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異世界令嬢短編集

やかま子爵令嬢は、愛しの婚約者さまにお淑やかだと思われたい!

作者: 上園 千紗
掲載日:2026/10/23

 私は、静かでお淑やかな子爵令嬢ゾフィー。

 そして今、婚約者のフィンさまが訪ねてくるのを待っていた。

 私と同じく、落ち着いていて控えめな方だ。


 でも私は、一つ彼に隠し事をしている。

 本当の私はとてもとても、それはとても――うるさい。




『やかま子爵令嬢は、愛しの婚約者さまにお淑やかだと思われたい!』




 フィンさまと婚約したのは、三ヶ月ほど前のことだった。


 毎週お茶やデートに誘ってくださって、今日も新しいカフェに一緒に行く予定だ。

 鏡の前に座って、前髪の隙間をきれいに整える。


 私はフィンさまが大好きだ。


 ミルクティーに砂糖を三つも入れるところがかわいい。

 笑うと胸がくすぐられるような気持ちになる。

 エスコートが完璧でかっこいい。


 思い出すだけで好きがあふれてくる。


「お嬢さま、フィンさまがお迎えにいらっしゃいました」


 扉を叩く音がして、私は勢いよく立ち上がった。

 部屋を出ると、侍女のリンが待っていた。


「ああ、リン、どうしよう。ドキドキしてきたわ。ねえ、なんだっけ、あのおまじない」


 玄関へ向かいながら、リンに話しかけた。


「Tを書いて三回飲み込めばよいのです」

「それよそれ! ところでなんでTなの? AとかBじゃだめなの?」

「存じ上げません。さあお嬢さま、早く飲み込んでお靴を履き替えてください」


 お気に入りの白い靴に履き替えながら、私は話を続けた。


「ねえ、このリボン変じゃない? 赤と青で迷ったんだけど、やっぱり青の方が良かったかしら? ドレスが緑だから、赤だとなんだかクリスマスみたいじゃない?」

「とてもお似合いですよ。私とのおしゃべりはいいのでフィンさまのところへ」


 リンに腕を掴まれて、私は玄関の向こうに放り出された。

 顔を上げると、門の方からフィンさまが歩いてきていた。


「こんにちは、ゾフィー」


 今日は暖かいですね。

 庭でお花が咲いたんです。

 そのジャケットは新しいものですか?

 フィンさまの優しい雰囲気に茶色がとってもお似合いです。

 好き。


「こんにちは、フィンさま」


 頭に浮かんだ言葉を封じて、それだけ返した。


 今日もしゃべりすぎないように気を付けなければ。

 初めてデートした日、ついついしゃべりすぎてフィンさまをビックリさせてしまった。


「行こうか」

「はい」


 差し出された手を取って、馬車に乗り込んだ。

 それだけで心臓がドキドキして、顔が熱くなった。


*    *    *


 カフェに着くと、新しいこともあって店の前に列ができていた。


「少し待ちそうだね。大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


 待っているのは五、六人ぐらいだ。

 三十人ぐらい並んでくれていれば、フィンさまともっと一緒にいられたのに。


「僕が待っているから、馬車にいるといい」

「いいえ、ダメです!」

「でも、日差しが強いだろう」


 いいんです。

 太陽の光ごときに私は負けません。

 フィンさまへの愛の方が、もっとホカホカでアツアツなんです。

 だから一緒に待たせてください。


「日傘がありますので。フィンさまも一緒にどうぞ」

「わかった。辛くなったら、すぐ言うんだよ」


 ああ、優しさの権化、思いやりの塊、気配り王!

