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宿命  作者: 田中教平
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宿命 第三部(完結篇)

 

 それからの事を祐介はあまり覚えていない。

一か月の休養を終えても、音への過度な敏感さも収まる事は無かったし、不眠症も治らなかった。

 そうして帰省して彼は二日間まるまる眠った。そして改めて病院にかかると、彼は不眠症ではなく、深刻な精神的病であった事が知れた。

 父が車を出してくれて、アパートから故郷まで荷物を運んでくれた。早紀はどうなるのかと電話をすると

「事情を話したら、大家さんが分ってくれて、保証人立てなくても今の部屋に住んでOKだって。沢山お金払ったけど」

と言った。

「ねぇ、もうわたしはあなたの人生に干渉しないから。この電話を切ったら、お互い、携帯電話から番号を消そう、分かった?じゃあね、さよならだよ」

 祐介は馬鹿正直に、早紀の電話番号を消去した。彼女が本当に消去したのかはわからない。

しかし今まで、彼に早紀から連絡は一度として無い。

 祐介の退職についてスタジオで検討がなされたのか、やはり診断書を出すべきだったのか、彼は個人的にそのスタジオを利用する事ができなくなってしまった。しかしオーナーから直々に連絡があって、今までの働きを労われた。しかし同時、祐介の口座に誤って、他の職員の給与を振り込んでしまったから、返却して欲しいというお願いがついてきた。

もう、この時、彼は限界で、その後、一切のスタジオとのやりとりは父が引き受けてくれたのである。そして、祐介は今でも父に対して頭が上がらないのである。

 その威厳に恐縮して過ごしていると、父は

「もっと、友達のように話していいからな」

と言った。

 武のツイッター(現X)アカウントを、見つけた。彼はブルー・カラーの労働者であったが、ひょんな事からホワイト・カラーの人生を歩む事になった事が分った。その代わり、慣れないゴルフの練習に忙しい事を呟いていた。


 実家は郊外、山の中にあった。「山野中」の愛称で呼ばれている場所だった。

 彼はリハビリテーションとして、朝から晩まで歩く事に決めた。お茶畑に出ると、白い花が咲いていた。茶の花は彼の一番好きな花になった。

 林、森、そこに道があれば、彼はどんどん歩いていった。お寺巡りも行った。今はひとけのない宗教施設があった。日本語一切禁止という語学学校があった。そして、どれだけ深く歩いて行っても必ずスナックがあるのが面白かった。

 しかし、この時、右足だけ変に摩り減った靴を履いて歩いていたものだから、歩くと右脚の膝に変な癖がついた。医師に、服薬も関節に影響がある、と言及されて、どうやら、靴だけの問題ではない事がわかった。

「ありゃ、こりゃまた靴を駄目にしちゃったね」

と母が言った。

毎日、何キロも自然の中を歩いているのですぐに靴が駄目になってしまった。

 そうして、この自然を歩く、リハビリテーション、又は修行、を通じて、若さというものを彼は殆ど使い切ってしまったと言える。

明確に

(覇気が無くなった)

と、自分で思う風に変わってしまった。

 ある日、NHKの放送を眺めていたら、山頭火の特集をしていた。興味を持って、図書館で彼の歩いたルートを記した地図を探ってみたのであるが、それは一生かけての移動ではあるが、壮大であった。又、彼は膨大な俳句を残しており、父が、祐介に何か不足はないか、と訊いたとき、一万円貸してほしい、一万円あれば山頭火全句集が買えるから、とせがんで、その本を取り寄せた。


 俳句を読んでいたらば、書きたくなってくるのが性分であり、且つ発表したくなる気持ちも抑えられなかった。

 そうすると母が地元の文芸誌を紹介してくれて、ここに応募すれば、県大学レベルの先生が、精査して評してくれる筈だから、ここに応募すれば良い、と教えてくれた。

 しかし彼の書く俳句は、山頭火の真似でしかなかったから王道の俳句しか載らないその雑誌ではことごとく落選した。

 しかしその雑誌は他に随筆欄も充実しており、その随筆欄の担当の先生が山頭火の研究家である事を先生の著作を、図書館で捜す内に知った。彼は自身の悲痛な人生など書いても、「わかってもらえるんじゃないか」という甘い気持ちが出て、随筆を書いて応募するようになった。すると少しずつ、彼は選に入るようになった。

