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ture life  作者: ゆぅ
33/58

手合わせ

耳に響く竹刀のぶつかり合う高い音。幼少の頃を思い出す、引き締まった鋭い音に、松太朗はしばし耳を澄ませる。


「松太朗どの、次に私とお手合わせ願えますか?」


ふと目を開けると、ニコニコと笑顔をまき散らす水村がいた。


「水村どの、師範代のあなたと俺では全く対等ではないだろう。と言うか、俺が不利すぎて自分がかわいそうだ」


意地悪で言っているのか否か分からない水村に、松太朗は半眼で返す。

しかし、水村は笑顔を崩さず、細い目を更に細めて返した。


「妹のように可愛がっていた娘を悲しませる男は、ちぃっとばかり懲らしめてやらねばなりません」


松太朗は、水村の言葉に一瞬目を大きくすると、口の端を不敵につり上げて見せた。


「うむ・・・。まぁ、仕方あるまいな」


これが、自分に返ってくる『ツケ』というものであろう。

知らず気づかずだったとは言え、これまで自分が女性にしでかしてきたことの『ツケ』なのだ。









羊羹を食べ終えた織りは、少し落ち着いた気持ちで茶を啜る。

「すっかり冷えてしまったでしょう。淹れ直してきましょう」

清助が盆を持ち立ち上がろうとするのを、慌てて織りは止めた。

「十分でございます」

「しかし、先生のお客人は手厚いもてなしをせねば」


ね。と笑う清介に、織りはフルフルと首を振り、ピンと指を立てる。


「吾妻さま」

「清介、でいいですよ。私も織りさんと呼びます」

「では…清介さん。わたくしは水村さまの客ではなく、弟子です。弟子同士でもたなすももてなさぬもないでしょう。それに――」


織りは小首を傾げる。


「なぜ、あなたはそんな自由に水村さまのお家をウロウロ出来るのです?」


織りの問いにきょとんとした清介は、平然と答える。


「だって私と先生はいとこ同士ですから。ここの師範をしてる大先生は、私の伯父です」


清介の言葉に、織りは目を丸々とさせた。

そんな織りに、清介は軽やかに笑ってみせる。


「だから私、そこそこ強いんですよ」

「ま…まさか、水村さまの道場を乗っ取るために帰って来られたのですか!?」


唐突に戦慄の表情を浮かべる織りに、清介はむしろ感心した。

頭の回転が早いと言うか、究極に思い込みが激しいと言うか、恐るべき妄想癖と言うか…。


清介は、爽やかな笑顔を崩さないまま音もなく立ち上がると、織りが湯呑みを持つ手首を取った。


(細いな…)

「な…何をなさるのです……」

戦慄の表情をさらにひきつらせた織りが、清介の笑顔を見据えながら聞く。

清介はずいと顔を近づけた。


「気づかれたのでは…生きては帰せませんね」

「―――っっっ!!!」


低く呟き屈んでくる清介の黒い影を顔に受けながら、織りは声にならない悲鳴を上げた。







にじりにじり間合いをとっていた松太朗と水村は、見ている者の手に汗握る試合をみせていた。


つま先から滑るように松太朗が左に動けば、水村が右に。

水村がすいっと一歩足を進めれば、松太朗も一歩下がる。


当然だが、松太朗は水村に圧され気味だ。

しかし、松太朗の瞳には諦めなどはない。

強い意思を感じさせる光が宿っていた。


「水村どの、これが終われば織りを連れて帰るぞ。茜が晩飯を用意しているはずだ」


腹が減っているのだ。

松太朗に宿る強い意思は、織りを連れて帰り、いつものように3人で夕飯を食べること。

これは譲れない。

ましてや自分は、今日はまだ昼食もとっていないのだ。


松太朗は竹刀の柄をきゅっと握った。


「松太朗どのは、そんなに茜どのに対する強い思いがあられるのか?」


織りの言葉を真に受けたつもりはないのだが…。しかし、確固たる言葉を松太朗から聞いておきたかった。


松太朗は、怪訝そうに眉を顰めた。


「茜がおらねば、誰が我が家で飯の準備をするのだ。織りも茜がおらねばまだまだ嫁としてはやって行けぬのだから…」


きょとん。と水村は瞬きを一つする。

その時だ。


ダン!


