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第7話 攻略準備

翌日の朝。

 

 俺の安眠は鼓膜を直接震わせるような、無機質で暴力的な電子音によって打ち砕かれた。  


 眠気に逆らって布団から這い出し、枕元のスマートフォンを睨みつける。  


 時刻は午前八時を少し過ぎたところ。引きこもりの夜型人間にとっては、まだ昨日の延長ともいっていい時間帯だ。  


 通知欄を埋め尽くしているのは、昨日出会ったばかりの少女――園前アリスからのメッセージの山だった。


『起きてる? もうマンションの前にいるんだけど』 『既読がつかないわね。まさか二度寝?』 『あと三分で出てこなかったら、不法侵入の記録を更新するわよ』


 冗談には聞こえなかったので、俺は慌ててベッドから飛び起きた。


 カーテンの隙間から差し込む朝日は、埃の舞う部屋を無慈悲に照らし出し、俺の社会性のなさを告発しているようだ。


 顔を洗う時間も惜しんで、床に落ちていた適当なパーカーを引っ被る。

 

 玄関の扉を開けると、そこには朝の光を背負って光り輝いた、女神のような女が腕を組んで立っていた。


「おはよう、アキ。……ギリギリセーフにしてあげる」


「朝から心臓に悪い起こし方はやめてくれ……。で、今日は何なんだ?」


「決まってるでしょ。明日のダンジョン初攻略に向けた、装備調達と、メイクアップの日よ」


「装備はわかるけど、メイクアップって?」


 彼女は俺のヨレヨレのパーカー姿を頭のてっぺんからつま先まで品定めするように一瞥し、鼻で笑った。


「まずは、その『ホラー映画に出てきそうなボサボサ髪』をどうにかするわよ」


        

  


 抵抗する間もなくタクシーに押し込まれ、連れてこられたのは新宿の喧騒から少し外れた場所にある、隠れ家的な美容室だった。  


 白と木目を基調とした店内には、微かに柑橘系の香料の匂いが漂っている。場違いな空間に、俺の足がすくむ。


「……アリス、本当にここで切るのか? 俺みたいなのが入っていい店じゃない気がするんだが」


「探索者がそんな弱気でどうするの。装備を探す前に、まずは見た目を整えないと。今のままだと、協会のロビーで不審者として通報されるのがオチよ」


 有無を言わせぬ手つきで、俺は革張りの椅子に座らされた。二年間、まともに鏡を見る機会なんてなかった。


 目の前に置かれた大きな鏡には、黒いカットクロスを巻かれ、伸び放題の髪の隙間から血色の悪い男が、死んだ魚のような目でこっちを覗き返している。


「彼を……人前に出してもいいレベルまで磨き上げて。……素材は悪くないはずよ」


 アリスの失礼なオーダーに、担当の美容師がプロの笑みを浮かべて頷いた。  


 軽快なハサミの音が響き始める。  


 視界を遮っていた重たい前髪が切り落とされ、床にパラパラと落ちていく。それはまるで、この二年間に溜め込んだものが剥がれ落ちていくような感覚だった。


 数十分後。 シャンプー台で丁寧に洗われ、ドライヤーの温風が首筋を撫でた後、美容師が「お疲れ様でした」とそっと椅子を回転させた。


「……誰だ、これ」


 鏡の中にいたのは、俺の知っている顔ではなかった。  


 目にかかっていた鬱陶しい髪は、さっぱりと短く整えられ、隠されていた眉や輪郭がはっきりと露出している。  


 二年間、一度も直射日光を浴びなかった肌は、不健康を通り越して、透き通るような白磁の色をしていた。  


 それが少し長めに残された襟足と相まって、どことなく中性的な、線の細い印象を強調させている。


 俺ってこんな顔だったっけ。


「……へぇ。いいじゃない、アキ」


 いつの間にか後ろに立っていたアリスが、鏡越しに俺の顔を覗き込んだ。  

 

 さっきまでの監督のような不敵な笑みが消え、彼女の瞳が、少しだけ泳いでいるように見えた。


「想像以上ね。色白で、儚げで……。ちょっと保護欲を唆る感じが出てるわよ。これなら、画面映えしそうね」


 画面映え?不穏な言葉だな……。


 彼女は少しだけ視線を逸らし、誤魔化すように俺の肩を軽く叩いた。


「どう? 自分で自分に惚れそうかしら?」


「……そんなわけないだろ」






 次に向かったのは、探索者御用達のエリアにある、重厚な金属の扉に守られた武器防具店『カーディナル・エッジング』だった。  


 店内に足を踏み入れると、空気感が一変する。


 美容室の柔らかな香りとは対極にある、金属の冷えた空気と、革のオイルが混ざり合った独特の香り。  


 壁には魔物の素材を使った禍々しい武具が並び、ここが普通の洋服店でないことを認識させられる。


「アキのスキル《編集》は、因果に直接干渉する特殊な力。……なら、武器は過剰な属性や装飾のないものである必要があるわ」


 アリスが案内したのは、一番奥にある、飾り気のないショーケースだった。  


 彼女が選んだのは、漆黒の鞘に収められた一振りの直剣。


「これは『クロノ・ブレード』の量産試作型。マナの伝導率を最優先したモデルよ。……アキ、握ってみて」


 渡された剣はずしりと重かったが、不思議と嫌な重さではなかった。  


 鞘から少しだけ刃を抜いてみる。刃紋のない滑らかな黒い刀身が、店内の照明を吸い込むように鈍く光った。  


 柄を握りしめた瞬間。


[ クエスト報酬:はじまりの剣 を検知しました ]

