鱗雲・・・のその後
夫婦として想いを確かめあった二人。
でも、お嫁さんには一つ気がかりなことがあったのです。
「松太朗さまって…よく分かりませんわ」
相変わらず鱗雲の下、稽古を終えて水村とお茶を啜る織りは、ため息まじりにそう言った。
「鈍感な方かと思えば、わたくしがドキドキするようなことを仰るし…」
「う…う~む…」
彼は天然なのだ。
何においても計算でも悪意でもなく、自然とそれをやっているのだ。
それが分かりきった水村は、この幼妻に何と言ってやればよいのか、思案した。
「わたくしを大事になさっているかと思えば、メダカさまなる方のお話をニコニコとなさるし…」
「メ・・・メダカさま…?」
うなだれる織りの話しを聞きながら、水村は上ずった声でオウム返しする。
変わった名である。
そして松太朗がまさか妾を囲っているとも思えない。
かと言って、花街通いをするような男にも見えない。
男である水村も目眩を覚えるほど美しく眩しいほどの微笑みを浮かべる松太朗は、おそらく自分の容姿についての自覚がない。
というか、そういうことには無頓着なのだ。
そして、女道楽に関しても同じように無頓着だ。
よく言えば、常に何があっても動じず、ひたすらに自然体でいるのだある。
そんな松太朗に女の影?
眉根をぎゅ~っと寄せて、水村は唸った。
「武家の娘ですから…夫に側室があっても、覚悟はございます。でも松太朗さま、『そんなのではなく、猫の話しだ』なんて…」
悲しそうに織りがつぶやく。
あの日以来、少しずつ「妻」としての自覚も芽生え出した織りは、松太朗が誤魔化したり嘘をつくのがひどく悲しかった。
と、同時にあの松太朗がそんな誤魔化しや嘘を言うのだろうか・・・とも思う。
信じてよいのか否か…。
悩む織りを横目に、水村は確信して、自信を持って言う。
「猫の話しでしょう。
…失礼ながら、松太朗殿には妾を囲う甲斐性も余裕もないはずだ」
自信たっぷりに、そして冷静な水村の言葉に、織りはう~む、と唸る。
「織り殿」
話題の人は、相変わらず目が眩むほどの笑顔でいつも通り愛妻を迎えに来た。
相変わらず夫婦らしい甘い時もないのだが、この二人は仲睦まじくやっている。
おそらくお互いがお互いを大切に、そして愛おしくおもう気持ちが彼らの絆を深めているのだろう。
「帰りましょう」
手を差し出す松太朗に、織りは上目遣いに水村を見る。
水村は、ふわりと微笑んだ。
「何も心配することはありませんよ。松太朗殿に安心してついて行きなさい」
「そうでしょうか?」
「松太朗殿には…嘘をつく器用さもないだろう」
ねっと、松太朗に笑いかける水村に、松太朗は「何だ?」と二人を交互に見た。
「早く帰りなさい」
昔からするように、水村は織りのお尻をポンと叩く。その拍子で織りは縁側からピョンと地に降りた。
すると
「水村殿、俺の妻に何をするのだ」
松太朗は、大股でこちらに歩み寄ると、織りの背に腕を回し、胸に抱く。
「松太朗さま??」
赤くなった織りが、胸元から松太朗を見上げる。
初夜以来、初めて松太朗をこんなに近く感じる。
そして、初めてこうやって抱きしめられる。
着物越しに感じる松太朗の体温と、小さく感じる胸の鼓動。
そして、頭一つ分違う彼を直に感じて、
(松太朗さまってやっぱり背が高いなぁ・・・)
などと、呑気に考える。
「申し訳ない」
水村は両手を肩まで上げるとプラプラ振って見せる。
織りの尻に軽率に触れたこと。
そして織りの尻を軽率に叩いたこと。(と言っても軽くなので、痛くはなかったはずだ)
それらの水村の行動に、焼き餅を妬く松太朗を見て、彼は苦笑した。
「??」
頬を染めながら怪訝な表情の織りは、なぜ松太朗が苦虫を潰した顔をしているのか分からなかった。
「織り殿、手を繋がないか?」
帰り道、松太朗は言いながら織りの返事を待たずにその手を取る。
もちろん手をつなぐのも初夜以来である。
「小さいな」
つないだ手を目の前にかざし驚いた松太朗が呟く。
「松太朗さまの手が大きいのです」
松太朗に手を引っ張られた状態の織りが冷静に答える。
松太朗はふ~んと、その手を下ろした。
「今日の夕飯は何だろうな」
「里芋の煮っ転がしだと茜が申しておりました」
松太朗の家は、未だに茜が食事の準備をしている。茜の料理は天下一品だ。だから、織りが料理が一切できなくても困りはしないのだ。
それに、二人も茜のご飯がいいし、茜も喜んで自分のご飯を食べてくれる二人のために一生懸命作る。
そのかわりと言ってはなんだが、茜には二人とも頭が上がらない。
「そういえば、メダカが最近顔をみせないな・・・」
「め・・・メダカ・・・さま?」
さきほどの話しを聞いていたのだろうか?
おもむろに松太朗が呟いた。
「織り殿はメダカには会ったことはないか?」
きょとんと自分を見下ろす松太朗に、織りは視線をそらして頷く。
「今年の春先に突然うちに来るようになったのだが・・・。
茜がえさをやっているのかな?」
もしかしたら、昼間に茜がやっているのかもしれない。そう思ったのだ。
織りは、パッと松太朗を見上げる。
「え・・・エサ?」
「うむ。メダカは晩飯の残りものを好んで食べていた。・・・まぁこんな家計ではネコのエサなど買えはせんがな」
「あ・・・ネコ・・・でしたか」
「ネコだ。三毛猫だ」
松太朗の言葉に織りは安堵し、一人でクスクス笑い出した。
「どうした?」
「いいえ・・・」
そう言いながも、笑いが止まらない。
よくは分からないが・・・織りが楽しげに笑っているのでよしとしよう。
好いた娘が隣にいる喜び。
家族のある嬉しさ。
織りが嫁いでひと月。
松太朗は徐々にそれを実感していた。
fin
天然松太朗と無邪気な織り。
しばらくは二人と使用人一人の新婚生活が続きそうです。