歪みの中で
肌を剣先で突き刺すような風が吹く。
夜の王都は、深海の底のように静まり返っていた。
俺はマントを揺らしながら、石畳を歩く。
向かう先は──イリーナとオルガが経営しているという店、クレアータ。
店の外まで香るスープの匂いと笑い声。
看板の灯りが、夜の霧を溶かすように暖かい。
……ずいぶん繁盛してるな。
中を覗けば、席はほとんど埋まっている。
客足も、回転率も尋常じゃない。
ので、俺は閉店まで待つことにした。
「いらっしゃ──あれ?翔真君!!」
パッと顔を上げたのは、エプロン姿のイリーナだった。
驚いた顔が、すぐに満面の笑顔に変わる。
「なになに?翔真が来てるの!?」
奥からオルガが顔を出す。黒いコック服に腕まくりした姿が板についている。
料理も創造のウチか。
「久しぶりだな。……随分、立派な店じゃないか」
「ふふん、当然でしょ。建物も内装も、全部わたし達が手掛けたの。おかげで借金ゼロ」
「嘘だろ、本当に全部自作?」
「俺を誰だと思ってる」
オルガが笑いながら厨房に戻る。
その背中を見て、翔真は思わず息を吐く。
イリーナが温かいスープをテーブルに置きながら、ふと尋ねる。
「ねぇ、翔真君。王都はどう?灰の賢者になってから、すっかり有名人だって聞いたけど」
翔真は肩をすくめ、スプーンを回す。
「まぁ、ちょっと騒がしいけど……、こうして静かに飯を食える時間があるなら、悪くないさ」
イリーナがくすっと笑う。
外では、雪混じりの風が窓を震わせていた。
──その夜、クレアータの明かりは遅くまで消えることがなかった。
「アイシェにもまだ言ってないんだけどさ、実は絆が1人いや、2人増えた」
「マジで?ひとりは厳密に言うと、俺の護衛なんだけど、もう一人が俺と共に絶の試験を合格したベリタリア、鬼畜刀の賢者だ」
「へぇ、新聞に載ってたね。タイプは?」
「肉体系かな?この世界の均衡を保つのにピッタリだ」
「おおっと、翔真くんの口から肉体系って単語が出るとはね!」
イリーナがニヤリと笑う。
「いや、そういう意味じゃなくてな!」
慌てて否定する俺に、オルガも肩をすくめて笑う。
「でも、絶の試験を突破したってことは相当の実力者ね」
「そう。あいつとは気が合う……いや、似てる部分があるというか。どっちも踏み越えた側の人間なんだと思う」
「踏み越えた側、ね」
イリーナが意味深に呟いた。
「しかし、2人とも仲良くやっていて何よりだ」
そう言いながら、俺は思わず2人の様子をじっと見つめてしまった。
正しくイリーナとオルガは、絵に描いたような絶世の美男美女。
息の合った動き、さりげないアイコンタクト。
──これはもう、どう見ても付き合ってるだろ。
「ん?さすがに付き合っては──いや、ないか?」
「ぶっ!!」
イリーナが飲んでいた紅茶を盛大に吹き出した。
「だ、誰がそんな……っ!」
「違う違う、オレたちは共同経営者で!」
オルガも耳を真っ赤にしながら慌てて否定する。
「へぇ〜、そうなんだ〜?」
俺はにやりと笑って、腕を組んだ。
「共同経営って言って、夫婦経営と紙一重なんだよな」
「翔真くんっ!!」
2人の声が見事にハモる。
……うん。お幸せに。
──
「ところで最近、古代種が各地で目撃されてるって記事を読んだんだけど……翔真、何か知ってるか?」
オルガが、わざと話題の矛先を変えた。
「……その件なら、俺より隣のイリーナに聞いたほうが早い」
翔真は、軽く視線を送る。
「ちゃっかり、俺の思考の奥まで覗いてただろ」
イリーナは瞬きを一度。
その仕草だけで、空気が柔らかくなる。
「バレてた?」
「当然だ。君は俺の左脳だからな」
「ふふ、じゃあ右脳担当のオルガにも分かりやすく説明してあげるわ」
イリーナはカップをソーサーに置き、軽く息を吐いた。
その声は、どこか祈りのように静かだった。
「翔真君が以前、聖域に戻した維持石──あれが引き金なの。
本来の場所へ戻されたことで、世界そのものが初期化を始めている。古代種の出現は、その副作用みたいなものね」
一瞬、店の空気が凍りついた。
外の風が窓を叩く音だけが、やけに鮮明に響く。
「あぁ、維持石の件か。なるほどね、そう繋がるわけだ。理解理解。
──やれやれ、世界ってやつは本当に飽きさせない。
この後、どんな風に歪むのか……少しワクワクしてきた」
その言葉にオルガは、袖で口元を隠しながら狂気じみた笑みを浮かべる。
瞳の奥に、楽しみと何か得体の知れない好奇心が入り混じっている──まるで世界そのものを操るつもりのように。
「ちなみに、大賢者が持つブレスレットは残り2つ。堕天崇拝側が握るのが3つ。さらに、世界にはまだ5つの維持石が散らばっている──」