すると、周囲の状況も変わって、全く文芸とは疎遠だと思っていた祖父から

「おめでとう、よく頑張っているね」

と言う連絡を頂いた。

一体その情報をどこで知ったのか訊ねたら、この故郷では、案外に昔から知られている雑誌であり、知り合いに誰かしら読んでいる方がいるから教えて貰った、というのである。

そして、病院のあるケースワーカーも、その随筆欄を読んでいて、ずうっと「葉山祐介」という名前を記憶しつつ、目の前で缶コーヒーを飲んでいる男が、その葉山祐介であると知ると

「随筆、読んでいますよ。でも葉山さん、何か思っていたイメージと違いました」

と言って、声をかけてくれるようになったのである。

 ケースワーカーの水木さんは情熱家で、是非、NPOや家族会で、自身の半生を語ってくれませんか、という話がちょくちょく出た。最初は断っていた祐介だったが、クオカードですが報酬も出ます、といった事になり、水木さんも本気なんだな、という事で彼はある家族会で自分の半生を語る事になった。

 その為、彼は年月を遡る、また録音機の前で、実際、語ってみる、話が悲惨になり過ぎないように、ユーモアを入れ込むなど、練習と、工夫を凝らした上で、家族会にのぞんだ。

「こっちです、こっちです、葉山さん」

 よく知らない駅前で会場の場所について迷っていた祐介を見つけ、水木さんが声をかけてくれた。

 家族会は参加者が十数名、皆、自分の子供や孫に問題を抱えており、その為の解決のヒントを捜して集っていた。

 練習の成果が実って、終始、和やかなムードで、祐介の人生を振り返る回は進んでいった。困ったのは質疑応答で、例えば、息子が薬を飲みつづけるのをやめてしまうのはなぜなのでしょう?という質問には困ってしまった。

「薬は、個人的には飲みごたえのいいものと、そうでないものがありますね。飲みごたえの合っていない薬を処方されている可能性があります」

と、個人的な意見を語るしかなかった。しかし、その意見に対しても隣の水木さんが丁寧、注釈を付けて話してくれた。

 祐介が気になっていたのは、後ろの方であったが、彼の言葉を真剣に聞き、しかし彼がユーモアを交えた話をした途端、ちょっと不機嫌で怒った顔をする、一人の女性であった。

 その女性こそ後の葉山香奈、つまり祐介の伴侶になる女性だった。

 家族会が終わって、人々がわいわいと挨拶や情報交換をしている内に、あるNPOの団体の女性が、また詳しく話を聞かせてくれないか、そして、祐介が物語っている間、原稿に目を通しながら語っていたのであるが、その原稿を、今コピーさせてもらえないか、と相談してきた。

