【使命】
葉も落ちてしまい、空気がキンと張り詰める季節。
「……おはようございます……」
またもや、いつの間にか自分の布団に侵入してきた松太朗に、織りは眠い目をこすりながら挨拶をする。
「おはよう。今日も冷えるな」
松太朗は先に起きて、いつからそうしていたのかは知らないが、頬杖をついて朝っぱらから爽やかな微笑みを浮かべて織りの寝顔を見下ろしていた。
寝ぼけ眼の織りは、閉じそうになる瞼と戦いながら続ける。
「では…そろそろ…えりまきをだしましょ……」
言いながら重い瞼は閉じてしまい、また織りは寝息を立て始めた。
「おや…」
松太朗は、眠った織りを見つめ、しばし考える。
そして
「もう一眠りするか」
まだ、夜は空けきれてはいない。
茜が起こしに来るまで寝ていよう。
そう決めて、眠る織りを抱き寄せて、自身も目を瞑る。
少し寒いのか、織りが身を丸める。
その気配を察した松太朗は、しっかりと織りを抱きしめ、自分の大きな体で覆ってやった。
すると、寝ぼけたままの織りは、松太朗の胸にすり寄ってきた。
無意識の成すことだが、それが松太朗の織りに対する庇護心をくすぐる。
そして一層、織りを大事に思うのだ。
今日も一段と寒くなりそうな、冬の朝だった。
師走に入り、松太朗は勤めに出る日が増えた。
そのため、昼間に織りと過ごす時間が減ってしまった…。
毎朝襟巻で口まですっぽり覆って登城する。
もともと猫背ぎみだが、肩をすくめて小さくなるため、余計に丸くなって歩く。
しんと冷えきった朝の空気を割き歩く姿は、相変わらず美しい。
寒さのため赤くなった頬や耳や鼻先は、松太朗をいつもの如く麗人として見せない。
そこには、どこか少年のような可愛らしさがあった。
まあ、どちらにせよ、松太朗を見た市井の女たちは頬を染め、ため息を吐かずにはいられなかった。
そんな松太朗の頭にあるのは一つ。
今月は、たんまり給料をもらえるぞ。
ということ。
加えて、
今月はすこし贅沢に暮らそう…。
何かうまいものでも食いに行こうか。
というものだった。
そんな松太朗の生活は、最近少し違う。
それは霜月も、あと数日で終わるころのことだった。
「茜、ちょっといいか」
食事の片付けをしていた使用人・茜に、松太朗はこっそり声をかけた。
「はい?」
振り向いた茜は、御年19歳になる美しい使用人だった。
もともと幼いころから織りの家に仕えており、織りとは姉妹のように育っている。
そのため織りは、茜に一目置いているし、いざというときは頭が上がらないでいる。
また、料理の腕がいいこともあり、織りたち夫婦にとってなくてはならない存在だ。
そんな茜に、松太朗はすすっと寄った。
「実は、頼みがあるのだが…」
松太朗は腰を屈め、茜に耳打ちする。
茜は眉を顰めた。
主人である松太朗が、自分にこうして声をかけて頼みごとをするなど初めてのことだ。
松太朗は、あたりをちらっと伺う。
「お嬢様は湯浴みなさってますよ」
織りが嫁入り前は「お嬢様」と呼んでいた。
嫁入りしたのだから、「奥方さま」や「ご新造さま」と呼ぶべきなのだろうがピンとこず、茜はずっと名前で呼んでいた。
しかし。
たまに昔のクセが出る。
「そうか…」
茜の言葉に、松太朗が安心したように胸をなで下ろした。
「どうなさいました?」
「いや…。実はそろそろ布団を一つに戻してもらおうと思ってな」
松太朗の言葉に、茜は目をパチクリさせる。
「なぜです?」
茜の問いに、今度は松太朗が目をパチクリさせた。
「なぜって…。夫婦なのだから別に構わんだろう。…というか…それが普通であろう」
茜は、松太朗の言葉に今度は手をポンと打った。
スッカリ忘れていた。
松太朗と織りは夫婦だった。
茜はにっこりと微笑み、承知致しました、と答える。
そして、少し困ったような笑顔で松太朗に聞く。
