第一話 奪われた君
「王妃様のご病気が悪いらしい」
そんな話がこのクーラー領まで届いたのは、いったいいつ頃のことだったか。
山奥にあるオレたちの村では、王族の噂話なんて谷底に届かない春みたいなもんだ。普通なら誰も気にしない。
けれど、あの噂を耳にしてからというもの、胸の奥がずっとざわついていた。オレの感じた嫌な予感は、気のせいではなかったのだ。
いま、オレのすぐ近くに王国の騎士団がいるのだから。
オレは岩陰に身を潜め、騎士たちの様子を窺っていた。
重厚な鎧に身を包んだ騎士たちが、火を囲み昼食を取っているのが見える。
こんな田舎に騎士団がやってくるなんて、それだけで異常事態だ。
本来騎士の仕事といえば、闇のモヤを浄化する聖騎士の護衛が中心のはずだ。そして闇のモヤは、大きな街の近くで発生しやすい。
小さな村ばかりのクーラー領には、騎士団なんて必要ないのだ。
山賊や弱い魔物の駆除くらいなら、村の自警団で十分だ。
喉がごくりと音を立てる。
あいつらの目的は、病気の王妃様を治療できる『治癒魔導師』を探し出し、王宮へ連れていくことだ。
オレはこの前近くの村で、治癒魔導士が半ば無理やり連れ去られるのを目の当たりにした。
いや、連れ去られるのは治癒魔導師だけじゃない。騎士たちは魔導師を手当たり次第に捕まえては、「王妃を治せ」と迫っているらしい。
治療に失敗した者が処刑されたなんて、とんでもない噂まで流れている。
そんな話を聞いたところで、ほとんどの者は信じないだろう。
誉れ高い王国軍の騎士団が、そんな横暴を働くなんて、オレだってできれば信じたくない。
闇のモヤから湧き出す魔物から、この国を守ってきた騎士たちは、誰もが憧れる英雄だ。
それなのに。
全身の筋肉が硬くこわばり、言いようのない大きな不安が、胸の奥で渦巻いている。
やはり、騎士たちはどこかおかしい。
青い軍旗も制服も眩しいほど立派なのに、口汚く文句を言ったり、苛立ちをぶつけるように木の根を蹴りつけたりしている。
その振る舞いからは、騎士にあるはずの品位がまったく感じられない。そして彼らが目指す先は、オレの暮らすイコロ村だ。
――まずい。このままじゃイザゲルが連れていかれる!
イザゲルはクーラー領で……いや、この国で屈指の天才魔導士で、オレの大切な恋人だ。
十五歳とは思えないほどの才能で、すでに多くの人の注目を集めている。騎士たちが狙っているのは十中八九彼女だろう。
彼女は闇属性の魔導師だから、治癒魔法なんて使えないけど、だからと言って油断はできない。
目の前の騎士たちからは、「とにかく優秀な魔導師を連れて帰らなければ」という、切迫した空気が漂っているからだ。
オレは背中に背負っていた薪を地面に降ろし走り出した。肩に担いだ大斧がいつもよりずっと重く感じる。
だけどきっと大丈夫だ。
オレはイザゲルの弟のネースと共に、この日のために準備を重ねてきた。絶対にイザゲルを騎士たちから守ってみせる。
騎士たちは馬車を連れているため、通れる道が限られているのだ。先回りして道を塞げば、少しは時間が稼げるはずだ。
オレは近道を駆け抜けて先回りし、仕掛けておいた魔道具を起動した。ネースが作った霧を発生させる魔道具だ。
それはあっという間に深い霧を拡散し、視界を白く染めあげた。
土地に慣れた人間でなければ、この中を村まで進むのは難しいだろう。
――それにしてもこの魔道具の威力はなんだ……。十三歳が作ったとは思えないぞ……。