 やりとりを見ていた水木さんは、何やら考え込んでしまったようだった。

 そこに香奈が間に入って

「駄目よ、この子が一生懸命書いたものなんだから」

と、突っぱねた。

 どうしていいやら分からなかった祐介だったが、その声に押され

「ちょっと、この原稿は人様に見せられるものではありませんので」

と、やんわり断った。そのNPOの女性は、すみませんでした、と告げた後、彼に名刺を差し出して、では、後日、またお話しを聞かせて下さい、と言った。

 水木さんと香奈は知り合いであった。聞くと香奈も精神的病の当事者であって、ケースワーカーとして、水木さんが彼女を担当しているとの事だった。

 三人、いっしょに帰る事になって、その際水木さんが香奈に今日の祐介の話について感想を求めた。すると

「相当、無理していたわね、それに客寄せパンダみたい」

と言った。

 水木さんは、あー、そうかそうか、そう捉えたか、と応えて

「葉山さん、気にしないで下さい、手厳しい方ですから」

と笑顔で言った。

祐介は、その批判を、批判ではなく、何かもっと違った角度から吹いてくる風のように受け取った。

 水木さんが、さっきの名刺、ちょっと見せてくれませんか、というので祐介がそれを渡すと

「ふむ、ここは新聞も発行しているんですよ。インタビューという形で葉山さんの事を掲載したいのかも知れません」

 水木さんはちょっと手ごたえのようなものを感じていた様子であったが、香奈が

「そんなの、絶対、応じちゃ駄目よ。この子、全部自分で調べて、そうして経験してやっと人前で話せるようになったんだから。それにわたしの聞いたかぎり、もう話として充分でしょう?そう思わない?祐介さん」

 祐介さん、としっかり下の名前で彼女が呼んでくれた事に驚いたが、しかし、祐介は、彼女がなぜこんなに自分について熱心にアドバイスしてくれるのか、謎だった。祐介は、香奈が、祐介の全く、知らない、わからない地点から物を言っている風に聞こえて、その事について何も言及できなくなってしまった。

考え込んでしまって、それに応える事ができなかった。

電車がある駅か着くと、水木さんが

「私は、この駅なので」

と言って、祐介と香奈は、電車に二人残された形になった。そして、二人、二言、三言、話している内に祐介は思い切って

「僕はそんなに間違った事をしていましたか」

と抽象的な質問を、ポロッとした。

すると、香奈はやや考え、ちょっと尖ったトーンでなく、優しく語りだした。

「それはね、私も当事者って事、分かっていると思うんだけど、その障がい者の為に、その偏見をなくす、無いならば無い方がいいけれど、活動でも、運動でもいいわよ、それにずっと参加しつづける事と、あなたが、あなたらしく生きる事は全く別の問題よ」

 その話を聞いた瞬間、彼は自身の置かれている立場というものを明確に理解した。つまり彼女が彼を非難した風に言っていた事もすべて彼を守る為だった事がわかった。

「話を全部聞いた限り」

彼女が強調して言った。

「こんなにさびしい人に会った事がない」

祐介はじっとその声を聞いて、それから目を閉じた。

「手厳しいかしら?私は別にそう受けとられても全然構わないんだけど」

 すると、彼女は、あ、次の駅だ、と言って立ち上がった。駅としては祐介の下りる駅と二駅しか離れていない事が知れた。

「あの、あなたと、香奈さんともっと話がしたいのですが」

と、祐介は訴えた。それは彼女に惹かれていると共に、彼女との交流を通じて、考えている事のもやもやが、晴れるのではないかといった切実な訴えだった。

 香奈は先の家族会のパンフレットに、住所と連絡先をさらさらと書くと、彼に渡した。その文字が達筆である事に驚いた。手をふって、彼女は降りていった。


先の事があってから、祐介はリハビリテーションというか、修行としての山歩きにあまり出ないようになった。

彼は、今まで書いてきた随筆の原稿を、もし暇があるなら読んで欲しい、と手紙を添えて、香奈の住所に送った。すると彼女は、わたくし、現在、郵便局に勤めており、朝は時間がないが、それを過ぎると暇であるから、どんどん書いたものを送って欲しい、と返信があった。

加えて、過去の事は先の家族会で、大体わかっているので、今、現在、どういう事を考えているのか、書いて送ってくれると嬉しい、と書いてあった。

 その手紙を受けとって、胸が暖かくなった祐介は、既に書いてあった随筆の原稿を送る事はやめて、今現在の状況、そして考えている事を書こうとしたのであるが、彼は一向に筆が進まない。

しかし彼女に対して「わかってもらいたい」気持ちが強かったから、何とか体裁を保とうと、新しい原稿をなんとかまとめ、それを送った。しかし、その原稿は返されてきて、見ると、間違った漢字、誤字脱字というものに対して、そして慣用句の誤った使用に関して、赤ペンで周到に指摘して直しが入れられており、添付された手紙には短く「焦らなくてよい、しかし編集者ごっこも面白いものである」と書いてあったものだから、彼は苦笑した。


