ダンジョン攻略②
「『編集不可』だな」
俺は呆然と呟いた。
正直、予想はしていた。二年前と今回から推測するに、俺の『デリート』は一定の強さ以上の魔物には効かないのだろう。原理は分からないが、直接魔物を編集するというのは、あまりにも都合が良すぎた。
「そう……」
アリスの声が、どこか納得したような響きを帯びた。
「やっぱり、そういうことなのね」
「俺のスキルはポンコツだろ?」
「万能じゃないってだけよ。多分、工夫次第で使い道はある」
彼女は冷静に分析する。
「おそらく、一定以上の強さを持つ存在には『編集』が直接効かない。そうでなければ、あまりにもバランスが崩壊してるもの」
「そうだな……。でも工夫って、具体的には何をすればいいんだ?」
「うーん……」
そのとき、デモニック・ナイトが動いた。
重厚な鎧を纏っているとは思えない速度で、こちらに向かって突進してくる。右手の大剣が、弧を描いて振り下ろされた。
「——っ!」
俺は咄嗟に横に跳んだ。
大剣が床を叩き割る。石畳が砕け散り、破片が宙を舞った。
間一髪。だが、避けるだけで精一杯だった。
「とりあえず、剣でも何でも使って反撃しなさい!」
アリスの声が響く。
俺は腰の剣に手を伸ばした。探索者として登録した後に買った、黒い長剣。マナが多いほど威力が増すという触れ込みだった。だが——
身体が、動かない。
「……っ」
剣を抜こうとして、腕が震えた。
二年間の引きこもり生活。その代償が、今になって襲いかかってきた。筋力の低下。反射神経の鈍化。そして何より——実戦経験の欠如。
頭では分かっている。剣を抜いて、斬りかかればいい。単純な話だ。だが、身体がその単純な動作を拒否している。
恐怖だ。
目の前の化け物に立ち向かうことへの、純粋な恐怖。
二年前、俺はこの感情に負けた。淫魔に自我を奪われかけ、何もできずに震えていた。あの時と同じだ。俺は——
「下がって!」
銀光が、俺の視界を横切った。
アリスだった。
彼女の剣がデモニック・ナイトの大剣を弾き、その勢いで俺を庇うように前に出る。
「ぼーっとしてないで、距離を取りなさい!」
「あ、ああ……」
俺は言われるがままに後退した。
情けない。本当に情けない。自分が嫌になる。
アリスは一人で、デモニック・ナイトと対峙していた。
彼女の動きは、俺とは比べ物にならないほど洗練されていた。
デモニック・ナイトの大剣が振り下ろされる。アリスはそれを紙一重で躱し、同時にカウンターの斬撃を放つ。剣先が鎧の隙間を狙い、火花を散らした。
反撃。デモニック・ナイトが横薙ぎに剣を振るう。アリスは後方に跳んで回避し、着地と同時に再び斬りかかる。
攻防は一瞬のうちに幾度も繰り返された。
だが——何かがおかしい。
アリスの剣は確かにダメージを与えているはずだった。鎧の隙間を的確に捉え、幾度も刃を滑り込ませている。それなのに、デモニック・ナイトの動きは鈍らない。むしろ、時間が経つにつれて攻撃の速度が上がっているようにさえ見えた。
「……厄介ね」
アリスの呟きが聞こえた。
「再生能力がある。しかも、かなり高い」
中途半端なダメージでは意味がないということか。一撃で致命傷を与えるか、再生が追いつかないほどの連続攻撃を叩き込むか。
どちらにせよ、一人で成し遂げるのは至難の業だろう。
アリスの消耗は明らかだった。
息が上がっている。動きにも、僅かな乱れが見え始めていた。汗が頬を伝い、銀髪が額に張り付いている。
当然だ。中級ダンジョンのボスを、たった一人で相手にしているのだから。本来なら、パーティーで挑むべき相手だ。
「……」
俺は自分の無力さを噛み締めながら、その光景を見ていた。
何もできない。スキルは効かない。剣を振るう技術もない。身体は動かない。
俺は——何のためにここにいるんだ?
「——っ!」
アリスが僅かにバランスを崩した。
足元の石畳が、先ほどの攻撃で砕けていたのだ。不安定な足場に踏み込んでしまった彼女の体勢が、一瞬だけ乱れる。
デモニック・ナイトは、その隙を見逃さなかった。
大剣が、彼女の胴体めがけて横薙ぎに振るわれる。
アリスは咄嗟に剣で受けた。だが、体勢が崩れた状態では威力を殺しきれない。
鈍い音とともに、彼女の身体が吹き飛ばされた。
「アリス!」
俺は叫んだ。
彼女は床を転がり、壁際で何とか体勢を立て直した。だが、すぐには立ち上がれない。剣を受けた腕が、小刻みに震えている。
デモニック・ナイトが、ゆっくりとアリスに向かって歩き始めた。
大剣を引きずる金属音が、広間に響く。
まるで、獲物を追い詰める猛獣のようだった。
「……逃げなさい」
アリスが、掠れた声で言った。
「ここは私が食い止める。あなたは——」
「馬鹿言うな」
俺は無意識のうちに、そう返していた。
逃げる? ここで?