 私はなんて素敵な人と婚約したのだろう。


 幸せを噛みしめながら、最後尾に並んだ。


 日傘を開くと、フィンさまは黙って私の手からそれを取って、持ってくれた。

 私は陰になるが、フィンさまの身体は半分以上日差しにさらされていた。


 さりげなく身を寄せて、フィンさまの傘を持つ腕を押しやった。

 上手く傘が傾いたが、私に日差しが当たると、フィンさまはすぐに傘を戻してしまった。


「どうしたんだ?」


 優しい。

 好き。


「なんでもありませんわ。フィンさまは、今日は何が食べたい気分ですか?」

「僕はミルクティーがあれば何でもいいよ。それよりゾフィーは何が食べたいんだ?」

「えっと……」


 チラシに載っていたりんごのタルトがおいしそうでしたわ。

 ああ、でも木の実が入ったテリーヌも食べたいのです。

 それとカヌレと、シフォンケーキと……。

 そうだ、フィンさまと――。


「半分こ……」

「何を半分こしたいんだ?」


 私はハッとして口を手でふさいだ。


 しまった、思考が漏れ出た。


 私のやかましさは、決して知られてはならない。


 図書館で借りた本に、世の男性の大半はお淑やかな令嬢がお好みだと書いてあった。


 フィンさまのためなら、こんなもの墓場まで持っていく。


「ゾフィー?」

「え、ええっと……お紅茶……?」

「紅茶は半分にできないんじゃないか?」

「そ、そうですわよね!」


 ほほほと笑って、話を上手くごまかした。


 その後はあっという間に順番が回ってきた。

 店内に入った途端、甘い焼き菓子の香りが鼻腔に広がった。


「わあ、かわいい……」


 席へ案内してもらっている途中、ショーケースに並んだきれいな菓子に惹かれ、思わず中を覗き込んだ。


 あれがりんごのタルトだろうか。

 テリーヌも艶やかでおいしそうだ。


 食い入るように見ていると、視界の端でフィンさまも立ち止まった。


「ゾフィー、おいで」


 おいで??????