 そして、手紙のやりとりを続けている内に、香奈が、自分の父親が是非に、と会いたがっているから、家に来てくれないか、というお願いの手紙が来て、あの家族会以来、香奈と会っていなかったし、父親が是非に、というのも奇妙であると考えたが、彼は思い切って行ってみる事にした。

 普段はラフな、ティーシャツにジーンズといういでたちだった彼も、どういう格好で香奈の自宅に向かえばいいのかわからなかった。

 スーツを取り出して、それを着て向かう事にした。あの物事の筋を通す、そしてしっかり言いたい事は言う香奈であるし、その父親となれば、かなり厳格な父親である事が勝手、想像され彼は、黒に近い紺のスーツに、青いネクタイを選択したのである。

 そうして、山の中の自宅から、バスに乗って、電車を乗り継いで二駅、香奈の自宅に向かったのであった。

しかし、パンフレットに記載された住所だけでは漠然としか場所がわからず、彼はついに彼女に初めて電話連絡をしようとした。

「もしもし、葉山祐介ですけど、今そちらの住所に向かっておりますが、具体的な場所が分かりません」

という旨を伝えたが、まず香奈が言い放ったのは

「なんで今になって電話なんてしてくるの。いつだって電話してくれる余裕はあったでしょう」

という、怒りと喜びが混じったような言葉だった。

 そして住所を探って、ここら辺ではないか、とスーツ姿でウロウロしていた祐介を見つけた香奈は、嬉しそうであったが、その姿を認めると、明らかに恥ずかしそうでもあった。

そして

「なんでスーツで来たの。なんでスーツで来たの」

と、彼の肩をバンバン叩くから、彼はその説明に時間を割くタイミングを失って、ただ

「そんなに変かな?」

と、独り言のように言った。

そうして、香奈の自宅に案内されると、それは立派な三階建ての住居であった。

 そうして、リビングに通されると、そこのデスクに父がいない事を確認した香奈は

「ちょっと待って、お父さん、二階から呼んでくる」

と言ってリビングを出て二階に向かった。

 すると齢は六十代であろうか、身長の高い、

筋肉質で、ガッチリとした体形を、カジュアル・ブランドで包んだ香奈の父が現れたのだが、一言目に発したのは

「葉山君?ハロー、こんにちは」

という言葉であった。ここで完全に、スーツで訪問した事が全くの間違いである事が分って、彼は動揺して、咳きこんだ。

「葉山君は何?一番好きな作家は?」

香奈の父はそう矢継ぎ早に質問して、祐介は香奈との手紙のやりとりの為に、山歩きをやめた後、専ら図書館通いをしていたから、その中で今、一番興味のある作家として

「宮沢賢治です」

と応えた。すると香奈の父は

「宮沢賢治か。ピュアだねぇ」

と応えた。

「僕はねぇ、三島由紀夫なんですよ、彼が割腹をした際にね、全集を全部揃えちゃった」

と語った。そう話している内に、この香奈の父は小さな薔薇を運んで、キッチンで水をあげていた。祐介と香奈の父の会話のキャッチボールは続いた。

香奈とは言うと、やはり言いたい事が山ほどありそうな素振りではあったが、祐介と自分の父親の対面という事実を、重く受け止めていたようで、その話の腰を折ったりする事はなく、ただ、二人の会話に照れつつ、茶々を入れる程度で、あとは黙って眺めていたのである。


 これが契機となって、一気に祐介と香奈の交流というものは、盛んになっていった。



 現在、祐介はその事を思いかえしながら、やはり色々な方に恩あってのこの人生であった、と噛みしめると共に、やはり、いつまでも風呂に入って、どうにもならぬ事を、どうにかしなければならないと、考えつづける事は辞めてしまおうと思った。

「またお風呂ですか、おじいちゃん」

 妻の声が聞こえてきた。

 膝は、よく動く。

 そうして、彼は、明日のアルバイトの為に、仕事の準備を行おうと、風呂を出て、ノートパソコンを、バックに仕舞いこんだ。そうして、彼は久しぶりに例の紺色のスーツに身を通してみた。そして、じっと鏡に映る自分の姿を見つめてみたのである。



 

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