二年前、俺は逃げた。仲間を見捨てて、一人だけ生き延びた。その結果が、二年間の地獄だった。
また同じことを繰り返すのか?
また、誰かを見捨てて逃げるのか?
——冗談じゃない。
「俺は……」
声が震えた。足もおぼつかず、恐怖は消えない。
だが——
「俺は、もう逃げない」
デモニック・ナイトがアリスに迫る。あと数歩で、大剣の間合いに入る。
考えろ。
俺に何ができる?
スキルは敵に効かない。剣技もない。身体能力も最底辺だ。
だが、俺には『編集』がある。
敵には効かない。だが——敵以外のものには?
俺は広間を見回した。
砕けた石畳。散乱する破片。壁際に転がる瓦礫の山。天井から垂れ下がる古びた鎖。朽ちかけた柱。
そして——デモニック・ナイトの足元。
彼が踏みしめている、石畳の上の瓦礫。
「……いける」
俺は集中した。
スキルの対象を、デモニック・ナイトの足元の瓦礫に設定する。半径三メートルほどの範囲。そして——
「『デリート』!」
瓦礫が、消えた。
突然足場を失ったデモニック・ナイトが、バランスを崩してよろめく。重い鎧を纏った巨体が、前のめりに傾いた。
その隙を、アリスは見逃さなかった。
壁を蹴って跳躍。空中で身体を捻り、渾身の一撃を——
違う。まだ足りない。
アリスの剣では、一撃で仕留めきれない。再生能力がある相手だ。中途半端なダメージでは、また立ち上がってくる。
だから——
「アリス、首を狙え! 俺が道を作る!」
俺は叫びながら、次の『編集』を発動した。
対象は、デモニック・ナイトの兜。正確には、兜の留め金部分。鎧と兜を繋ぐ、革製のストラップ。
本体には効かない。だが、装備品は別のようだ。
「『デリート』!」
留め金が消失した。
支えを失った兜が、ずれ落ちる。
その瞬間、デモニック・ナイトの首筋が——剥き出しになった。
「——もらった」
アリスの声が響いた。
銀光が閃く。
彼女の剣が、露わになった首筋を深々と切り裂いた。
断末魔の咆哮が、広間を震わせた。
デモニック・ナイトの巨体が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
鎧が床に叩きつけられる轟音。
赤く燃えていた双眸の光が、ゆっくりと消えていく。
そして——
デモニック・ナイトは、大きな魔石へと変わった。
静寂が、広間を支配していた。
俺は荒い息を吐きながら、その場に膝をつく。
全身から力が抜けていく。緊張の糸が切れたのだ。
アリスも剣を鞘に収め、大きく息をついていた。
「……終わったわ」
彼女はそう呟いて、俺の方を振り向いた。
「まだクリアしたわけじゃないけどね。この先に中ボスが2体とボスが1体いるわ」
「……ああ」
俺は力なく頷いた。
クリア。確かに、そうだ。ボスは倒された。ダンジョンは制覇された。
だが、今の俺の心を占めていたのは、達成感とは違う感情だった。
「……俺のスキル」
俺は呆然と呟いた。
「効いたかな。直接じゃないけど……」
「ええ」
アリスが頷いた。
「敵本体には効かなくても、周囲の環境には効く。それを利用すれば、間接的にダメージを与えられる。あなた、咄嗟にそれを思いついたのね」
「……たまたまだ」
「たまたまでも、結果を出したのは事実よ」
彼女は俺の前にしゃがみ込み、真っ直ぐに目を見た。
「あなたのスキル、使い方次第で化けると思う。今日、それがわかった」
「……」
俺は何も言えなかった。
確かに、今日の戦いで一つの可能性が見えた。
敵に直接効かなくても、戦場そのものを編集することはできる。足場を奪う。装備を無効化する。障害物を消す。あるいは——逆に、何かを作り出すことも、いずれはできるようになるかもしれない。
俺のスキルは、万能ではない。
だが、無力でもなかった。
「……一つ、聞いていい?」
アリスが、慎重な口調で尋ねた。
「さっき、私に『逃げろ』って言った時。あなた、一瞬も迷わなかったわよね。どうして?」
その質問に、俺は少し考えてから答えた。
「……二年前、俺は逃げたんだ」
「……」
「仲間を見捨てて、一人だけ戦場から逃げ出した。そのことがずっと、喉に刺さった骨みたいに俺の中に残ってた」
アリスは黙って聞いている。
「今日、お前が倒れそうになった時、また同じことをするのかって思った。また逃げて、また誰かを見捨てて、また二年間引きこもるのかって」
俺は拳を握りしめた。
「それだけは、嫌だった。怖かったけど……それ以上に、また逃げる自分が嫌だった」
「……そう」
アリスは静かに頷いた。
「じゃあ、あなたはもう大丈夫ね」
「何が?」
「恐怖を克服したってことよ。完全にじゃないかもしれないけど、少なくとも、恐怖に負けて動けなくなることはもうない。今日がその証拠」
