土産
仕事を早めに済ませて、昼食用にと茜が朝から持たせた握り飯を風呂敷に包んだまま、松太朗は家路を急いだ。
「そこのおサムライさま」
わき目もふらず…とは言わないが、美味しそうな昼食の香りを胸一杯に吸い込みつつも、街頭をスタスタと闊歩する松太朗を、陽気な声が呼ぶ。
松太朗は声のした方を向いた。
そこにはニコニコと極上の笑みを浮かべた饅頭屋が、彼に向かって手をふっている。
「ふむ………。俺に何か用か?」
よだれが垂れそうになる口元をきゅっとしめた松太朗が尋ねる。
「アンタさまは、たまに可愛らしいご新造さん連れて歩いてたろ。どうだい、今日くらい可愛らしいカミさんにお土産買っていっちゃあ」
気軽に声をかけてくる饅頭屋を、松太朗は黙って見つめた。
確かに道場の帰り道でもあるここを、松太朗は織りを連れてよく歩いている。
『可愛らしいご新造さん』などと気安く言うが、やはり市井の男たちは、そんな目で織りを見ていたらしい…。
織りの数十倍一目につく自分のことなど知らぬ松太朗は、胸の奥に小さく疼くものを感じた。
しかし、それ以上に疼く腹には抗えず…。
「まいどぉ~」
結局、茜の分も合わせ、3人分の饅頭を買った松太朗は、いささか腑に落ちない心地はするものの、足早に家路についた。
相変わらずの我が家は、昼間だっというのに、なんだか静かだった。
「戻った」
恐る恐る松太朗が玄関から顔を覗かせた。
しばしの間をおき、パタパタと足音が聞こえる。
「はて…」
園芸が趣味でも、出は武家。松太朗は足音を聞いただけで織りでないことを容易に察した。
案の定、茜が口元にだけ笑みを浮かべて手をつく。そして僅かに眉根を寄せた。
「お帰りなさいませ。随分お早いお帰りで…」
松太朗から荷物を受け取りながら茜は小首を傾げた。
松太朗は草履を脱ぎながら答える。
「新妻の体調が優れぬというのに、のんびり仕事をしている場合ではないだろう」
「…はぁ…」
と言うか、逆にその程度で家でのんびりしている場合か。そんなだから、いつまでたっても安月給なのだ…。
などと、口が裂けても言えない。
茜は言えず、こっそりと胸におさめた。
「織りはどうしている?饅頭を買って来たぞ。茜の分もあるから、茶を頼む。温かいうちに食べよう」
懐から饅頭の包みを出し、キラリと白い歯が光そうな錯覚を覚える美しい微笑みを浮かべ、松太朗は茜に言う。
茜はその饅頭も受け取りながら、あ…と、苦虫を潰したような顔をする。
それを見て松太朗が、小さく首を傾げた。
「何だ、その顔は」
「いえ…実は織りさまは…」
茜の言葉に、松太朗の目が厳しく見開かれる。
「まさか、具合が悪く…?」
「いえ、水村さまのところへ行かれております」
自分の腕を掴み、先ほどとは変わり鬼気迫る表情で聞く松太朗に、茜は冷静に答えた。
しかし、松太朗は冷静でいられなかったらしい。
「な…何故!?やはり、昨日の腹痛は嘘か…!どおりで俺の腹は何ともないはずだ…。…しかし、ではなぜ織りは泣いておったのだ…。やはり俺が何かやらかしたのだろうか…」
頭を抱える松太朗につき合えきれない茜は、静かにその場を後にした。
饅頭を持って炊事場に行く。
織りが帰ってきたらお茶を淹れよう。
そう思い、とりあえず昼食の準備に取りかかる。
「茜っ。ちょっと出て来る」
茜は松太朗を振り返って尋ねる。
「どちらへ?もうすぐ織りさまも帰ってこられますよ?」
「迎えに行くのだ。妻の一大事にじっとしては居れぬ」
「左様でございますか」
答えながら、茜は「大丈夫かしら…」などと考えていた。
織りのただならぬ様子が心配でないわけがない。
しかし、静かにしているからこそ、あえてそっとしておく方がいいようにも思うのだが…。
(ま、任せてみるか…)
松太朗は足早に水村の道場へと向かった。