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2. 誘われる男

2話目です!よろしくお願いします。

 誘われるがまま、俺は園前そのまえアリスの後に付いて歩いていた。

 

 半年ぶりに吸う外の空気は、排気ガスと魔物の瘴気が混ざり合った、ひどく不快な味がする。  


 住宅街の喧騒を抜け、たどり着いたのは、街のランドマークとも言える超高層のタワーマンションだった。


「……ここ、園前の家?」


「あら、なんで私の名前を知ってるの?」


「お前、西中出身だろ?俺も一緒の学年にいたんだよ。クラスは違ったけど」


「それはなんというか……ごめんなさいね。私中学の頃は退屈すぎて、あんまり他の人のこと覚えてないの」


「あれで退屈だったのか......。」


 学校での彼女は、誰からも愛される『学園のアイドル』に見えていた。けれど、外野が勝手に押し付けるその虚像は、彼女にとっては退屈なレッテルでしかなかったらしい。


「そうよ。……あと、アリスでいいわ。映画好きの同士に名字で呼ばれるのは、なんだか他人行儀で落ち着かないもの」


 彼女はエントランスのセンサーに指をさしながら言った。  


 何重ものセキュリティを抜け、直通のエレベーターが地上十八階へと俺たちを運ぶ。鏡張りのエレベーターの中で、ヨレヨレのパーカーを着た俺と、銀髪をなびかせたアリスが並ぶ。  


 映画なら、この絵から『不釣り合いな二人』というシーンが完成してしまいそうだ。


「入りなさい。適当に座っていいわよ」


 通されたリビングは、広すぎて落ち着かない空間だった。壁一面を埋め尽くす大量の円盤の棚と、百インチを超える超大型の有機ELモニターがあり、ここが彼女にとっての「聖域」であることを物語っていた。


「キャラメルポップコーンは、今から用意するから。……その間に、準備をしておいて」


 アリスはキッチンへ消え、俺は借りてきた『雨の日の殺人鬼』をデッキに挿入する。  


 やがて、キャラメルの甘い香りが部屋に漂い始め、部屋の照明がゆっくりと落ちた。


          






 映画の本編が始まり、俺たちはソファに並んで座った。


 画面の中では、雨の降るモーテルで、殺人鬼と探偵が心理戦を繰り広げている。  


 アリスは真剣な眼差しでモニターを見つめ、時折、ポップコーンを美味しそうに口に運ぶ。  


「……このシーンの陰影とか、やっぱり神がかっているわね」


「あぁ、雨粒の一つ一つに、殺人鬼の狂気性を反映してるみたいだ」


 ボソボソとしたマニアックな会話だが、二年間誰とも分かち合えなかった感性が、彼女の手によって蘇っていく。  


 信二以来だな、こんなに映画について語り合ったのは。


 映画の終盤、救いようのない絶望が画面を覆い尽くし、エンドロールが流れ始める。


「……最高。やっぱりこれこそが、偽りのないエンディングだわ」


 アリスが深く息を吐き出し、ソファに深く背を預けた。  


 モニターの余光が、彼女の銀髪を妖しく照らし出す。


「なぁ、園前……いや、アリス。……君は、なんでこんな映画が好きなんだ?」


 俺の問いに、彼女は紫紺の瞳を細めて微笑んだ。


「今の現実があまりにも『退屈な娯楽映画ファンタジー』に成り下がってしまったからよ」


 彼女は窓の外を見やる。カーテンを開けると、遠くにあの禍々しい”ダンジョン”がライトアップされているのが見えた。


「二年前、世界にあのダンジョンが現れてから、全てが変わった」


「……あぁ。探索者だの、配信だのな」


「ええ。今やエネルギーの八割はダンジョンから産出される魔石マナロックで賄われ、経済は探索者が持ち帰る遺物アーティファクトを中心に回っている。人々はスマホで『探索者の配信』を観て熱狂し、強い力を持つ者は、それだけで人気者になれる」


 アリスの声には、かすかな怒りが混じっていた。


「……でも、それは偽りの産物よ。本当の恐怖をエンタメで塗りつぶして、誰も彼もが現実逃避している。私はね、こんなダラダラと続く緊張感のない三流映画リアリティ・ショーにはうんざりなの。探索者がやるべきことは、配信で「いいね」を稼ぐことじゃない。一秒でも早くダンジョンを踏破して、このふざけた世界を終わらせることでしょ?」


 彼女の言葉は、引きこもりの俺の心に、ナイフのように鋭く突き刺さった。

 

 俺が《編集》の力で全てを救おうとして、淫魔サキュバスという本物の強者に敗北した、あの日。俺もまた、現実という名のクソ脚本に絶望したのだ。


 ふと、アリスが立ち上がった。

 