イリーナは落ち着いた声で告げる。
だが、その瞳には微かな光が宿り、秘密を握る者だけが持つ自信と余裕が滲んでいた。
オルガは静かに頷き、世界の歪みと自らが関わるこれからの展開を、思わず微笑むように想像していた。
その笑みは、まだ誰も知らない未来を予見する者だけが持つもの──いや、ほんの少し狂気を孕んでいる。
「なるほど……理解した」
「さてと、俺はそろそろ行くよ。変な事はするなよ」
「さてと、俺はそろそろ行くよ。閉店してるからって、変なことはするなよ」
店を出ようとしたが、ひとつ思い出した。すぐに引き返す。
なぜか、二人の距離がいつもよりずっと近い──いや、明らかに縮まっていた。
「……そうだ、そうだ。ベリタリアとの顔合わせは、何時にする?」
なにやら、慌てふためく二人。
だいたい何をしようとしたか察しがつく。
「あっ、えっと……ベリタリア君の都合に合わせようかな」
イリーナの目が面白いくらいに泳ぐ。
「そうするよ」
オルガは目線をあちこちにキョロキョロさせ、頬を指でかく。
「了解。それじゃ、またな」
自然と目が合う。
2人の距離の近さに、微妙な気まずさが胸にちらつく。
後で、二人に何か奢ってあげよう。
そして、背筋に熱い感覚が走る。
世界の歪みの中心に、俺自身が立つ──そんな予感が、微かにだが確かに現実味を帯びていた。
そして、気になるのが、この世界に来てから妙に色恋沙汰に目がいくようになったことだ。
人の距離感や仕草、頬の赤み――無意識に意識してしまう自分がいる。
──しかし、今は切り替えなくては。
世界の歪みの中心に立つのは俺だ。
任務と未来のため、余計な感情に振り回されるわけにはいかない。
──
屋敷に戻ると、そこには召使いではなく白いパジャマ姿のフロルが待っていた。
「おかえり、翔真君」
その声に、思わず頬がポッと赤くなる。
──仕組んだのは、間違いなくアイシェだろう。
それに、ベリタリアはアイシェと顔合わせしたのだろうか……。
「ただいま、フロル」
ふと、聖域に一緒に行きたいという思いが頭をよぎる。
だが、肩書きが王だということを知ったら、フロルは驚くだろうな。
「翔真君、どうかしたの?」
その声に振り向くと、タイミングよくベリタリアが帰宅した。
「ただいま、あれ?翔真と昨日のハーフエルフちゃん」
「ばっ!!」
柱の裏からアイシェが出てきた。
知ってたけど。
「アイシェ、隠れてたのか」
「バレてた?ていうか、そのイケメンは誰?」
アイシェが人差し指をベリタリアに向ける。
「……はじめまして。鬼畜刀の賢者、ベリタリアと申します」
ベリタリアは淡々と挨拶し、すぐさま翔真の腕を軽く引っ張る。
──そりゃそうだ。
手の届かないと思っていた子が、まさか同じ屋敷に住んでいるのだから、正気の沙汰ではない。
アイシェとフロルは、不思議そうに顔を見合わせる。
「お前、あの子は誰だ?」
「何って、アイシェだぞ」
「……お前、あの子知ってたのか?あれだけ話しといて、なぜ紹介しなかった?」
「サプライズだよ、サプライズ」
「お前って奴は……」
アイシェはベリタリアに駆け寄り裾を掴む。
アイシェの目とベリタリアの目が不意に合う。
「うわぁ、体すごいですね!!」
アイシェの手は止まらず、無遠慮にベリタリアの肩や腕に触れる。
好きな人にイケメンと言われ、体をまさぐられる。
当然、その反応は予想以上で、ベリタリアの頬は最高潮に赤く染まり、目を逸らすしかなかった。
「いや、その、あれだ……」
言葉が続かず、口ごもる。
たった一度の身体的接触で狼狽する──
その様子は、まるで戦場で武器を失った兵士のようでもあった。
フロルと翔真は、そんなベリタリアを横目に見て、心の中で小さく笑みを浮かべる。
──どうやら、この世界の気配りは思った以上に手強いらしい。
「ねぇ、週末さ、二人で王都回らない?」
その声には、わずかに期待を含んだ響きがあった。
ベリタリアは一瞬言葉を失う。
「……えっ!?ぜひぜひ、行きましょう!」
思わず笑みがこぼれている。
アイシェの積極性は明らかに強いが、いやらしさは一切ない。
純粋に楽しもうとしている――その熱量が、逆に見る者を微笑ませる。
翔真とフロルは少し離れた位置からそのやり取りを観察していた。
しかし、何か弄んでいるようには見えない。
この二人の距離感、絶妙に揺れ動く関係――見ているだけで面白くて仕方がない。
翔真は軽く肩をすくめ、心の中で笑う。
──この世界で、人の感情や距離感がこんなにも刺激的に映るとは思わなかった。




