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逃げ場なし

 ──目を開けると、そこは地獄だった。


 空は血のように赤く濁り、地平線は骨と鉄でできていた。


 耳をつんざくような悲鳴。風は腐臭を運び、遠くで巨大な獣が塔をなぎ倒している。


「……ここ、どこ……?」


「夢だろ?さっきの授業の……」


「嘘でしょ!?体が……震える……!」


 見渡す限り、無数の“生物”がうごめいていた。


 それは形を持たぬ肉塊、獣とも虫ともつかぬ、理不尽な生の集合体。


 見た瞬間、吐き気と恐怖で膝が震える。


「いやだ……なんで、なんで私だけ──ぎゃあああ!!」


 一瞬で、生徒のひとりが飲み込まれた。

 悲鳴が上がり、肉が裂ける音が響く。


 だが、その直後──


 同じ場所に、彼女は再び立っていた。


 息を荒げ、震える手を見つめながら。


「……死ななかった?」


「いや、死んだんだよ。けど復活した。

 夢だから、何度でも死ねる──そういうことだ」


 天空に声が響いた。翔真の声だ。

 姿は見えない。ただ、すべての生徒の脳内に直接語りかけている。


「五星波動も、武器も使える。

 痛みも現実と同じだ。だが、死ぬたびに心が削れる。己の限界は、何度立ち上がれるかで決まる」


 地を這う獣の群れが生徒たちを取り囲む。


 雷が鳴り、血雨が降る。


世界そのものが敵意に満ちていた。


「ここは、理不尽そのものの世界。

 誰かを恨むな。

 世界とは、本来こういうものだ。怖いなら、それでいい。恐怖を知らずに賢者にはなれない」


 翔真の声が静かに、夢の中で鋭く響く。


「生徒諸君、これが初課題だ。

 理不尽に生き延びろ。

 殺してもいい。死んでもいい。

 だが、決して折れるな。」


 そして、惨劇が始まった。


 ──


 たまたま廊下を通りかかった教授がいような異様な光景を目にする。


(なんだ、この状況は!?)


 なんと生徒がうなされているのだ。


 何が起こっているのか分からなかった教授は翔真に尋ねることにした。


「翔真教授これはどうゆう事だね?」


「教授も試してみます?」


 教授は思わず一歩、後ずさる。


「い、いや、私はその……まだ心の準備が……」


 翔真は口元に笑みを浮かべる。


「大丈夫です。夢の中ですから。死んでも、生き返ります」


「いやいやいやいや! その大丈夫は全然大丈夫じゃないだろう!!!」


 周囲の生徒たちは寝汗をかき、呻き声を上げている。


 中には「ひぃぃ……」「助けて……やめろ……!」と小さく叫ぶ者も。


 教授の額から冷や汗が伝う。


「こ、これは訓練か? 拷問か?」


 翔真はゆっくりと立ち上がり、淡々と答える。


「どちらでもありません。現実です。人は夢の中でしか、本当の自分を試せない。極限の中でこそ、心の持ちようが問われるんです」


 教授は言葉を失った。


 ――この青年、一体、今まで何を見てきたのだ?