[ 武器とシンクロします……完了 ]

[ クエスト報酬を更新します…… クエスト報酬:回復ポーション]


 視界の端に、昨日見たシステムログがひっそりと浮かび、消えた。  


 二年前には感じなかった感覚だ。


 手のひらを通して、自身の奥底に眠るマナが、外部と接続されるような奇妙な高揚感。  


「……いいな。これなら、俺が持つマナに合ってそうだ」


 防具は、アリスの見立てで、特殊な加工を施したシャツとスーツを選んだ。


 試着室の鏡の前で、白黒で統一された装備を纏い、髪も整えた自分の姿を見る。  


 パーカー姿の引きこもりは、もうそこにはいなかった。

 

(なんかリクルートスーツを着た就活生みたいな見た目だな……高一だけど)  


「うん、完璧ね。これで攻略の準備は整ったわ」


 腕を組んで満足げに頷くアリスの隣に並ぶと、ようやく俺も探索者になれたような、そんな感覚を覚えた。


         





 用事を終えた俺たちは、遅めのランチを摂るために、テラス席のあるカフェに入った。  


 新宿の街は、平日だというのに多くの人々で行き交っている。  


 その中には、俺たちのように装備を纏った探索者たちの姿も珍しくない。

 

 二年前は非日常だった光景が、今は当たり前の日常として溶け込んでいる。


「……本当に、二年前とは別の世界みたいだな」


 冷たいアイスコーヒーのグラスについた水滴を指でなぞりながら、俺は呟いた。


「そうね。でも、変わっていないものもあるわよ。……たとえば、これとか」


 アリスがカバンから取り出したのは、一枚の古い映画のパンフレットだった。  


 色褪せた表紙にデザインされているのは、俺が小学生の頃に熱狂した、マニアックな人気を誇るサスペンス映画のタイトル。


「それ……」


「さっきの防具屋の近くにあった古本屋で見つけたの。アキ、これまた観たかったって、昨日言ってたでしょ?」


 心臓が、トクン、と小さな音を立てた。  


 昨夜、ポップコーンを食べながら何気なく話した一言を、彼女は覚えていたのだ。


「あぁ、配信にもなくて、ずっと探してたやつだ。……まさか、こんなところで映画のパンフレットにお目にかかれるとは」


 彼女の不意の気遣いに、少しだけ胸が熱くなる。  


 アリスは、俺の反応を見て満足そうにストローを咥えた。    


 周囲から見れば、それはただの幸せそうなカップルのデートに見えたりするのだろうか。


 おこがましくも、そんな事を考えてしまう。  


「……ありがとう、アリス。今日はいろいろ助かったよ。髪も、装備も、このパンフレットも」


 素直な礼を口にすると、彼女は少しだけ目を丸くして、それから悪戯っぽく笑った。


「いいのよ。……これは投資なんだから。明日からたっぷり働いてもらうわよ、相棒くん」


 西日に照らされた彼女の銀髪が、オレンジ色に燃えるように輝いていた。


          





 夜の七時頃。  


 結局、俺は再びエミリーのマンションに来てしまった。 実はアリスが昼間のパンフレットの映画を持っていたらしい。 


 今日手に入れた装備は部屋の隅に置かれ、その存在感を放っている。  


 俺たちはソファに並んで座り、映画を再生した。


 部屋の照明を落とすと、大型モニターの青白い光だけが、二人の顔を照らし出す。  

 

 映画は、静かな立ち上がりを見せていた。  


「……アキ。明日は、いよいよ最初のダンジョン攻略よ」


 画面を見つめたまま、アリスが静かに言った。


「……あぁ。わかってる」


「怖かったら、私の後ろに隠れていてもいい。無理に戦おうとしなくていいわ。まずは、その場の空気に慣れるだけでいいから」


 アリスが、そっと俺の肩に自分の頭を乗せた。  


 彼女の体温と、微かなシャンプーの香りが伝わってくる。  その重みは、彼女が俺に寄せている信頼の重みのように感じられた。


 なんで一度や二度会っただけの人間にこんな信頼を寄せてくれるんだろうか。


「……いや。俺も、やれるだけのことはするよ」


 俺は、小さな声で答えた。


「一応、君の相棒だからな。隅っこかもしれないけど、俺なりに戦ってみるよ」


 アリスは、ふふ、と短く笑い、俺の肩に頭を乗せたまま、心地よさそうに目を閉じた。


 映画のエンドロールが流れ始める頃には、俺は明日への緊張感と、ほんの少しの期待が混じり合った、新しい気持ちに変わっていた。

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