灰の大行進
「──今日、諸君には旅師四枠を突破してもらう。」
静寂を裂くように、翔真の声が教室に響く。
その一言で、空気が変わった。
今や絶級過程の生徒たちは、以前の彼らではない。
歴史上、同時に三百五十人もの旅師が誕生した例など存在しない。
いや──常識の外だ。だが、翔真の指導の下で常識など、とうに塵になっていた。
初日の頃の彼らを思い出す。
「無理だ」「出来るわけない」「向いてない」
そんな言葉ばかり吐いていた。
その度に翔真は思った。「弱音とは、希望を諦めた者の言葉だ」と。
だが、今──教室にいる生徒たちの瞳は違う。
燃えている。
恐怖も不安も、今や熱へと変わった。
五星波動が全身を巡り、心臓がまるでエンジンのように唸っている。
呼吸は静かで、筋肉に無駄な力はない。
生への執着ではなく、「生き抜く覚悟」。
それを纏った者は、もはや戦士ではない。
強者だ。
翔真は微笑む。
「君たちにとっては、休日みたいなもんだろ?」
笑い声が広がる。だが、それは緊張を解くための笑いではない。
戦いに挑む者の、確信の笑いだ。
翔真が黒い外套を翻す。
光が差し込み、窓から王都の尖塔が見える。
「さて──王都の中央広場を、ここにいる三百五十人で埋め尽くそうじゃないか。」
風が吹き抜け、旗がはためく。
「旅師試験」──それは世界の理に触れる者の門。
そして今、その扉を叩こうとしているのは、一つのクラスの、たった三百五十人だ。
翔真は拳を軽く握り、言葉を放つ。
「歴史に拍車をかける時だ。
我らの足跡が、未来を変える──行け、絶級過程!」
その瞬間、教室が震えた。
叫び声、波動の脈動、心臓の鼓動。
それら全てがひとつに重なり、まるで世界が新しい頁を開く音がした。
──王都・中央広場。
粉雪が風に巻き上がる王都。
午前の鐘が鳴り終える頃、轟音のような足音が大通りを埋め尽くした。
絶級過程の生徒たち、三百五十人。
全員が立ち上がり、肩を並べ、王都の中心へと向かって歩き出す。
その行列は壮観だった。
金属のきらめきも、鎧の音もない。
ただ、整然とした気配と、燃え上がる波動の脈が大地を揺らしている。
王都の民たちは、店を閉めて道端に出た。
野次馬が次々と集まり、誰もが口を開けて見上げる。
「なんだ……この人数は……?」
「学園の生徒らしいぞ。全員、旅師試験を受けに行くそうだ」
「は、はあ!?正気じゃないのか!?」
王都の中心にある旅師ギルド──中央広場は、瞬く間に人の波に呑まれた。
試験受付の前には、これまで見たことのない大行列が生まれる。
市民が足を止めた。
その光景は、まるで王都の心臓に新しい文明の拍動が生まれたかのようだった。
だが、周囲の大人たちは笑った。
諦めの笑いだ。
「いくら担任が賢者だからって、無理にも程がある」
「歴史上、四枠を突破できる者なんて、十年に一人かそのくらいじゃないのか?知らんけど」
「前例がないなら、不可能である──常識だ」
誰もが彼らを《《若気の至り》》と嘲った。
無謀、愚行、暴挙。
《《若気の至り》》で結構。
──彼らの足取りは一人として止まらない。
彼らは机上の論理で試験対策などしていない。
教本も模範解答も、彼らには必要なかった。
彼らが信じるのは「現場」だ。
命が削れ、誇りが磨かれ、魂が燃える現実の場で培った知恵と適応力。
それはもはや学問ではなく、生きる術であり、存在そのものだった。
行列の先頭に立つ翔真は、静かに呟く。
「常識はいつだって、塗り替えられるためにあるんだ」
群衆の視線を背に受けながら、翔真は口角を上げた。
その表情には迷いがない。
やがて、アゼル新聞の号外が王都中に貼り出される。
──『灰の大行進』
粉雪降る王都アゼル中央広場は、異様な熱気に包まれた。
灰の賢者が率いる絶級過程の生徒たち――総勢350名が、旅師試験のため一斉に行進。
