしてしまったかのように体は動かない。

 ふわりと香る松太朗の香を鼻先に感じながら、織りは形のよい松太朗の唇に目を落とす。

 閉じられたように震える織りの長く、ほどよく上を向く睫毛を見ながらその先にある、桜色の唇を見つめ、松太朗は思いがけず、満足感や独占欲を感じた。

この娘を美しく着飾ったのが自分であるという満足感。

娘を女にしたのだという満足感。

そして、この女にとって自分が唯一無二の者でありたいという、独占欲。


おかしなものだ。自分がよもや、こんな思いに囚われることになるとは。


啄むような口づけをし、紅のついた唇を舌でなぞり、また唇を重ねる。



 夫婦の胸の間で、メダカは目を細めて小さく鳴いた。











 長い接吻から名残惜しげに唇を離すと、真っ赤な顔の織りが俯いたまま手で唇を押さえている。

 松太朗は、織りの細い顎を取るとそっと持ち上げた。

 

 「うむ…すっかり取れてしまったな…」

 顎に添えた手はそのままに、長い親指の腹で織りの唇をなぞる松太朗に、織りはクラクラするほど頭に血が上っているのを実感した。


「まぁ…よいか」

「よ…よくありませんわ」


 呑気な声音で言う松太朗に、織りはやっとそう言った。

 織りの困ったような怒ったような表情を見て、松太朗は小首を傾げる。


「なぜだ」

「だって…こんなにすぐ取れてしまっては…。おなごは、外に出るときには綺麗にしておきたいものなのです。たとえ、一人でおろうとも、しっかりとしておきたいのでございます」

「…まさか織り殿から、おなごについて語る日がくるとは思わなんだ…」


 むぅぅっと、唸りながら織りは恥ずかしそうにしながらも、心底感心したように言う松太朗をきゅっと睨んだ。

 しかし、織り自身も口にしてから「まさか、自分の口からこのような事を言う日が来るなんて…」と半信半疑でもあったため、それを人に指摘されると気恥かしく、唸るしかなかった。



「うむ…。そのような表情を可愛いと思う俺は、もう織り殿に溺れているのかも知れんな」


「松太朗様、寒さで脳味噌が凍っておいでなのではないのでしょうか?」


「もともと、そんなに詰まってはおらん」


「またそのような冗談を…。松太朗さま。殿方がおなごに溺れておるなど、軽々しく口にするものではござませんわよ」

 織りは松太朗に諭すように言う。


 織りの言葉に、松太朗はメダカを抱えたままふっと笑って見せる。

 それは妖艶な笑みでも、不敵な笑みでも、ましてや柔和な微笑みでもなく、どこか諦めたような力のない、ため息にも似たものだった。


「俺の妻ははっきりとモノを言わねば気づかぬ者ゆえ…仕方あるまい」


 鈍感だと間接的に言われた織りは、首を傾げる。


「わたくし、間を読むのは上手だと水村様に言われるのですが…」

「それは、剣における間合いの話であろう。俺も空気を読んでもらえた方が助かるのだがな…。」

 

 にゃぁっとメダカが松太朗の腕から飛び降りる。

 そして戸をカリカリとひっかくので、松太朗は腰を上げて戸をあけてやる。するとメダカは、夫婦を交互に見ると、もう一度にゃぁっと小さく鳴いて、ぴょんと庭に下りると優雅に尻尾を振りながらどこかへ行ってしまった。



「まったく、おなごも猫も気ままなものだと思わんか?」


 ふぅっと今度は本当にため息をつきながら、松太朗が言う。


「…わたくしは松太朗様に振り回されておりますのに?」

「俺のどこが振り回すのだ?」


 織りは、いまだに熱持つ頬をそのままにプイと顔をそむけた。



「わたくしは、いっつも、松太朗様が近くに居られるだけで…触れられるだけで心臓が止まりそうなくらい意識してしまいますわ」


 そして、松太朗からのアクションを少なからず期待する自分がいることを自覚していた。

 しかし、それは口に出さない。


 松太朗は一瞬パチクリと大きく瞬きをする。

 しかし、すぐに小さく笑うと、「そうか」とつぶやいた。


「俺たちは夫婦というより、まるで恋人同士だな」

「こっ……!?」


 両家の親が揃っていたら、

「何を寝言を言っておるのだ!」

やら

「そのような甘ったれたものではないわ!」


などと叱責されそうな言葉に、織りは真っ赤になって言葉を失った。



「恋人同士なら、しばらくは接吻で我慢するしかないな」


 うーんと伸びをする松太朗に、織りは道場での素早さを見せて、彼の胸倉をつかんだ。


「わ…わたくしたち、夫婦でございますわよ。め・お・とっ!義母上が悲しまれますわ!」


 

