禁書
──朝の光が差し込む王立学園の教室。
生徒たちのざわめきの中、イリーナは淡々とノートに向かい、ペンを滑らせる。
周囲の生徒たちが質問をしたり、友人同士で笑い合ったりしている中、彼女だけは冷静に文字を書き連ねる。
その青い瞳は、教室の喧騒をよそに、静かに知識を吸収していた。
──
一方、剣術場ではアイシェが一回り大きな男子生徒たちに囲まれ、剣戟を繰り広げる。
鋼の刃がぶつかる音、仲間の歓声、呼吸の乱れ。
アイシェは軽やかに飛び、剣をかわし、時折相手の裏を突く。
戦略的な動きはまるで遊戯のようで、周囲の生徒たちは舌を巻いていた。
──
工房ではオルガが教授と共に作業を進めながら、他の生徒に細やかにコツを教えている。
「ここは力じゃなくて、手の感覚を意識するんだ」
微笑む彼の視線に、ちらりと生徒たちは惹かれる。自分がモテていることを薄々感じながらも、真剣に指導するオルガの姿があった。
因みにそれを見ている男子生徒は血汗涙を噛み締めている。
──
翔真はと言うと……。
「マルちゃん、来たよ〜」
「……あぁ、翔真坊主か。手を貸せ、書類整理と処理を頼む」
低く唸るような声が、地の底から響いた。
扉を開けた瞬間に漂うのはインクと革の匂い。机の向こうに座る男のシルエットは、学園長室というより裏社会のアジトが似合いそうだった。
マルエン・コーロ――学園長にして、この大陸でも指折りの賢者。
鍛え抜かれた肉体に漆黒のスーツ、光沢を放つスキンヘッド。
一度見ただけで「マフィアのボス」と囁かれても誰も疑わないだろう。マフィアはこの世界に居ないけど。
だが人々は、彼を畏敬を込めて「球の賢者」と呼ぶ。
見た目と肩書きが、これほど一致しない人物も珍しかった。
「はいよ。……今日も相変わらず、山盛りだね」
翔真は書類の束を肩に担ぐ仕草をしながら軽口を叩く。
「マルちゃんさ、絶対さ……危ない組織の出身だったでしょ?」
わざと悪戯っぽい目つきで言う。
「そんな馬鹿なことするか」
短く吐き捨てるように返し、分厚い書類にペンを走らせる。
その声は否定の響きよりも、裏を感じさせる余韻のほうが強かった。
「それより――翔真坊主」
マルエンがふと顔を上げる。目の奥で鋭い光がちらついた。
「女が出来たな?」
「……流石に読まれたか」
翔真は口元に苦笑を浮かべる。
「相手は誰だ?」
「イリーナと……アイシェかな」
「……」
ペンが一瞬止まる。沈黙の間に、空気がわずかに重くなる。
「ハーデンの天才娘と、ランドンちゃんの娘か。……坊主」
マルエンの声は低く、まるで遠雷のように響いた。
「お前は一体、何を企んでいる?」
「別に」翔真は肩をすくめる。
「ただ、友達になりたいなって、そう思っただけさ」
──放課後、美術室には4人が集まっていた。
窓から差し込む柔らかな光が、机の上に並べられた紙やコマを照らす。
オルガは机の上で、手際よくミニゲームの準備を整える。
「誰の住処を拠点にするか、ルーレットで決めよう!」
※えらい迷惑なので、みんなは真似しないように
「いいね! やろやろ!」
「えぇ、しょうがないわね……」
「よし、それじゃあ、やろうか」
ルーレットの針がくるくると回る。
金属の針が紙の上でカチカチと弾かれる音。
針の動きに一喜一憂する4人の顔に、放課後の穏やかな空気が漂う。
やがて針が止まり――
「……イリーナの寮かぁ」
イリーナは少し溜息をついた。
「うっわぁ、私のとこか……」
「いいじゃないか、イリーナ姫の部屋! 絶対面白いものが転がってるぞ」
オルガの瞳が輝き、手が少し震えた。
「ちょっとオルガ君、からかうのは辞めて頂戴」
アイシェが微笑みながらたしなめる。
その空気は、ささやかな楽しさと友情に包まれていた。
⸻
寮は石造りの重厚な建物で、入り口のアーチをくぐると木の香りが漂う廊下が続いていた。
窓から射し込む夕日の光が、壁の絵画や小さな装飾品を柔らかく照らす。
「叡智の寮――名前に負けない、落ち着いた知性の香りだわ」
アイシェが小さく感嘆する。
部屋の扉を開けると、中は想像以上に整然としていた。
床は木目が美しく磨かれ、書籍は棚に美しく並び、発明品や資料は用途ごとに片付けられている。
小さなランプが柔らかい光を落とし、机の上には開いたノートや緻密なスケッチが置かれていた。
翔真はその配置を見て、内心でふと思う。
「……アレ?この配置は……」
しかし口には出さず、ただ静かに目で追った。
アイシェは棚に並ぶ書物を観察し、表紙や背表紙を指でなぞるように確認する。
オルガは思わず息を呑む。
「すごい……、配置に知性を感じる……」
イリーナは机の上に座り、無邪気に微笑む。
「ふふ、みんな、勝手に触っちゃダメよ?」
その時、アイシェの視線が壁の読書棚に留まる。
何かが彼女を引き寄せるように、本を手に取った。
棚の前で、アイシェは軽く手を止めた。
その瞬間、何かが視界に引っかかる。
「……ん?」
指先が止まり、目を細めて本の背表紙を凝視する。
一度視線を離して、再び本を見直す。
「アレ……?」
まるで、目の前の光景が現実かどうか確認するように、彼女は思わず二度見する。
軽く息を飲む。手が微かに震えるのを感じながら、もう一度棚を見上げる。
「え……これ、まさか……?」
目を大きく見開き、まるで信じられないものに出会った子どものように、三度見する。
横でオルガや翔真が何気なく見ている中でも、アイシェの動作は自然ではなく、明らかに異常を訴えていた。
指が本の背に触れ、そっと引き出すと、古い革表紙に刻まれた文字が光を反射して微かに煌めいた。
その瞬間、部屋全体の空気がわずかに重くなった気がした。
アイシェが禁書を抱きしめるように立ちすくむのを見て、翔真はすっと駆け寄った。
その瞳は真剣そのもの。
「落ち着いて。コレは――俺が預かっておく」
翔真の声は真剣で、揺るぎない。指先でそっと本を受け取り、アイシェの手から移す。
アイシェはまだ涙目で、わずかに肩を震わせる。
「どうしたの……?」
イリーナが瞳孔を開き、不思議そうに近づいてくる。
「この書物……いや、禁書と言うべきか」
翔真はほんの一瞬だけ視線を上げ、4人を見渡す。
空気は張りつめているが、どこか安心できる温もりも混じっていた。
「みんな……一体、どうしたの?」
イリーナの声が優しく響く。
その瞬間――
翔真の存在感が、一瞬だけ強く、光のように差し込む。