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
天才なのはイザゲルだけじゃない。オレはネースも守らなくては。
「ジゾルデ。仕上げを頼む」
声を落として呼びかけると、守護精霊のジゾルデが地面から姿を現した。
白い岩肌に散った砂金の粒が、光を受けて淡くきらめく。
土属性は地味な見た目の精霊ばかりだが、ジゾルデは特別だ。
磨かれた鉱石のような体は目を奪われるほど美しい。
金色の瞳がこちらをとらえ、その強い意志が伝わってくる。
それがなんだか頼もしくて、オレは無意識に微笑んでいた。
騎士が通るはずの道が、泡を立ててぬかるんでいく。
オレは霧の中を走り抜け村に戻った。
△
焦りにもつれる足を無理やり動かし、オレはイザゲルとネースの暮らす家に駆けこんだ。
「二人とも隠れろ! 国王の騎士たちがこっちに向かってる。狙いはたぶん、イザゲルだ」
驚いた顔で振り向いたイザゲルの耳元で、貝殻のイヤリングが揺れている。
昨日の誕生日に、オレが贈ったプレゼントだ。
こんな内陸の村では、貝殻なんてなかなか手に入らない。海に憧れる彼女のために、少し無理をして探したものだ。
けれど、こうして身につけてくれている姿を見ると、その苦労も一瞬で報われる気がする。
オレはあらためて、彼女を守ろうと心に決めた。
「とうとう魔導師を攫う騎士たちが、この村までやってきたのね」
「姉さん、これを使って! ウォータースクリーンがあれば、絶対に見つからない!」
ネースが透明化の魔道具を起動すると、水の膜が現れてイザゲルの姿が消えていく。
これだってどう考えても、子供が作ったとは思えないものだ。
本当に危険なのは、イザゲルよりネースなのかもしれない。
これならきっと、イザゲルは見つからないだろう。ただ、残念だがこの魔道具は、一人分しか用意できなかった。
「ネース、嬉しいけどあなたが心配だわ。あなただって十分天才なんだから。私が隠れてしまったら、あなたが連れて行かれるんじゃ……」
「大丈夫だよ、姉さん。僕は透明化の魔法が使えるから」
「でも、くしゃみひとつで切れちゃうでしょ。念のため別人に見える幻術をかけてあげるわね」
イザゲルが魔法をかけると、ネースの顔が見る見るうちに変わっていく。イザゲルによく似た整った顔が、驚くほど不細工になってしまった。
「ハーゼン、あなたにも……」
「いや、オレは大丈夫だ。心配いらない」
水の膜から顔を出したイザゲルの瞳が不安げに揺れている。
気が付くとオレは彼女に手を伸ばしていた。
普段のオレなら、ネースの前でこんなことはしない。だがいまは、抱き寄せずにいられなかった。
ウォータースクリーンの中に頭を差し入れ、透明化したまま彼女の唇を奪った。
『王妃の治療に成功した者は、褒美として第一王子または王女と結婚させる』
騎士が治癒魔導師に見せたという、まるで人さらいの言い訳のような触書。
褒美と称して王族に縛りつける、そのふざけた文言が、オレの脳裏にちらついて離れない。
騎士たちに見つかったが最後、治療の成否に関係なく、彼女はもう戻ってこない。
「二人とも本当に気を付けて」
「あぁ、わかってる」
「姉さん、顔出しちゃダメだよ」
不安を隠して微笑むイザゲルを、ネースがスクリーンの奥へ押し込める。
オレは唇を噛み、こみ上げる苛立ちを抑えてその場を離れた。
△
――ネース、もう裏山まで逃げられたか?