 翔真は一人、静かに黒板に書きつける。


『恐怖は賢者への入門書』


 そして、うなされる生徒たちを見渡しながらつぶやいた。


「さあ、ここからが本番だ」


 ──


 夕刻。


 沈みゆく光が教室の窓を赤く染め、静寂が満ちる。


 ──パチン。


 一つの指の音が響いた瞬間、空気が揺れた。


 生徒たちは一斉に跳ね起きる。


 誰もが蒼白な顔で、震える唇を押さえながら、周囲を見回した。


 冷たい汗が制服を濡らし、手は震え、瞳にはまだあの地獄の残像が焼き付いている。


 その中で、翔真は一人、黒板の前に立っていた。

 夕陽を背に、影が床を長く伸ばしている。


「──諸君、お疲れ様」


 その声は穏やかだった。


 だが、その一言で生徒たちの背筋がさらに凍りつく。


「目が覚めたようだね。あれが絶だ。現実の戦場よりも残酷で、夢よりも逃げ場がない。痛みも恐怖も、本物だったろう?」


 教室の空気が重くなる。

 誰も答えられない。


 翔真は静かに歩きながら、生徒たちを見渡す。


 その目は冷たく、しかしどこか誇り高い。


「だが、諸君。今の君たちは死を体験した。

 人間が本気で生きようとする瞬間を見た。

 それこそが――賢者への第一歩だ」


 一瞬、沈黙。


 次の瞬間、翔真は笑みを浮かべ、指をもう一度鳴らした。


 ──パチン。


「さあ、次は生きる意味を見つけようか」

「おっと、そうだ。ここ2ヶ月、いや、3ヶ月間は――家に帰れると思うなよ」


 教室の空気が一瞬で凍りつく。


 その言葉に、生徒たちの胸がぎゅっと締めつけられ、目の前の日常が音を立てて崩れるのを感じた。


 ──この賢者、堕天よりも怖い、かもしれない。


「教授……でも、ご飯とかお風呂は……?」


 震える声で質問する生徒に、翔真は軽く肩をすくめ、淡々と答える。


「ん?誰にも頼らず、自分で作るさ。だって、この世界には便利な波動があるじゃないか」


「もしかして……」


 目を丸くする生徒を見て、翔真は小さく微笑む。


 その笑みは冷静で、しかしどこか人を跳ね上がらせる力を持っていた。


「そうだ。泥臭く、自分で調達する。手間も苦労も全部、自分の力で。さぁ、開始だ」


 その言葉と共に教室の空気は一変する。


 賢者という存在――それは、神々しいだけのものではない。


 血の匂いと汗の匂いにまみれ、泥臭く、時に理不尽で、常人には耐え難い覚悟を伴うものなのだ。


 生徒たちは顔を見合わせ、恐怖と期待が入り混じった複雑な表情を浮かべる。


 そして、その瞬間、翔真の背中に、揺るぎない覚悟が映し出されていた。


 俺の仕事は明確だ――どんな手を使っても、生徒を逃がさないこと。


 逃げた者には、容赦なく連帯責任が課せられる。


 そのペナルティは、夢のレベルをさらに引き上げるという、容赦のないものだ。


 しかし、不思議なことに、初日から――逃げた者は一人もいない。


 教室のあちこちでうつむき、震える手を握りしめる生徒たち。


 恐怖で青ざめた顔、汗で濡れた髪、止まらない呼吸。


 だが、それでも誰も動こうとしない。


 彼らの心の奥底に響くのは――逃げられない現実と、そして俺が放つ圧倒的な存在感だ。


「ふふ、面白い……」


 無言の監視の中で、俺は冷ややかに笑う。


 初日から誰も逃げないとは、予想以上に楽しませてくれる。


 この空気――恐怖と絶望の入り混じる空間――こそ、絶級過程の第一歩だ。


 ──


 初日から2週間が過ぎたころ、生徒たちの表情には不思議なほどの生き生きとした輝きが宿っていた。


「教授!今までどれだけ甘えていたか、ようやく分かりました!」

「見てください!!温泉を掘り当てようと必死になったら、端波動と芯波動が自然に使えるようになったんです!!」

「私は知識なんて皆無だったのに、図書館に篭って研究してたら、魂波動を自在に扱えるようになったんです!!」


 予想と反して、いつの間にか、この絶級過程での奮闘が「生徒間での良い口コミ」として広がっていた。


 苦痛や困難の中で得た達成感は、ただの能力向上以上の価値を生み出していた。


 脱落者はゼロ――一人として諦める者はいなかった。


 彼らはまだ始まったばかりの過酷な道のりに胸を膨らませ、目には未来を見据える光が宿っていた。


 中には、疲労回復用の端波動と魂の五星波動を組み合わせ、驚異的な自己回復を行える生徒まで現れていた。


 ただ能力を使うだけではなく、波動同士を掛け合わせる発想力――それは、絶級過程で培われる柔軟な思考の証だった。


 翔真はその光景を目の当たりにし、自然と頬が緩む。


「……こいつら、半端じゃないな」


 苦悩の先にある成長――生徒たちは、己の可能性を自らの手で切り開いていた。


 そしてこの瞬間、絶級過程の本当の意味が、徐々に彼らにも、そして翔真にも見え始めていた。


 その間、校外から、いや屋敷や学園にまで、親たちからの苦情が殺到していた。


「我が子が帰宅せず、食事も風呂も自力で済ませるなんて!学園でそんな無茶を許すとは何事ですか!」

「寝る間も惜しんで修行させるなんて……教育とは名ばかりではないですか!」


 翔真の耳に苦情が次々と届くが、眉ひとつ動かさず、淡々と答える。


「ふむ、想定内だな……むしろ、もっと来い」


 親の心配も、絶級過程の一環だ。


 逃げず、立ち向かうことで、生徒たちは真の賢者へと近づく。苦情は、裏を返せば成長の証でもあった。


 王族や貴族の親も含まれていたが、翔真は容赦なく現実を突きつける。


「高い学費を払っておいて、半端な成果しか出せないのでは、この先の脅威に立ち向かえない。現実を見ろ」


 今、この世界は堕天の脅威に満ちている。


 アジトや危険地帯に足を踏み入れられるのは、達人の旅師、騎士、そして賢者以上の者だけだ。


 だから、こそ、生徒たちは己の力を徹底的に鍛える必要がある。


 ──逃げる余地など、存在しないのだ。


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