彼女の言葉が、じわりと胸に染み込んでくる。
恐怖を克服した——
そんな大層なものじゃない。ただ、逃げたくなかっただけだ。
でも、それでいいのかもしれない。
動機が何であれ、俺は今日、恐怖を押し殺して行動することができた。それは小さな、しかし確かな一歩だった。
「さて、帰りましょうか」
アリスが立ち上がり、俺に手を差し伸べた。
「配信も、そろそろ切り上げないと」
「……ああ、そうだった」
俺は彼女の手を取って立ち上がった。
ドローンはまだ俺たちを追尾している。つまり、今の全てが配信されていたわけだ。
「……恥ずかしいな」
「何が?」
「色々と。情けないところも、格好悪いところも、全部見られてた」
「でも、最後は格好良かったわよ」
アリスが、珍しく素直な笑みを浮かべた。
「『逃げない』って言った時の顔、悪くなかった」
「……そうか」
俺は少しだけ、照れくさくなった。
ダンジョンを出ると、外はすっかり夕暮れに染まっていた。
茜色の空が広がり、西日がダンジョンの入口を照らしている。二年前の惨劇が嘘のような、穏やかな風景だった。
ドローンの赤いランプが消える。配信終了の合図だ。
「お疲れ様」
アリスが労いの言葉をかけてきた。
「初めてのダンジョン攻略にしては、上出来じゃない?」
「……お前のおかげだ。俺一人じゃ、絶対に無理だった」
「でも、最後の一撃は私一人でも無理だった」
彼女は真剣な表情で言った。
「あなたがいなければ、私は負けていたわ。再生能力持ちの相手を、消耗した状態で倒しきるのは不可能だった」
「……」
「だから、今日の勝利は二人の力よ。あなたも胸を張っていい」
その言葉に、俺は素直に頷いた。
二人の力。
そうだ。俺は一人で戦ったわけじゃない。アリスという仲間がいて、互いの弱点を補い合って、ようやく勝てた。
それが、パーティーで戦うということなのだろう。
スマートフォンが振動した。見ると、通知が大量に届いている。
配信のコメントだった。
『最後の連携すげえ!』
『瓦礫消すのは草』
『アリス様の一撃かっこよすぎ』
『ちゃんと成長してるじゃん』
『次回も楽しみ!』
好意的なコメントが目立つ。最初の情けない姿を笑っている人もいたが、最後の戦いを評価する声が圧倒的に多かった。
「……見てくれてる人、いるんだな」
「当然よ。私のファンは多いもの」
アリスが自信満々に言う。だが、すぐに表情を和らげた。
「それに、あなたにも興味を持った人がいるはずよ。スキルの使い方、斬新だったもの」
「斬新っていうか、苦肉の策だけどな」
「苦肉の策でも、結果を出せば評価される。それが探索者の世界よ」
彼女は夕日に目を細めながら続けた。
「これからもっと経験を積めば、もっと色んな使い方が見つかるはず。環境操作に特化した探索者なんて、聞いたことがないわ。あなただけの戦い方を確立できれば、それは大きな武器になる」
「……そうかもな」
俺は自分の手を見つめた。
今日、俺は一つの可能性を見つけた。
スキルには限界がある。だが、その限界の中でも、できることは確かにあった。
体力は足りない。技術もない。経験も浅い。
課題は山積みだ。
だが——
それを一つずつ克服していけばいい。
「明日から、トレーニングを始めるわよ」
アリスが宣言した。
「基礎体力をつけて、剣の扱いも学ぶ。それから、スキルの応用についても研究しましょう。床を消すだけじゃなくて、もっと色んな使い方があるはずよ」
「ああ、頼む」
「覚悟しておいて。厳しいわよ」
「分かってる」
俺は頷いた。
厳しいだろう。苦しいだろう。何度も挫けそうになるだろう。
でも、もう逃げない。
今日、俺はそう決めた。
「……なあ、アリス」
「何?」
「ありがとう」
「何が?」
「俺を誘ってくれて。一緒に戦ってくれて。……俺に、もう一度チャンスをくれて」
アリスは一瞬だけ目を見開き、それからふっと笑った。
「お礼を言うのはまだ早いわよ。私はあなたを最強の探索者にするつもりなんだから。そのためには、これからもっと苦労してもらうわ」
「……最強は言い過ぎだろ」
「何事も目標は高く持つものよ」
彼女は不敵な笑みを浮かべた。
夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。
デーモンダンジョン攻略——
それは俺にとって、終わりではなく、始まりだった。
二年間の空白を経て、俺はようやくスタートラインに立った。
隣には、頼れるパートナーがいる。
胸には、小さいけれど確かな希望がある。
俺は、もう一人じゃない。
新たな物語が、今、幕を開けた。