かつて例のない規模の挑戦に、市民たちは息を呑んだ。
「まるで軍の出陣か」
「いいや。ありゃあ、革命だな」
通りすがりの商人達はそう語る。
試験は筆記と実技の二部構成。しかし、これほどの人数が一度に受験するのは史上初。
旅師ギルドは急遽、三日間にわたる分割試験を実施することを決定した。
一日目から三日目までは各日100名ずつ、最終日の四日目には残りの50名が挑むという異例の体制だ。
中央広場を埋め尽くした行列は、まるで一国の軍勢のようだった。
その光景を見た老人は語る。
「まるで灰の時代の再来じゃ。若者たちが、再び世界を動かそうとしておる」
「それでは翔真教授、行ってきます!」
朝靄の中、整列した生徒たちが一斉に頭を下げた。
その声は、王都の石畳に反響し、鐘の音のように遠くまで響いた。
俺はただ頷くことしかできなかった。
背中を叩くことも、言葉をかけることもできない。
初日、百人が去っていく。
二日目、百人が旅立つ。
三日目もまた、百人が歩み出る。
そして最終日、残る五十人が静かに俺の前を通り過ぎた。
俺は四日間、同じ場所に立ち、彼らの背中を見送った。
寒風が頬を刺す。
けれど、心の奥では熱が灯っていた。
──この瞬間こそ、教師という存在の意味だった。
教え子たちが巣立っていくその背に、未来を託す。
それからというもの、学院の門前は、まるで市場のように賑わった。
生徒の親だけでなく、農民、商人、教授、学者、実業家、さらには王族や現役の旅師までもが押し寄せてくる。
「絶級過程を見学したい」
「灰の賢者の講義を一度だけでも聞きたい」
──そう言って、彼らは列を作るのだった。
──
夕刻になると、マルちゃん校長の許可のもとで、翔真はセミナーを開いていた。
いわば副業だ。だが、内容は単なる金儲け講座ではない。
生と死、繁栄と崩壊、思想と経済──あらゆる現象を「魂の構造」から紐解く講義。前世の知識も絡めている。
その日のセミナー終わり、会場の一角に重厚なマントを羽織った黒髪の赤い眼の男が現れた。
セミナーに来ていた生徒達は、その美貌と風貌に釘付けとなる。
「私はアゼル公爵、アポス・イデア。灰の賢者よ、君の授業は実に興味深い。国を豊かにする発想ばかりか、その破綻の仕方まで論理的かつ丁寧に解説しておる。崩壊の仕方を教える教師など、見たことがない」
「これはこれは、公爵殿。過分なお言葉、光栄にございます」
翔真は軽く一礼した。その姿は、まるで政治家でも学者でもなく、新時代を観測している観測者のようだった。
「そう謙遜するでない」
アポス公爵は笑う。
「ところで──息子のオルガが世話になっているそうだな。今、王都で店を構え、弟子まで持っていると聞いたぞ。あれほど内気だった息子が、今では堂々と商売をしている。どうやら君の授業は、魂まで商人に変えるらしい」
翔真はわずかに微笑み、答えた。
「ええ。魂は、商才よりもずっと柔らかいものですから」
「それでな、少々気になることがあってな。灰の賢者殿に直接聞きたいことがある」
イデア公爵の声には、穏やかさの中に鋭い探究心が混じっていた。
「はい。なんなりとお申し付けください」
翔真は落ち着いた声で応じる。
表情ひとつ変えず、だが内側には小さな好奇心が宿っている。
「オルガと一緒に経営をしているという、イリーナ・ハーデンなる娘がいるそうだな」
「イリーナのことですか?」
翔真は眉一つ動かさず、淡々と確認する。
「あぁ、息子から聞いていたのだが、どうにも腑に落ちない部分があるのだ」
「腑に落ちない、ですか?」
イデア公爵の目付きが鋭くなり、顔つきが強ばる。
「あぁ、《《ハーデン》》という名の氏族は、戸籍上この国には存在しない」
窓を雪が叩く。俺の心に嫌な予感が走った。