 理解が追いつかず、私は身を屈めたまま顔だけをフィンさまの方へ向けた。


「食べたいのはわかるが、席にいこう」

「は、はい!」


 私は慌ててフィンさまのそばに戻った。


 食いしん坊だと思われてしまっただろうか。

 このままでは、「やかましい女」から「やかましい食いしん坊」に進化しかねない。


 早々に印象を修正しなければ。


 そう意気込んで、私は席に座った。


「こちらがメニューになります。お決まりになりましたら、お呼びください」


 店員はお辞儀をして立ち去った。


 メニューには、おいしそうな名前がズラリと並んでいた。

 思わずゴクリと生唾を飲み込んだが、そっとメニューをフィンさまの方へ向けた。


「私は……レモンティーをお願いします」

「それだけでいいの?」

「はい」

「りんごのタルトがおすすめと書いてあるよ」

「そうですわね」


 フィンさまは、何も言わずにこちらを見つめていた。

 エメラルドのような深緑の瞳に射貫かれて、私は固まった。


「……いらないの?」


 メニューを私の方へ戻して、フィンさまは言った。


 ショーケースに並んだタルトを思い出して、口の中に唾液が滲んできた。

 ダメだ。

 ここで欲求に負けては、進化待ったなしだ。


「りんごのタルトだよ」

「では……りんごのタルトもいただきます」


 勝てなかった。

 しかし食欲に負けたのではない。

 フィンさまの美しい瞳に負けたのだ。


「他はいいの?」

「わ、私、小食なのでそんなに食べられませんわ」

「これは?」


 フィンさまはカヌレの絵を指さした。

 私はブンブンと首を横に振った。


「ではこれ」

「いりません」

「こっちはどうだい?」


 フィンさまが示したのは、テリーヌだった。

 先ほどのショーケースにもあったチョコレートケーキだ。


 食べたいです、フィンさま。

 あのツヤツヤのケーキを、一緒に。

 あわよくば半分こもしたいです。

 あーんだってさせてほしいです。


 止まらぬ欲求に、私は唇を噛みしめた。


 フィンさまはメニューを机の端に寄せると、優しい笑みを浮かべた。


「僕はこのテリーヌをもらおうかな」

「え?」

「ダメか?」

「いえ、ダメじゃありません!」

「よかった」


 そう言って、フィンさまは近くの店員を呼んだ。

 注文を伝えると、まもなく飲み物が運ばれてきた。


 フィンさまはいつものように、ミルクティーにお砂糖を三つ入れた。


「フィンさまは甘いものがお好きですね」

「うん、好きだ」


 命に関わる一撃を食らって、私はしばし呼吸を忘れていた。

 ティーカップを手にすると、フィンさまは優雅に紅茶を飲んだ。


「飲まないの?」

「の、飲みます」


 促されてレモンティーをすすったが、心臓がうるさくてそれどころではなかった。

 お話ししたいことはたくさんあるのに、言葉が引っ込んでしまった。


 無言のままソワソワしていると、店員がケーキを運んできた。

 助かった。


「こちら、りんごのタルトとテリーヌになります」


 ショーケースで見た、キラキラのケーキが机に置かれていく。

 身を乗り出して、皿の動きを目で追った。


「おいしそう……」

「おいしそうだね」


 フィンさまはカトラリーケースからフォークを取って、差し出してくれた。

 お礼を言って受け取り、タルトを見据えた。


 戦いの時間だ。


 マナー教室では、一口はスプーンやフォークの三分の二と教えられる。


 けれど、もっと小さくすれば、それだけ長くフィンさまと一緒にいられる。

 でも、せっかくのタルトだし、もう少し大胆に味わいたい気持ちもある。


 一口目だけは、フィンさまの隙をついて大口でいこう。


 そう思って、視線だけでフィンさまの様子を窺うと、ニコニコと私を見ていた。


「……いただきますわ」

「うん、どうぞ」


 作戦変更。


 まずは淑女アピールだ。

 タルトの端をフォークで取って、口に運んだ。


「んーっ……」


 おいしい。

 りんごの甘みと爽やかな香りが広がっていく。

 ゆっくりと味わっていると、フィンさまはテリーヌをナイフで切りながら言った。


「ゾフィーは食べるのが好きだな」


 フォークを取り落としそうになった。


 完璧な三分の二だったのに、食いしん坊に進化してしまった。


「そ、そんなこと――」

「いつも幸せそうに食べてくれるから、僕も嬉しいよ」

「え?」


 フィンさまは言いながら、ご自分の皿をスッとこちらに寄せた。

 そして切り分けたテリーヌを半分、私の皿に載せた。


「フィ、フィンさま!?」

「これなら半分こできると思ったんだが、いらない?」

「い、いります! あ、あの、私のタルトも……」

「もらっていいの? 実は僕も食べてみたかったんだ」


 急いでナイフを取ってタルトに刃を入れると、パイ生地がボロボロになってしまった。

 謝りながらお皿に載せたが、フィンさまは嬉しそうに口元をほころばせていた。


*    *    *


 お茶を終えて店を出ると、日が落ちてきて、空がオレンジ色になっていた。

 気温も和らいで、風が気持ちよかった。


「帰ろうか」


 帰りたくないです。

 フィンさまと一緒にいたいです。

 手を繋いで歩いて、公園で夕日を見て、それから――。


「……はい」

「馬車は向こうの路地で待たせてあるから、行こう」


 私はうなずいて、フィンさまの腕に手を添えた。

 少し歩くと、すぐに馬車が見えてきてしまった。


 もっとたくさん、おしゃべりしたかった。

 フィンさまのことをいっぱい知りたい。

 フィンさまの好きなもの、好きなこと、嬉しいこと。


 馬車の手前まで来た時、ふとフィンさまが足を止めた。


「フィンさま?」

「やっぱり、もう少し歩かない?」

「え?」


 あまりに都合のよい展開に私は自分の口を手で覆った。


「あの、もしかして私、何か言いましたか?」


 気づかぬうちに、妄想があふれ出ていたかもしれない。

 恥ずかしい。

 やかましい妄想食いしん坊に到達してしまう。


「何も。せっかく夕日がきれいだから、見たいと思っただけだよ」


 フィンさまは、腕に添えていた私の手をそっと外した。

 そして改めて、手を差し伸べてくれた。


「付き合ってくれるかい?」

「はい、ぜひ」


 フィンさまの手を取ると、大きな手がギュッと握り返してくれた。


 路地を抜けて、川沿いの道を二人で歩く。

 心臓がうるさくて、話したかったことが全部吹き飛んだ。


「今日は楽しめた?」

「は、はい! それはもう、とても!」


 フィンさまに話しかけられて、私はドギマギした。

 とにかくこの喜びを伝えたくて、懸命に言葉を紡いだ。


「タルトもテリーヌもとってもおいしかったです。りんごは甘くて爽やかで、テリーヌはしっとり濃厚で、フィンさまと半分こできたお陰で違う味が楽しめました。ああ、それからカヌレもおいしそうでした。私、カヌレを食べたことがなくて、どうにかして一度カヌレを食べてみたいんです」


 息継ぎを忘れていて、話し終わった途端に大きく息を吸った。

 同時にハッとした。


 恐る恐るフィンさまの顔を見ると、穏やかに笑ってくれた。


「カヌレか。僕も食べたことがないな」

「フィンさまもですか?」


 フィンさまの笑顔が嬉しくて、心によぎった不安がぶっ飛んだ。


「中はもちもちだけど、表面はとっても硬いそうです。焼いているのに、どうして中だけもちもちにできるのか、私とても不思議なんです。ブリュレと同じように作っているのでしょうか? ああ、でも、気を付けないと歯が折れてしまうんです」

「歯が?」

「はい。私のおじいさまが、カヌレを食べて歯を折ってしまったんです。それも前歯を。それ以来、うちではカヌレが禁止されていて……おじいさまがその名前を聞くとひどく怯えてしまうから、家では口にも出せないんです」