「でも、よろしいのですか?お嬢様はまた眠れぬ日々を送られるのではございません?」
「いや、もう大丈夫だろう。ここ数日、頃合いを見計らい織りの布団に潜り込むが、最近は朝から俺の顔を見ても何も叫ばなくなったし」
自信満々、満足げな笑顔を浮かべて松太朗は言う。
心なしか胸を張っているようにさえ見えるので、茜も思わずクスクス笑ってしまう。
「左様でございますか。松太朗さまもご苦労されますね」
「うむ。全くだ」
「しかし、これでお世継ぎ作りに励めますね。お頑張りあそばせ」
大人の会話が出来る茜に、松太朗は腕組みして少し険しい顔つきになる。
「俺はお頑張りあせばせるのだが…一気にお世継ぎ作りまで織りに求めることはできまい」
う~んと唸るように松太朗が眉根をきゅっと寄せる。
茜は、あらあら…と思った。
しかし、そんな夫婦の姿もどこか微笑ましい。
「そこで、だ」
ピンと指を立てた松太朗は、イタズラを思いついた少年のように目を輝かせている。
「順を追っていこう」
「まぁ、どのように?」
こちらも楽しそうに、松太朗を見上げる。
松太朗は声をひそめ、指を自分の口に当てて話し始めた。
「茜、とりあえず俺は今年中にもう一度接吻をするぞ。それも織りがちゃんと起きている時に」
「起きてないときしかしてないのですか?」
呆れたように茜が尋ねる。
すると松太朗は、少し悲しげに肩を落とした。
「普段の俺たちが接吻を交わすような状況になることがあると思うか?最近、寝ているスキに唇を重ねるだけは何度かした」
「…そうですか…」
「しかし、寝ている人間に接吻をしても何も面白くはないのだ」
だいたい、あれは接吻とは言わない。ただの触れあいにしか過ぎない。
寂しげにも言う松太朗の言葉は、茜にとってツッコミどころ満載だ。
満載すぎて、何からツッコめばよいか分からず、最早黙って、そして呆れながら聞くばかりだった。
この麗人は、ほっとけば全く女に苦労をせず、ヘタしたら、タダで女道楽が出来そうなのに、妻とは接吻すらできずにいるのだ。
松太朗は、口元に笑みを浮かべるとぎゅっと拳を握った。
「と、言うわけだ。まずは近づいておかねば話にならん。そしてせっかく夫婦らしく同衾できるチャンス、逃すわけにはいくまい!」
「はあ…」
「そして、春までには二度目の初夜を迎えたいな」
「二度め!?」
松太朗の言葉に、茜は思わず声を上げた。
「二」度目なら、「初」夜にはならない。
いやいやそんな細かいことより…。
織りが松太朗に嫁いで4ヶ月目に入ろうとしている。
なのに、まだ一度しかないというのだ…。
確かに…。毎晩、茜は夫婦に気を遣わず安眠していた。気まずさがなかった。
今更ながら、夫婦で睦合ってないなら当たり前か…と思ったりして…。
茜は、こめかみを指で押さえながら、長い長いため息をついた。
一言、織りに言っておくべきだった。
夫婦が、とりあえず穏やかにのんびりと日々を送るので、すっかり世継ぎなんて忘れていた。
「申し訳ありません、松太朗さま…。わたくしからお嬢様に念を押しておくべきでした…」
主人の至らない点は使用人がカバーする。
それをすっかり…………いや、うっかりしていた。
「こればかりは茜が言っても仕方あるまい」
意外にも当事者である松太朗の方が落ち着いていた。
しかし、茜はキッと目を挙げる。
「いいえ。まがりなにも、武家のご息女であられる織り様のお務めは、お子を成し、お家繁栄を図ることっ。」
「堅いなぁ…」
「松太朗さまっ!」
呑気な松太朗に、茜はぎゅっと拳を握ってみせる。
「織りさまも、そろそろ奥方さまとしての自覚を持つべき時期。わたくしが全面的に協力いたします。だから、安心してお睦あそばせ!!」
一つの大きな使命を持った女は、力強く男に頷いてみせる。
男も、それならばと気合いも入った。
かくして同士は手を取り合い、新しい道を開いていくのであった。