 彼女が着ている上着の下のほう、その腰元に、鉄のようなものでできた奇妙な『デバイス』が装着されているのが見えた。


「……それ、探索者専用のマナ測定器?」


 アリスは、隠す様子もなく頷いた。


「気づいた? ……そうよ。私は現役の探索者シーカーなの」


「あの学園のアイドルが、探索者……?」


「アイドルだったのは、昔の話。……今の私は、ダンジョンの攻略を専門とする、探索者協会に所属しているわ」


 探索者協会。  


 それは覚醒者たちを管理し、ダンジョン攻略の探索者シーカーライセンスを発行する政府直属の機関だ。現代において、探索者として登録することは、世界に奉仕することを意味する。


「……アリスほどの美人が、あんな化け物どもの巣窟に行くのか?」


「化け物より、人間の相手をする方がよっぽど退屈だもの。……それと」


 アリスは、ソファに座る俺の前に膝をつき、じっと俺の瞳を覗き込んできた。


「さっきから、気になっていたの。……君、名前は?」


「……綾田、亜季だ」


「アキ。……さっきビデオ屋で君の手に触れた時、私のマナ測定器がエラーを起こしたわ。……『計測不能』っていう、あり得ないログを吐いてね」


 心臓がドクリと跳ねた。俺は慌てて目を逸らす。  


編集エディット》の力は、今も俺の体内に泥のように溜まっている。  


 二年前にはマナを測る手段なんてなかった。だからわからなかったのだが、俺のマナレベルは、そんなことになっていたのか。


「……何かの間違いだろ。俺はただの引きこもりのニートだよ」


「じゃあ間違いかどうか、確かめに行きましょうか」


 エミリーが俺の手首を掴んだ。  


 その力は、見た目からは想像もできないほど強く、そして拒絶を許さない意志に満ちていた。


「……どこへ?」


「決まっているわ。探索者協会よ。……君は観客席でただ眺めていていい存在じゃないわ」


「嫌だ! 俺は、あんな場所には……!」


 淫魔の冷たい指先。計算負荷で、脳が焼けるような感覚。  

 トラウマが溢れ出し、視界が霞む。


「……魔物が怖いの?」


 アリスが囁いた。その声に冷たさはない。  


 まるで全てを悟ったヒロインのような、慈愛に満ちた声だった。


「いいのよ、怖いままでも。……でも、その恐怖を抱えたままでいいから、私と一緒に戦ってくれない?絶対後悔させないわよ」


 彼女の自信に満ちた表情が、俺の網膜に焼き付く。  


 彼女の鬼気迫る雰囲気に抗えず、渋々提案にのることにした。


         




 強制的に連れ出された先は、夜中だというのに昼間のように煌々と照らされた、探索者協会の新宿本部だった。  


 巨大なガラス張りのビルには、重装備を整えた探索者たちが次々と吸い込まれていく。  


「……おい、アリス。本気か?」


「私はいつだって本気よ。……アキ、ここで登録を済ませるの」


 ロビーに入ると、周囲の探索者たちが一斉にざわついた。だが、それは俺に向けられたものではない。


「おい、あれ……『銀翼シルバー・ウィング』の園前アリスじゃないか?」 「なんであんな一般人みたいな奴を連れてるんだ?」 「……まさか、噂の新人スカウトか?」


 『銀翼』。それが、彼女がダンジョンで呼ばれる称号らしい。


 有名な探索者なのかな?  


 アリスは周囲の視線を完璧に無視して、受付の自動端末に俺を押し付けた。


「さあ。手のひらをかざしてみて。……この機械であなたのスキルの効果を知ることができるわ」

 

 二年前から知ってるんだけどな。大袈裟なことを言われて、多少の気恥ずかしさを覚える。


 俺の手は、小刻みに震えていた。登録をしてしまえば、俺は再び魔物と戦う毎日だ。  


 日真谷先生や信二のいる、あの残酷な戦場へと引き戻される。


(……でも、これ以上逃げても、俺の人生に未来はないだろうな。それにー)


 下らない、あまりにも下らない理由だ。  


 だが、アリスという少女が俺の隣にいること。それが、二年間凍りついていた俺の足を、一歩だけ前に進ませた。


 俺は、測定プレートに震える右手を置いた。


『――生体情報をスキャンします』 『――マナ経路を認証。権限:管理者級アドミン


 ピピピピピピピピピピピ!!


 突然、協会中の端末が一斉に警告音を発した。モニターには、巨大な赤い文字が躍る。


【 警告:計測限界突破オーバーフロー 】 【 未確認のユニークスキルを検出しました 】 【 ユーザー名:アキ・アヤタ 】 【 スキル:――未定義アンディファインド


 ロビーの喧騒が、一瞬で静まり返った。数十人の探索者たちの視線が、俺の右手に集中する。


 アリスだけが、その光景を満足げに見つめていた。


「……やっぱりね。アキ、君は最高の『主人公』だわ」


 彼女は俺の腕を強引に組み、満面の笑みで告げた。


「おめでとう。……今日から君は、私の『相棒パートナー』よ」


 神様、やっぱり俺の物語じんせいは、とっくに俺の手を離れてしまっているようです。  


 こうして、世界で唯一の『世界を編集する探索者』が、ここに誕生してしまった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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