家を出る直前、ネースは自分に透明化の魔法をかけて姿を消した。
だが、あの魔法は強い刺激を受けると途切れてしまう。
うっかり声を出したり、枝に引っかかったりしただけでも解除されるほど繊細だ。
ネースは確かに天才だが、誰よりも子供らしくて行動が読めない。途中で魔法が切れていないか、それだけが気がかりだった。
オレはネースの無事を祈りながら、他の魔導師たちにも危険を知らせるため、クーラー領の領主である、クーラー伯爵の屋敷へ向かった。
クーラー領に点在する村々は、伯爵の意向で大きな街にならないように管理されている。
街が発展しすぎると、闇のモヤが発生しやすくなるだけでなく、精霊たちが減ってしまうからだ。
自然を守り精霊と共存する魔導師たちの村。それがオレの暮らすイコロ村だった。
魔導師にとっては暮らしやすい場所だ。
領主屋敷へ向かう途中、伯爵家の嫡男シェインと、その妹ベランカに出会う。
二人とも貴族らしい落ち着きと気品はあるものの、どこか親しみやすい雰囲気を持っている。
この村には魔法学校がひとつしかなく、身分に関係なく同じ教室で学ぶのだ。シェインはオレと同じ学年で、昔からの友人だった。
騎士たちが来ていることを伝えると、シェインたちは表情を引き締めて頷いた。
「私がお父様に知らせてきます。きっと騎士たちを足止めしてくださいますわ」
「そうだね。この件については、父上もかなりご立腹だ。王命だから従わざるを得ないけど、子供たちだけは守りたいとおっしゃっていたよ。狙われそうな子たちに声をかけて、裏山へ避難させよう」
これは下手をすれば反逆罪に問われかねない行動で、二人にとっても危険な賭けになるだろう。
しかも、二人とも飛び抜けて優秀な魔導師だ。
貴族の子供だからといって、守られる保証はどこにもない。
オレは二人の背中を見送って、騎士たちの動きを探るためにもと来た道を引き返した。
すると、イザゲルの家の前に、すでに騎士たちが到着していた。俺が仕掛けた足止めは、大した効果をあげられなかったようだ。
苛立った騎士の声が聞こえてくる。
「いいから早くイザゲルを出せ。優秀な魔導師なのだろう? 王都まで名が届いているぞ」
「あの子はまだ十五歳です。これから魔法高等学校で学ぶんですよ。それに、イザゲルは闇属性です。闇属性の魔導師が治癒魔法なんて使えるはずがないでしょう! それくらい誰だって知ってます!」
騎士たちに抗議しているのは、イザゲルとネースの父親だ。
無暗に騎士を怒らせれば、命を取られても不思議ではない。それでも父親は、娘を守ろうと必死に食い下がっていた。
青ざめた顔で、それでも一歩も引こうとしない姿が胸に迫る。
そのときどこからか、ネースらしき声が聞こえてきた。
「くひひ。トンマクグツグツ! ポセイドンサージもらよ! シュッシュッシュッ!」
ネースは意味不明な叫び声を上げながら、小さなおもちゃの水大砲を騎士に向けて撃ちまくっていた。
透明化の魔法が切れて見つかってしまったようだ。オレは肝が冷える思いで、思わず頭を抱えこんだ。
「あー、もういい。さっさと消えろ! おまえのような変人の相手をしている暇はない」
泡まみれになった騎士が、怒りに震えながら手を振り払っている。
ネースの顔はイザゲルの幻術で見るに堪えないほど歪んでいるし、あのおかしな言動では、とても天才魔導師には見えないだろう。
どうやらそれが、ネースの狙いのようだ。
頭の悪い変人だと思わせることができれば、騎士に攫われる理由はなくなる。
――やっぱりあいつ、天才だな。
オレが思わず笑ってしまいそうになったその時、イザゲルの家の中から愛しい彼女の声が響いた。
「私は、ここにいます」
騎士たちの前に現れたイザゲルは、しっかりと背筋を伸ばし、凛とした姿で立っていた。
その美しい横顔には、家族を守ろうとする彼女の、強い意思が浮かんでいる。
父と弟を救うため、彼女は自らを犠牲にしてしまったのだ。
ガックリと膝をついたオレの前で、イザゲルは騎士に取り囲まれた。
お読みいただきありがとうございます。
こちらは『三頭犬と魔物使い~幼なじみにテイムされてました~ 』に登場するハーゼン視点の短編になります。
『お題で飛び込む新しい世界』のテーマ「戦記」に合わせて15000字くらいで仕上げたかったのですが、やはりバタバタしてしまい第一話しか完成しないまま期限が来てしまいました(;^_^A
企画は未完成でもいいということなので、とりあえず投稿いたします。
また、追って続きを書けたらいいなと思ってます。
ハーゼンのその後が気になる方は、ぜひ本編をお楽しみくださいませ♪
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