 利玖にも一度夫婦の夜のことについては話している。

 それが、もしかしたら松太朗の母にも伝わっているかもしれない。(なんせ、母親同士は婚儀を機にお茶仲間になったのだから)

 そんなことになっていれば、実におもしろくない。

 


 松太朗は、血相を変えて自分の胸倉を掴む織りを見下ろして、豪快に笑って見せた。



「そ…それは分っておる。たとえ話であろう」

「シャレにならないたとえ話ですわ」


 松太朗は、ははは!と笑うと、織りの肩に手を置き、あまり高くはない我が家の天井を見上げた。


「まぁ、俺の両親は世継ぎを望んでおるのは事実だな」


 織りは、松太朗の言葉に眉根をきゅうっと寄せると「うぅっ」と小さく唸る。




「分っております…」 

 やはり唸るような低い声で俯いたままの織りがつぶやく。


 松太朗は俯く織りをちらりと見た。


「それは、わたくしの両親も同じですわ」

「まぁ…武家の婚姻などそんなものだな」

「武家なんてそんなものですわ」

 少し顔を上げた織りは心なしか唇を尖らせたまま拗ねたように言う。

「うむ……」



「でも…、わたくしは、もう少し、松太朗様と二人の時間を楽しみとうございますわ」






 松太朗は、黙って目を丸くして織りを見下ろした。


 俯く織りはうなじまで真っ赤にしていた。




「おや、また雪が降り出したな」



 松太朗の言葉に織りは夫ごしに外を見た。

 チラリチラリと柔らかな雪が風に舞っている。


 それを二人で黙って見ていると、どちらともなく視線を絡ませた。

 そして、夫婦はたがいにほほ笑みあい、再び唇を重ねた。




 

 家の事も全てやり終えて、松太朗たちも無事に大晦日を迎えることができた。

 

 そして、未だ台所に立たせては危なっかしい織りの不慣れな年越し蕎麦の準備を見ていた松太朗は、ネギを乗せてしまった丼ぶりを盆に乗せた。

 「これは俺が運ぶから、織りは湯呑みを」

 「はぁい」

 

 額にうっすら汗をにじませた織りは、夫婦茶碗を持ち、松太朗の後をついて部屋へ戻る。


 まったく、茜がいないというだけで、本当に大変である。

 

 (やはり、茜はすごいわねぇ…)


 など、呑気にそんなことを考えた。


「では、今年も一年ご苦労」


 松太朗の労いの言葉で、二人は仲良くいただきますをした。と同時に、遠くから鐘の音が聞こえ始めた。


「もう、年が明けようとしておるのだなぁ」

 ずずっと蕎麦をすすりながら、松太朗が言う。

「今年は人生の分かれ道だったよなぁ…」


「明日はあいさつ回りで大変になりますわね…」

 しゅるるっと蕎麦を吸い上げる織りが続けた。そして、さらに続ける。

「お布団は敷いてありますゆえ、今日はお早目にお休みくださいませ」


「お早めに」とは言っても、今日は普段よりも夜更かしをしている。今日くらいは、ろうそくを少しくらい長く使ったとしても、茜は怒らないはずだ。


 しかしそれよりも、松太朗は布団がいくつ敷いてあるのか気になるのだが…。

 松太朗は、チラリと寝所に目をやる。

 そんな松太朗に織りは気づかず、うっすらと頬を染めたまま極上の笑顔で告げた。



「また、来年もずっと…ずぅっとよろしくお願いしますね」



 ニッコリと自分に笑いかけてくる織りの笑顔を見て、松太朗は布団の数を気にするなど、細かいことに思え、勢いよくつゆを飲んだ。



(ま。気分は恋人同士だな…。時間はたっぷりあるのだし、焦らずともよいか)





 昨日から降り始めた雪は、あたりをすかっかり銀世界に変えてしまっていた。




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