ほんの一瞬の隙に松太朗が踏み込んだ。


「おっ…」


あまりに不意打ちだった為、よろめきながら水村はよけた。

そして、振り向き様に、松太朗のわき腹に竹刀を払う。




「織り殿はあなたと茜殿が、ただならぬ関係ではないかと疑っていますよ」



さすがと言うべきか否か…。

両腕を振り上げて、今まさに振り下ろさんとする松太朗のわき腹僅かで、片手で払った竹刀を、水村は寸止めしていた。

片膝をついたまま、視線だけを背後の松太朗に向けて言う、余裕たっぷりの声音に、さすがの松太朗もいつものポーカーフェイスを僅かに崩して悔しげに鼻に皺を寄せた。


そしてそのまま答える。



「なぜ俺が茜とただならぬ関係にならねばならんのだ…」



すっと立ち上がった水村は、いつも通りの細い目で松太朗を振り返ると苦笑した。


「あなたの奥方は、あの、織り殿ですよ。昔から勘違い甚だしい娘でした」

「うむ…。他人に妻を語られるのは、あまりいい気がせんなぁ…」

しみじみとボヤく松太朗に、水村は軽く笑い飛ばした。

「それでは、あなたが早く妻を語れるようになりなさい」


さらに苦虫を潰したような表情をする松太朗の耳に、聞き慣れた騒がしい足音が聞こえた。


「みっ………水村さまぁぁ!!!!」


続けて聞き慣れた、耳をつんざく金切り声。


水村より先に、松太朗が道場から飛び出した。


「織り殿!?」

「きゃあぁっ!!??しょ…松太朗さまっ!?何でここにっ」


走ってきた自分を、柔らかく抱きとめた松太朗を見上げて、もはや織りはパニックを起こしていた。


「ホントに騒がしい娘ですねぇ…」


ノロノロ水村が呆れた声音で廊下に出てくる。

それを松太朗の肩越しに見つけた織りが、ハッと本来ここまで走ってきた理由を思い出した。

松太朗に腕を掴まれたまま、織りは鼻息も荒く水村に訴える。


「大変です、水村さまっ!!!道場破りさまが現れましたわっ!!」


松太朗と水村は、織りを見下ろして首を傾げる。


『道場破りさま』とやらも、大変な人間に見つかってしまったものだ。



「で、その道場破りさまは、どこですか?」


先ほどより、更に呆れた声音で面倒そうに水村は尋ねる。

織りは居ても立ってもいられない、というよに足だけをバタバタさせた。

騒ぎに他の弟子たちも顔を覗かせる。


妻の醜態を見せるより、可愛い妻を猛者たちの目に触れさせることの方が松太朗には我慢ならなかった。

さり気なく自分で織りが猛者たちの視界になるように動く。


「のんびりと奥でお茶なぞ煎れてますわ」

「あぁ…清介のことですか」


あれに会いましたか、と水村は目尻を緩める。


「覚えていましたか?あなたたちは、幼いころに何度か一緒に稽古をしているんです。懐かしいですねぇ…」


水村は幼い織りと清介を思い出すように目を閉じて、天を仰いだ。

そしてしみじみと呟く。


「昔もそうやって清介にからかわれては、一人でギャーギャー騒いでましたねぇ」



水村の言葉に、織りは相変わらずのどんぐり眼をパチクリさせると、ピタリとウルサい足踏みと、金切り声を止めた。



「そうやって昔から先生が間に入ってましたね~」


大量の湯呑みと竹水筒を盆に乗せた清介が、爽やかに歩きながら奥から出てきた。






水村は苦笑した。

織りは真っ赤になって、風船より丸く膨れた。

松太朗は、3人を見渡しながら、面白くないといじけた。












「はぁ…静かだわ」




家では茜が一人、粗方夕飯の支度まで終わらせてお茶を煎れて一服していた。



「早くしないと饅頭がかたくなってしまうじゃない…」

茜は冷たくなった饅頭を憎らしげに見つめ、主人たちの帰りを待つのであった。

すっかり日が傾いた、冬の夕方。

吐く息は白く、吹く風は皮膚を裂いてしまいそうなほど冷たい。


織りは膨れたまま、松太朗について歩いていた。


しばらく歩くと小走りし。また歩くと、しばらくして小走る。



松太朗はそんな織りを振り返ると首を傾げた。


「さっきから何を一人で歩いたり走ったりしておるのだ?」

「だって…早いんですもの…」


松太朗は視線を宙に漂わせる。



「確かに…日が落ちるのが早くなった」

「松太朗さまが歩く速さを申しておるのです」


相変わらずのボケをかます松太朗に、織りは半眼で言う。


「ん…?そうか…。すまんすまん。ちと考えごとをしておった」

そう言いながら、織りの竹刀を持っていない方の手を松太朗が差し出す。織りはその手と松太朗を交互に見た。

松太朗はもどかしげに、織りの手を取ってまたスタスタと歩き出す。



引っ張られるようによろめいた織りは、やはり小走りで松太朗について行く。



「松太朗さまっ…」

「なぜ、俺と茜がただならぬ関係だと思ったんだ?」


もう少しゆっくり歩いて下さい。

そう言おうとしたのだが、松太朗が畳みかけるように尋ねてきたので、否応なく織りは自分の言葉を飲み込んだ。

構わず松太朗が続ける。


「今回は、全く身に覚えがないのだ」


『今回は』ですって?


聞き捨てならないが…聞き捨てる。


「水村さまから?」

「ん?まぁな。茜とのことを疑っていると聞いて、寝耳に水だ」

「だって…」


織りは唇を尖らせる。


「だって…。茜は気だても器量もいいし、料理は美味しいし優しいし。奥方にするには、申し分なさすぎなんですもの…」



松太朗は、俯き拗ねたよう言う織りを見下ろした。

そして、清介とのことや、昨日からのことなど聞きたいことは山ほどあるが、今はこの愛すべき幼妻を励ますことにした。



「料理は出来んし、気だてがいいわけでもないが。何事にも一生懸命で真っ直ぐで背筋を伸ばして前を見据える、うぶで思い込みが激しくて騒がしく可愛い妻が、俺は良いのだ」


俯く織りの耳が赤く染まる。

松太朗は、一歩織りに近づいた。


「よいではないか。どんな織り殿であろうと、今のままの織り殿を、俺は好いておるのだから」



冬の風が心地よく感じるほどに、織りは頭に血が上っていた。



fin

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