帰り道
駆け足で松太朗は帰り道、織りの姿を追った。
すると案の定、道場を出てしばらく行った橋の上で、織りはぼうっと川を眺めていた。
その横に、松太朗が並ぶ。
「織りは怒っているのですっ」
織りは顔を背けてそう言う。
「うむ、俺は織り殿から置いてけぼりにされて悲しかった」
松太朗も川を見ながら抑揚なく言った。
川面にはそっぽうを向く織りと、間抜けな顔の自分が並んで写っている。
「織りは怒っているのですっ」
ぷっと膨れ、同じ言葉を繰り返す。そんな織りの顔を松太朗が覗き込み…
「織り殿、今度から街を歩くときはその顔で歩くといい」
膨れ面の織りを見ながら、おもむろに松太朗は真面目くさった顔で言った。
「な…」
さすがにムっとした織りは松太朗を見上げた。
松太朗は腕組みし、やはり真面目な表情で織りの顔をじっと見る。
「うむ…その顔でもいいが…」
「わたくしをからかってるんですか!?」
夫の胸ぐらを掴む勢いで言う織りに、松太朗は首を振る。
「真面目に言っておるのだ。よく見れば市井とは…年頃の男の往来が多い。織り殿がいつものようにニコニコしておっては、どこの馬とも知れん奴が織り殿に懸想してしまう。それは…やはり夫の俺にはおもしろくないからな」
辺りを見回し、心なしか誇らしげな松太朗が、珍しく饒舌に松太朗が言う。
それが織りにはあまりに突飛な発言であったため、頭もよく回らずただただ呆然としてしまった。
「しょ…松太朗さま…?」
「まぁあまり家にじっとしてるのも織り殿の性分に合わないだろうから、道場の帰りは一緒に帰ろう。たまには散歩に出かけるのもいいな。そうすれば共に語らえるしな」
目を丸々させて、ぽかんと口を開けたままの織りは驚き覚めやらぬまま呟いた。
「松太朗さまも…そんなこと考えるんですか…?」
織りの言葉は、松太朗にとっていつも不思議なものだった。
「?そんなこと…?」
「わたくしと共に時間を過ごしたい…と」
やはり織りの言葉は不可解だ。
「?当たり前だろう。夫婦なのだから。織り殿、水面を見るがいい」
言われたとおり、織りは水面を見た。
先ほど松太朗が見たように、今度は訝しんだ面持ちの織りと、誇らしげな松太朗が並んで写っている。
それを見て、織りは松太朗が言いたいことがよく分からず、実物の松太朗を見上げる。
松太朗は、水面を見ながら口を開いた。
「祝言を挙げて、早一月。こうやって並ぶと、ちったぁ夫婦らしくなってきたとは思わぬか?」
言われて織りは、もう一度水面の二人に目をやる。
「…そうでしょうか?」
織りは首を傾げる。
まだまだ幼さの残る自分と、大人で見目麗しい松太朗。
とても夫婦らしくは見えない。
せいぜい近所の綺麗な兄ちゃんとじゃじゃ馬な妹といったかんじであろうか・・・。
そう思うと、織りは俄然松太朗の隣にいることに、そわそわ落ち着きなく感じた。
「うむ。俺は少しそう思うのだがなぁ・・・。
毎日同じ飯を食い、同じ部屋で眠り、同じ家に住まう。
俺は自分の『家庭』があることがうれしくてたまらんのだ」
実は祝言の夜以来、二人は同じ布団には寝ていない。
二つの布団を並べて寝ている。だからもちろん夫婦の営みもあれ以来ないのだ。
だからかもしれないが、織りは本当に「妻」としての自覚がなかった。
今までと何も変わらないと思っていた。
しかし、松太朗は同じ家で寝食を共にするうちに、きちんと織りを妻として迎えていた。
まだまだ幼く無邪気な織りを、急に大人にするのがなんだか可哀想な気がして、祝言の日以来手を出さずにいたのだ。
帰る道すがら、ポツリポツリと胸の内を明かす松太朗を、織りは愛おしく感じた。
そして、彼との距離がぐっと縮まったと感じた。織りは熱くなる胸の奥を感じながら、極上の笑みを浮かべながら、その話に耳を傾けたのだった。