第8話 ダンジョン攻略①
そして迎えたダンジョン探索当日。俺はアリスと「デーモンダンジョン」の入口に立っていた。
東京から千葉まで遥々やってきたわけだが、実はここは俺の地元である。二年前のあの日、この城から溢れ出したモンスターと死闘を繰り広げていたと思うと、少し感慨深いものがある。
感傷に浸っていた俺の視界の端で、何かが動いた。アリスの周囲を旋回する、手のひらサイズの機械。プロペラの低い唸りが、静寂を微かに揺らしている。
「……それ、何だ?」
「これ? 自動追尾ドローンよ。元々は探索者の生存確認やダンジョン内部の記録用に開発されたものだけど、今じゃすっかり配信機材として定着してるわね」
「……ってことは」
「ええ、もちろん。私たちの攻略も配信するわ」
「お前、あれだけ配信のことディスってたくせに……」
「ち、違うわよっ!」
アリスが頬を紅潮させて反論する。
「私が批判したのは配信そのものじゃなくて、攻略を二の次にして『いいね』稼ぎに躍起になってる連中のことよ。本末転倒も甚だしいでしょ、ああいうの」
「……ふーん」
正直なところ、俺は配信には乗り気になれない。二年間、社会から隔絶された生活を送ってきた人間だ。仮想空間越しとはいえ、不特定多数の視線に晒されることに抵抗がないわけがない。
「俺のトーク力には期待するなよ」
「もちろん、最初から期待なんてしてないわ」
容赦ない即答だった。
「というか、配信してるからって無理に喋る必要はないの。自然体でいなさい。下手に取り繕うより、よっぽどマシよ」
ドローンの赤いランプが点灯する。配信開始の合図だ。
俺は小さく息を吐いた。
「……じゃ、行くか」
「ええ」
緊張と期待が、胸の中で複雑に絡み合っている。だが、立ち止まっている暇はない。
俺たちは、デーモンダンジョンの門扉をくぐった。
ダンジョンの内部は、薄暗い洋館を思わせる空間だった。高い天井からは埃を被ったシャンデリアが吊り下がり、壁には色褪せた肖像画が等間隔に並んでいる。絨毯は元は深紅だったのだろうが、今は黒ずんで、所々が朽ちかけていた。
空気が重い。湿気を含んだ、腐敗の予兆を孕んだ空気。生者を拒絶するような、底冷えのする寒さ。
「……いかにもって雰囲気だな」
「モンスターの出現パターンは把握してるわ。最初の階層はアンデッド系が中心。ゾンビ、スケルトンあたりね」
「了解」
廊下を進む。靴音が不気味に反響し、どこか遠くで何かが蠢く気配がした。
最初の遭遇は、角を曲がった直後だった。
腐臭が、俺の鼻腔を突いた。
ゾンビだった。
かつて人間だったものの成れの果て。腐り落ちかけた皮膚、虚ろな眼窩、だらりと垂れ下がった腕。それが三体、廊下の向こうから這いずるようにこちらへ向かってくる。
俺は右手をゾンビに向けて、自分のスキル《編集》を呼び起こした。
意識を集中すると、視界の端にツールバーが現れる。半透明の光で構成されたそれは、俺にしか見えないインターフェースだ。
俺は間髪入れずに「デリート」を選択した。
すると——
目の前のゾンビが、消滅した。
音もなく、光もなく、ただ「存在しなくなった」。まるで最初からそこに何もいなかったかのように。
「……実際に見ると、とんでもないスキルね」
アリスが、呆然と呟いた。
「残り二体だな」
俺は淡々と告げて、続けざまに「デリート」を発動した。
二体目のゾンビが消える。
三体目も、同様に。
俺たちの前には、もう何もいなかった。ゾンビがいた痕跡すら残っていない。腐臭だけが微かに漂っているが、それもすぐに薄れていくだろう。
「……」
アリスが無言で俺を見つめている。その表情には、驚愕と——どこか複雑な感情が混じっているように見えた。
「何だよ」
「いえ、別に」
彼女は首を振って、歩き出した。
「先に進むわよ。まだ一階層目の入口付近でしかないんだから」
「ああ」
俺も彼女に続いて歩き出す。
背後で、ドローンが静かに追従してくる。配信を見ている人間がどんな反応をしているのか、俺には分からない。
その後も、俺たちは順調に進んでいった。
順調すぎるほどに。
「また来たわ。前からスケルトン、五体」
アリスが前方を指差す。
骨だけで構成された人型のモンスターが、剣や槍を構えてこちらに向かってくる。カタカタと骨が鳴る音が、不気味に廊下に響いていた。
「任せろ」
俺は右手を掲げる。
ツールバーを呼び出し、「デリート」を選択。
「……」
アリスの視線がどこか遠くを見ているような気がした。
「次、行くぞ」
「ええ」
廊下を進み、階段を下りる。
二階層目に入ると、敵の数が増えた。ゾンビとスケルトンに加えて、ゴブリンの姿も見え始める。緑色の肌に、醜悪な顔立ち。小柄だが、その目には狡猾な光が宿っている。
