疑惑
がしっと堅く手を握り合い、松太朗と茜は、今や同士となった。
そんな二人の姿を、湯浴みから出た織りが襖の隙間から見ていた。
話している内容はしっかりとは聞き取れないが、なにやら二人が真剣な眼差しで手と手を取り合っている。
(まさか・・・)
織りはこの後自分の身に起きる事も知らずに、目をつり上げていた。
松太朗が部屋に戻ると、織りはすでに鏡台の前で髪を梳いていた。
「義母上からいただいた綿入れを着ておかねば、風邪をひくぞ」
寝間着姿の織りに、松太朗はそう言いながら織りの綿入れを取ってやる。
織りは鏡越しにその姿を目で追った。
そして、くるりと松太朗を振り返る。
頭の中に聞きたいことは山ほどあるのに、織りはそれを口にできずにモヤモヤしていた。
もし、本当にあの二人に何かあったら自分はどうしたらよいのだろう。
姉妹のようにして育った茜と、大好きな夫である松太朗。
「ほら、ちゃんと着ておかねば」
松太朗がそう言って、織りの肩に綿入れを掛けてやる。
「・・・松太朗さま・・・」
肩におかれた松太朗の手をとり、織りは悲しげな瞳で松太朗を肩越しに振り返る。
松太朗はきょとんと小首を傾げた。
「どうした?」
織りは、鏡台に向き直り俯くと、ふるふる首を振った。
「何かあったのか?」
織りの様子を心配した松太朗が彼女の顔をのぞき込み尋ねるが、顔を背けた織りは、再び首を振る。
モヤモヤしたものをどう口にしていいのか分からない。
「何もないことはないだろう。何だ、どうしたというのだ?」
後ろから織りの頭を胸に抱き、松太朗は優しく聞く。
織りのただならぬ様子に心配でならないが、当の本人が口を開こうとしないのだ。
「織り殿は子どもに戻ってしまったようだなぁ」
抱きしめながら、松太朗がぽんぽんと織りの頭をなでる。
口を開かない織りに、しつこく聞いても仕方ないと思ったのか、松太朗はただただ優しく織りをいたわった。
「うぅっ・・・」
「織り?」
松太朗の優しさに織りは涙が出てしまった。
そして、絞り出すように言う。
「お腹・・・痛いので、先に寝ます・・・」
その嘘を松太朗がどうとったのかは分からない。
しかし、松太朗はやはり優しく織りの肩に手をポンと置いた。
「そうか。では茜に頼んで布団を敷いてもらおう」
コクンとうなずく織りを見て、松太朗は部屋を出て行った。
静かに障子を閉めながら、松太朗は腕組みして考える。
(俺の腹は何ともないが・・・。それとも俺が何か泣かせるようなことをしたのか?)
とりあえず、松太朗が本日織りと同衾することはできないようだ。
茜に布団を頼みに、松太朗は再び茜を呼んだ。
次の日、織りはしばらく布団から出て来なかった。
仕方なく、松太朗は一人で朝餉を済ませる。そして、未だに横になる織りを、登城前に訪ねる。
「織り殿、体調はどうだ?」
織りは、その声にぱちりと目を開けるとのそのそ起き上がる。
「あぁ、そのままでよい」
「松太朗さま・・・」
再び、織りを布団に寝かせた松太朗は柔らかく微笑む。
そして、織りの額を優しく撫でた。
「今日は一日ゆっくりしておくといい。何か食べたいものはないか?」
「いいえ・・・」
きゅぅと布団を口まで引き上げ織りは目を伏せる。
松太朗があまりに優しく気遣ってくれているのが分かる。そして自分を撫でる彼の手は、いつも織りを愛おしんでくれるときと同じだ。
織りは、昨夜のモヤモヤする胸に、さらに息苦しさを感じた。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
松太朗は、名残惜しげに織りから手を離すと、静かに仕事に行ってしまった。
「うぅっ・・・」
誰もいなくなってしまった部屋で織りは布団に潜り込み、嗚咽を漏らした。
こんな風に涙を流したり、胸が締め付けられるような気持ちになるのは初めてだ。
元来、思ったことはわりと口にする方である。ましてや自分のモヤモヤするものを胸に秘めておくなど。
ありえない。絶対に。
なのに、口にすることができないなんて、普段の自分から想像もできない。
恋する乙女の胸の痛みを、織りはまだ知らなかった。
だから、織りはこの思いをどうしてよいか分からず、ただただ涙を流した。
「織りさま、お粥ができましたよ」
しばらく一人でシクシクしていると、茜がほかほかのお粥を持って来た。
もちろん織りは布団から顔を出さない。
「織りさま、お医師を呼びましょうか?」
茜の気遣う言葉に織りはふるふると首を振る。
茜は、目を丸くした。
十余年、織りと一緒にいるが、こんな織りは初めて見る。
嫁入り直前の織りも、こんな風ではなかった。・・・少し情緒不安定ではあったが・・・。
「お嬢さま、もし何かお悩みがあるのでしたら、わたくしに仰ってみてはいかがでしょう。お力になれるか分かりませんが、全力でお嬢さまをお助け致しますよ」
茜はあえて、嫁入り前のように「お嬢さま」と呼んだ。
その方が、織りが安心できるかと思ったからである。
織りは、茜の言葉に耳を傾けていたが、余計にその言葉がつらかった。
優しい茜を疑う自分が悲しい。
そして、大好きな二人のことだから余計につらかった。
―――だが。
すべては織りの早とちりでもあるのだが・・・・・・。
「茜・・・」
涙声で織りが茜を呼びかける。
織り様が泣くだなんて!?
茜はぎょっとした。
「ど・・・どうなさったのです!?」
思わず布団を織りからどかして、その顔をのぞき込む。
織りは枕に顔を埋めて、茜から顔を背けた。
「お・・・お嬢さま!?」
「茜・・・。申し訳ないのだけれど、一人にしてもらえるかしら」
くぐもった声で、織りはそう言う。
織りが泣くなんて、ただ事ではない。
茜は居ても立っても居られなかったのだが・・・、しかし、織りが一人にしてくれと言うので、聞き分けるしかない。
茜は後ろ髪を引かれながら、部屋を出た。




