女心
身じろぎする松太朗に、
「松太朗さまは女心の分からぬお方ですっ。わたくし・・・・・・胴着ですのよっ。しかも稽古を終えた後ですのに…」
と、キュッと小さな拳を握った嫁御は泣きそうな顔で夫に訴える。
本当にその瞳は涙で潤んでいた。
そんな織りを見て、ますます松太朗は苦々しい表情で脂汗を浮かべる。
しかし、水村だけは織りの言わんとすることを分かったらしく、脱力したようにため息とともに
「…そんなこと…」
とつぶやいた。
そして、この言葉を略さずに正確に表記するのであれば
『・・・そんな(下らない)こと・・・』
で、あった。
「はっ…?へっ…?」
呆れた声で天を仰ぐ水村を横目に、松太朗だけが合点がいかぬようで慌てている。
そんな松太朗を、開いているのかいないのか分からない細い目で水村は眺めた。
そして、仕方ないとあきれ顔で織りを振り返ると、
「得てして色男というものは、女心に鈍感なものですな」
と、さとったかのように言った。そして水村はふぅっとため息をつくと、ズズっと茶を啜る。
「な…何を言っておられるのだ、水村殿」
珍しく松太朗は慌てている。
それはすごく見ものであったのだが、まるで悲劇のヒロインになりきっている今の織りは、全く気づかない。
「織り殿!?」
「水村さま、やはり松太朗さまは分かって下さいませんわ」
師範代の腕に縋る嫁御を見て、松太朗は自分だけ分からぬこの事態に戸惑っていた。
あきれ顔の水村は、袖にすがりつく可愛い弟子のために、その夫へと振り向いた。
そして、至極まじめに弟子の言葉を代弁する。
「松太朗殿、織り殿は稽古をして汗をかいたから、あなたの隣には座りたくないようです」
水村の説明に、織りは真っ赤になって顔を隠した。それではあきたらず、水村の影にすっかり身を隠してしまう。
松太朗はそんな織りを見ながら、一言言った。
「は?」
一言ではなく、一文字であったか・・・。
「ま、年頃のおなごの、夫に汗臭い姿などみせられないという可愛い乙女心です」
あからさまな言葉で解説を加える水村に、織りは相変わらず松太朗から身を隠して、「嫌ですわ」と甲高い声を飛ばす。
「そんなこと」
すべてを理解した松太朗はため息混じりに小さくつぶやいた。あとは脱力しそのまま後ろに大の字で倒れる。
「まあ!」
と夫のあまりの態度に織りは、ひょこっと水村の陰から顔を出す。
「そんなこと、ではありません!大事なことですわっ」
ムキになって松太朗に言う織りを見て
「ははははっ」
と松太朗は笑うしかなかった。
「まぁっ!笑い事ではございませんわ!」
織りが必死に訴えれば訴えるほど、笑いが出てしまう。
「いや、すまん・・・しかし・・・。ははははは!」
「本当に笑うしかありませんな。あはははは」
一緒になって水村も笑い出した。
もうっと、ご立腹の織り姫は、自分の団子をパクリと食べる。
そして、松太朗の団子を素早く手に取ると、「あっ」と身を起こした松太朗が腕を伸ばすより早く、大きなお口でパクリパクリと食べてしまった。
「織り殿!今のは俺の団子だ」
「だって松太朗さま、さっきわたくしにくれるって仰いましたも~ん」
「言ったが、あのとき受け取らなかったではないか!」
「あのときは、いりませんでした」
「な・・・なんとわがままな・・・」
団子一つで口論を始めた夫婦を見て、自分の団子をつまんでいた水村も一人ごちる。
「相変わらず口卑しい姫君ですねぇ」
こうして、騒がしく秋の午後は過ぎて行った。