「そんなに硬いのか……」


 ちょうど大きな橋に差し掛かって、フィンさまは話を続けながら、私の手をそちらに引いてくれた。


「でも……おじいさまには申し訳ないけど、やっぱり食べてみたいんです」


 レンガ造りの橋は少し歩きにくかった。

 ヨロヨロしていると、フィンさまが背中に手を添えてくれた。


 好き。


 言葉が浮かんですぐ、私は素早く口を押さえた。

 声に出ていないだろうか。


 心配になって横目でチラリとフィンさまを見ると、その口元が悪戯っぽく上がった。


「じゃあ今度、二人で食べよう。誰にも内緒だ」

「う゛っ」


 太い杭を胸に刺されたような衝撃を受けた。

 私が吸血鬼なら死んでいるところだ。


 胸をさすりながら、私は「はい」と答えるので精一杯だった。


「ゾフィー、船がいるよ」


 橋の右側を、一隻の船がゆったりと進んでいた。

 日が暮れかけて少し暗い川を、立ち止まって二人で覗き込んだ。


「フィンさまは船に乗ったことはありますか?」

「何度かあるよ。ゾフィーは?」

「私もあります。おじいさまの家に行くときは、いつも船を使うんです。初めて乗ったときは船酔いがひどくて、ずっとお母さまに介抱されていましたわ。今はもう平気ですが、船旅の前は――」


 そこまで言って、ハッとした。


 しゃべりすぎた。

 フィンさまが優しくて、歯止めが利かなくなっている。


「前は?」


 私の顔を覗き込んで、フィンさまは首を傾げた。

 翠緑の瞳に見つめられると、私は何も隠せなくなってしまう。


「前は……食べ過ぎないように気を付けていて……」

「うん、それで?」


 フィンさまは優しく私を促した。

 柔らかくて、少し丸い、大好きな声で。


「続きを聞かせてくれないの?」


 その声がわずかに、沈んだような気がした。

 私は欄干に置いていた手を離して、フィンさまの手にそっと触れた。


「あの……私のおしゃべり、うるさくはありませんか?」


 顔を見る勇気がなくて、船のあげる水しぶきを見ながら聞いた。

 横目に、フィンさまがこちらに視線を向けたのがわかった。


「うるさいなんて、一度も思ったことはないよ。僕は君の話を聞いているのが好きだ」


 その答えに、私は思わず顔を上げた。

 フィンさまは、船がいたのと反対側に視線を向けていた。


「ああ、見て、ゾフィー。きれいだよ」


 視線の先を辿ると、水辺の街並みが見渡せた。

 茜雲がまばらに空に広がり、合間から射す夕日が水面を輝かせた。


「わあ……きれい……」

「あっちへ行ってみよう」


 ちょうど川へせり出した展望台のような場所があったので、二人で並んで立った。


 フィンさまは景色に釘づけだった。

 それをいいことに、私はずっとフィンさまの横顔を見つめていた。


 フィンさまはお淑やかなご令嬢がお好みではないのですか?

 食いしん坊でもいいんですか?

 もっともっと、おしゃべりしてもいいですか?


 そんなこと聞かなくても、フィンさまはきっと全部受け入れてくれる。


「どうしたの?」


 私の視線に気づいて、フィンさまが微笑んだ。

 涼しい風が吹いて、私の髪をなびかせた。


 その風に背中を押されるようにして、口からポロリと言葉が零れ落ちた。


「……好き」

「僕も好きだよ」


 幻聴だろうか。

 ついに妄想癖が一線を超えてしまった。


 それ以前に、私は何かとんでもないことを口走った気がする。

 目をかっぴらいたまま固まっていると、フィンさまは数回まばたきをした。


「……そんなに変なことを言った?」

「い、いいい言ってません! あれ? 今のは幻聴じゃないのですか? フィンさまなんとおっしゃいましたか?」

「僕はゾフィーが好きだ」


 これは夢なのだろうか?


 フィンさまが私を好きだと言ってくれた。

 それもなんだか、すごくロマンチックな場所で。

 手を繋いで、夕日を見て、告白されてしまった。


 嬉しさのあまり目眩がしてきた。

 追い打ちをかけるように後ろから風が吹いて、足がよろめいた。


「おっと、大丈夫?」


 フィンさまに抱きとめられて、息が止まった。

 良い匂いがした。

 お日さまの下で干したシーツのような、温かい匂いだった。


「もう死んでもいい……」

「やだよ、僕を置いて死なないでくれ」


 フィンさまは寂しそうに言うと、私の肩をギュッと抱き寄せた。


 とどめの一撃だった。


「長生きします……」


 あとはもう、フィンさまの良い匂いを堪能することしかできなかった。

お読みいただきありがとうございました。

ほかにも短編を公開していますので、よろしければ覗いてみてください。

https://ncode.syosetu.com/s9705k/

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