帰還した賢者
父の声が響いた部屋の奥。
灯火のゆらめく先に、四人の影が立っていた。
その中で、真っ先に目を引いたのは、黒髪の青年のシルエットだった。
胸の奥がドクンと跳ねる。
「……翔真……?」
震える声。
その名を口にした瞬間、時が巻き戻ったように感じた。
月の下で別れた夜、あの背中がいま、確かに目の前にある。
翔真は、少し照れくさそうに笑う。
「やぁ、久しぶり。元気だったか?」
その笑顔が、息を詰まらせるほど懐かしい。
フロルは唇を噛み、堪えるように頷いた。
翔真の背後には、青いタキシードを着た筋骨隆々の男──ベリタリア。
そして、黒いフードを被った寡黙な騎士・ナイト。
「おい翔真、あの可愛い子ちゃん、知り合いか?」
ベリタリアが茶化すように声をかける。
「まぁね」
「くっそー、ぜひお友達になりたい!」
「……お前の“友達”発言、だいたい信用できねぇんだよな」
「誤解だって!俺ピュアなんだから!」
軽口が飛び交い、場の空気が一気に明るくなる。
フロルは思わず笑ってしまい、涙が頬を伝った。
「翔真……ほんとに、生きてたんだね……」
「心配かけたな。ちょっと、道草を食ってた」
その言葉の奥に、彼の苦労が滲んでいる。
けれど彼は、それを見せない笑顔を浮かべた。
そこへアルデビドが口を開く。
「翔真、もう行くのか?」
「あぁ」
翔真は静かに頷いた。
背後で仲間たちがうなずく。
「寂しがり屋ちゃんを頼むよ」
父の声は冗談めいていたが、その奥には確かな信頼があった。
「翔真君ーっ!!」
堪えきれず、フロルが翔真に飛びついた。
その瞬間、柔らかな体温と──レヴァンの花の甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
「お、おぉっと……ちょ、待て待て! アゼルノリすごいな……!」
予想外の衝撃に翔真がたじろぐ。
だが、腕の中の温もりを感じた途端、思わずその背を抱き返していた。
(……あぁ、帰ってきたんだな)
そんな実感が胸の奥から湧き上がる。
ほんの一瞬──妙な二つの感触を覚えたが、きっと気のせいだろう。
「もう、翔真君ったら」
フロルが顔を上げ、くすくすと笑う。
涙の跡と笑顔が混ざったその表情に、翔真の心臓がまた跳ねた。
ふと視線を感じて振り返ると、にやにやとしたアイシェが腕を組んで立っていた。
「……見てた?」
「うん、ばっちり。で、わかった。二人って、そういう関係だったのね……ふぅん、そうなんだぁ〜」
その言い方が妙に伸びやかで、翔真は顔をしかめた。
「いや、違うって!」
「へぇ〜?」
「違うってば!!」
フロルは顔を真っ赤にして両手をぶんぶん振る。
「お二人さん、どこ向かうのかな〜?」
アイシェが軽やかに声をかけ、俺たちの進む方向に目を光らせる。
「部屋だよ」
「ふーん、同じ方向なのね」
フロルが少し笑い、肩の力が抜けたように見える。
「そうそう、私たち同部屋なんだ」
その一言に、フロルの心の中の何かがすっと解けた気がした。
「えっ、翔真、ちょっとこっち」
アイシェが突然、翔真の腕を思いっきり引っ張る。
「えっ、な、なになに? なんもしないってば!」
「フロルちゃんに変なことしてないよね?」
「してないよ」
翔真の言葉に、フロルは少し頬を赤く染めながらも、安心したように微笑む。
「翔真だもんね」
「なんだよ、その言い方……まるで俺がヘタレみたいじゃないか」
「ふぅん、それじゃあ、証明してみせてよ」
「証明する訳ないだろ!!」
こんなに冷静じゃない翔真は、フロルの前では初めて見た。
普段の落ち着いた彼の目が、一瞬きらりと焦りで揺れ、声も少し震えている。
フロルは思わず笑みを抑えきれず、くすくすと肩を揺らした。
「それじゃ、行こうか?」
「お幸せに〜」
──
廊下の端で、フロルは思わずクスクスと笑った。
翔真が小さく眉をひそめ、口を尖らせてぶつぶつ愚痴をこぼす姿は、普段の彼からは想像できないほど無防備で、どこか可愛らしかった。
「もう、アイツ……変な雰囲気にさせやがって」
フロルは微かに笑みを浮かべたまま、翔真の横をすり抜け、自然な距離感で歩調を合わせる。
──
部屋に入ると、壁に映る自分たちの影が月明かりに溶け、少しだけ時間がゆっくり流れるように感じられた。
「懐かしいな」
翔真の声には、ほんのり温かさと、遠く過ぎ去った日々への柔らかな郷愁が混ざっていた。
「そうだね。私もそう思うよ」
フロルはその声に、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
二人きりの空間。
それでも、互いの息遣いが近く、心臓の高鳴りが互いに伝わる。
この空間、この瞬間が、ただ静かに永遠であればいいのに。
フロルは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
翔真もまた、無意識に微笑みを浮かべ、部屋の空気にそっと身を委ねた。
フロルは柔らかくベッドに横たわる。
布団の上で小さく身を丸め、金色の髪が淡い月明かりに揺れる。
「おいでよ、翔真君」
その声は甘く、けれどどこか哀愁を帯びていた。
フロルの手がそっと布団を叩く。小さな仕草は、まるで誘う妖精のように繊細で、無邪気で、そして儚い。
瞳には、子供らしい好奇心と、大人のような物思いが混ざっていて、見る者の心を軽く揺さぶる。
翔真は一瞬息をのむ。
こんなにも柔らかく、守りたくなる存在が目の前にいるというのに、どうして今まで離れていたのだろうと、胸の奥で痛みが走った。
「……フロル、何も言わず、出て行って、ごめん」
声をかけるだけで、部屋の空気が一段と温かくなる。
「それだけ?」
フロルが月光に照らされながら、悪戯な笑みを浮かべ、首を傾げる。
「それだけって……?」
フロルは小さく笑みを浮かべ、布団の中で手を伸ばし、翔真をそっと誘った。
「私、凄く会いたかったんだから」
その手の動き、甘えるような仕草、そして微かに震える肩。
すべてが、この世界でただ一人の特別な存在を示しているかのようだった。
その夜、二人はぐっすりと眠った。
フロルは翔真の隣で丸くなり、ふんわりとした寝息を立てる。
布団の中の小さな体温と、ほのかなレヴァンの香りに、翔真は自然と安心した。
……と思いきや、寝返りを打ったフロルの腕がなぜか翔真の首に絡みつく。
「……お、おい!フロル!?」
寝ぼけたままのフロルは無意識に体を密着させ、腕の角度が完全に首を絞める形になっていたのだ。
翔真は必死に耐えながらも、なんとか腕をほどく。
「な、何してるんだよ……首が……」
フロルは寝ぼけ眼で伸びをしながら、「ん?えへへ……」と無邪気に笑う。
その笑顔に、怒りも緊張もすべて溶けてしまい、翔真はただため息をつくしかなかった。
「……まったく、妖精かと思ったら、寝相が悪魔かよ……」
俺じゃなかったら、朝日が出る頃にはお人形さんになってるわ。
二人はそんなコミカルな事件を経て、また眠りについた。
夜の屋敷は静まり返り、窓から差し込む月光が、二人の微笑ましい姿をやさしく照らしていた。
──不思議ななんだよな。この子