「ゴブリンは知能があるから、多少は戦術を使ってくるわ。囲まれないように——」
「大丈夫だ」
俺はアリスの言葉を遮って、前に出た。
ゴブリンの群れ——およそ十体が、こちらに気づいて奇声を上げる。手に持った粗末な武器を振り回しながら、一斉に襲いかかってきた。
俺は冷静にツールバーを操作する。
「デリート」
一体。
「デリート」
二体。
「デリート」「デリート」「デリート」——
連続で発動。ゴブリンたちが次々と消滅していく。
彼らは何が起きているのか理解できていないようだった。仲間が目の前で消えていく光景に、恐怖と混乱の色を浮かべている。だが、逃げ出す間もなく、すべてを消滅させた。
「……」
アリスが、深いため息をついた。
「どうした?」
「いえ、何でもないわ」
彼女は首を振る。だが、その表情には明らかに不満——いや、困惑のようなものが浮かんでいた。
「正直に言ってくれ。何か気になることがあるんだろ」
「……そうね」
アリスは少し考えてから、口を開いた。
「私、ここにいる意味あるのかしら」
「え?」
「だって、見ての通りでしょう? あなた一人で十分じゃない。私は完全に置物よ。いてもいなくても同じ」
彼女の声には、自嘲的な響きが混じっていた。
Aランク探索者、白銀のアリス。日本で五指に入る実力者。その彼女が、「自分は不要だ」と言っている。
「……」
俺は何と答えればいいのか分からなかった。
「弱い魔物なら、簡単なんだよ。あと俺はダンジョン攻略のノウハウとか、そういうのも教えてもらいたいn——」
「それ、今の状況で意味があると思う?」
アリスが冷たく遮る。
「敵が出たら『デリート』。それで終わり。戦術も何もないじゃない。私が教えられることなんて、何もないわ」
「……」
返す言葉がなかった。
俺のスキル《編集》は、確かに強力だ。対象を問答無用で「削除」できる。通常の戦闘における駆け引きや技術は、この能力の前では無意味に等しい。
だが——
「まあ、いいわ」
アリスが気を取り直したように言った。
「とりあえず、このまま進みましょう。ボス部屋まで行って、ボスを倒せば攻略完了よ」
「……ああ」
俺は頷いて、再び歩き出した。
胸の中に、微かな不安が芽生えていた。
アリス視点だと、俺のスキルは無敵に思えるかもしれない。でも、それは違う。
『編集不可』——。
俺は自分のスキルの限界を知っている。このまま攻略が順調に進むとは思えない。
その予感は、すぐに現実のものとなった。
一階層目を抜け、二階層目へ。
道中のモンスターは、全て俺の「デリート」で処理した。ゾンビ、スケルトン、ゴブリン——種類に関係なく、俺のスキルは有効だった。
アリスは終始無言だった。時折、何か言いたげな視線を向けてくることはあったが、結局何も口にしなかった。
そして——
「ここね」
アリスが足を止めた。
目の前には、巨大な扉があった。
高さは三メートルを優に超え、両開きの扉には禍々しい紋章が刻まれている。扉の隙間からは、赤黒い光が漏れ出ていた。
「ボス部屋か?」
俺は呟いた。
「ちょっと違うわね。この二階層を含めて、このダンジョンには3体の中ボスと1体のボスがいるの。おそらくこの部屋の先には——1体目の中ボス『デモニック・ナイト』がいるはずよ」
アリスが説明する。
「中ボスとしては標準的な強さ。Aランク探索者なら単独でも倒せるレベルだけど、油断は禁物よ。高い攻撃力と防御力を持っていて、特に右手の剣には要注意よ」
「分かった。まずは『デリート』で消せるか試してみるよ」
俺は扉に手をかけ、力を込めて押し開いた。
重厚な扉が、軋みながら開いていく。
その先に広がっていたのは、円形の広間だった。
天井は高く、壁には燃え盛る松明が等間隔に並んでいる。床には魔法陣のような紋様が描かれ、赤黒い光を放っていた。
そして、部屋の中央に——
それは、いた。
全身を漆黒の鎧で覆った騎士。身長は二メートルを超え、右手には巨大な剣を携えている。兜の奥からは、赤く燃える双眸がこちらを見据えていた。
デモニック・ナイト。このダンジョンの最初の中ボス。
「……」
俺は右手を掲げ、スキルを発動しようとした。
ツールバーを呼び出し、「デリート」を——
選択できない。
「……やっぱりか」
ツールバーは表示されている。「デリート」のアイコンも見えている。だが、それを選択しようとすると、弾かれるような感覚があった。
まるで、見えない壁に阻まれているかのように。
「どうしたの?」
アリスが怪訝な声を上げる。
「……効かない」
「え?」
「『編集不可』だ」
俺は呆然と呟いた。




