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黒髪の青年

家庭教師になってから、早くも一週間が経った。

 

 放課後の図書館での勉強は習慣となり、休み時間には廊下を並んで歩く姿が定番となった。

 

 気づけば、生徒たちの間でこんな噂が飛び交うようになる。


「ねぇ見て。あれ、アイシェ様とイリーナじゃない?」

「最近、二人ずっと一緒だよな」

「最強のタッグって言われてるらしいぜ」


 学園のカリスマと優秀組の才女。異なる階層にいた二人が並ぶ光景は、まるで物語の一場面のように人目を引いていた。


 ⸻


「リナ、ちょっと考えてたんだけど」

「はい?」


 廊下を歩いていた時、不意にアイシェが足を止める。

 

 いつもより真剣な声色に、イリーナは背筋を伸ばした。


「もし君さえ良ければ……うちの聖騎士団に来て、指揮官にならない?」


「え……私が、指揮官……?」


 不意の提案にイリーナは目を瞬かせた。冗談にしては真剣すぎる。

 

 アイシェの瞳には一片の揺らぎもなかった。


「君なら行ける。読み取る力、知識、冷静さ。部下にしたいんじゃなく、仲間に欲しいんだ」


 イリーナは一瞬、答えに詰まった。

 心の奥で、何かがざわめく。

 ──「指揮官」。前世で夢にも思わなかった言葉。けれど妙にしっくりくる響きでもあった。


「……指揮官、ですか。いいですね、それも」


 自分の口から出た答えに、自分で驚いてしまう。


 ⸻


「あっ、いっけない! 忘れ物しちゃった。すぐ取りに行きますので!」


 イリーナは小走りで廊下を離れる。

 残されたアイシェは、ぽつりと呟いた。


「イリーナでもヘマするんだな」


 口元には、ほんの少し柔らかな笑みが浮かんでいた。


 ⸻


 石造りの図書館。静寂を乱さぬよう気をつけながら、イリーナは走る。

 

 しかし、机の上にあるはずのペンケースは、跡形もなく消えていた。


(……あれ? さっきまで確かにここに置いたのに)


 不思議に思っていると、受付にて見覚えのあるペンが差し出されているのが目に入った。


「司書さん。忘れ物の主が来たようなので、私はこれで」


 そう言って振り返ったのは、黒髪の青年だった。

 

 東方の血を思わせる整った顔立ち。服装は質素だが、不思議と漂う気品がある。

 

 決して貴族のような華美さではなく、むしろ質実な清廉さ。その存在には隙がなかった。


 イリーナは思わず見惚れる。


(……見たことがない。騎士志望? でも、名簿に黒髪なんて……)


 ⸻


「見つかった?」


 図書館の外で待っていたアイシェが声をかけてくる。


「はい、お陰様で。ところで……アイシェさん。騎士志望に黒髪の生徒っていましたっけ?」


「黒髪?んん……。騎士志望、聖騎士志望に黒髪の子は見たことがないわね」


「なるほど……ありがとうございます」


「……あぁ、でもさ。これ、言っちゃダメだよ」


 急に声を潜め、アイシェはイリーナの耳元に顔を寄せる。


「半年前の“アゼル王都北四番街事変”って覚えてる?」


「覚えてますよ。私、その時に現場に居合わせたんです。王侯騎士団が解決したって聞いてましたけど」


「実は、ここだけの話。解決したのは王侯騎士団じゃないらしい」


「……え???」


「煙の中から謎の黒髪の青年が四番街から歩いてきて……騎士団が到着したのはその後だったって。証言者が、何人かいるんだ」


 アイシェの言葉に、イリーナの心臓が大きく鳴った。

 

 ──黒髪の青年。

 

 さっき図書館で見た、あの清廉な後ろ姿が脳裏に蘇る。そして妙に自分に似た匂いを感じた。


「アゼルは混血が多いけど、黒髪は数が少ないからね」

 

 アイシェがさらりと付け足す。


 ⸻


 それにしても、かっこよかったな……ᐝ

 

 図書館で出会った黒髪の青年の後ろ姿が、イリーナの脳裏から離れない。

 

 気づけば頬が緩み、胸の奥がふわふわと浮かび上がる。


「……あっ、居たわ。知り合いに」

「えっ、本当に!!」


 アイシェの声に現実へ引き戻される。


 ──バンッ!


 美術室の扉が勢いよく開いた。


 美術室は図書館の真反対に位置する為、イリーナが入室するのは初。

 

 光の差し込む中に立っていたのは、アイシェの案内で連れてこられた青年。


「オルガー、来たよー」


「?……あぁ、イシェ。いや、アイシェ、久しぶりだな。それと……」


 扉の奥、美術室の隅にひとり座っていたのは、黒髪に赤い瞳を持つ青年。

 

 キャンバスに向かう姿は、静謐そのもので、筆先が描き出すのは王都の情景。

 

 だがその構図、色彩、街並みの捉え方──どこかで見たことがある。


「初めまして。イリーナです」

 思わず深く頭を下げる。


「最近、うちに顔を出さないと思ったら……こんなことをしていたんだな。ふむ、興味深い」


 青年はイリーナをちらりと見やり、すぐにまた筆を走らせた。

 

 黒髪に赤い瞳。どこか現実味の薄い美しさが、その存在をさらに遠ざけている。


「うちに来ないとって、どういうことですか?」

 イリーナは隣のアイシェに小声で尋ねた。


「あぁ、それは――」


 言いかけたところで、青年が割って入る。


「僕さ、昔からランドンさんに世話になっててね。今はちょっと休暇中なんだ」


 淡々とした声。だが言葉の端々から、ただ者ではない気配が漂っていた。


 イリーナはふと、彼のキャンバスを覗き込む。

 

 見事に描き出された王都の風景に、胸がざわつく。

(……この街並み、知ってる? いや、そんなはず……)


「修行? いや、ずいぶん特殊だね」

 

 アイシェが肩をすくめると、イリーナに視線を向けた。


「イリーナが黒髪の生徒にお礼を言いたいんだって。あなたのこと、でしょ?」


「僕かい?」


 オルガは片眉を上げ、ゆっくりとイリーナを見た。


「そんな“白金の雪”みたいな女性に会ったことはないけどな」


「し、白金の雪……⁉︎」


 胸に突き刺さる比喩に、イリーナの顔が一瞬で真っ赤になる。


「イリーナ、顔真っ赤」


 アイシェがからかうように笑った。


「失礼しました」


「治った……!?」


 アイシェは驚いたように呟き、オルガは小さく笑った。


「それにしても、随分、精巧な絵ですね。ちなみにこの絵を描き始めたのは何時頃ですか?」


「この絵かい? だいたい、半年前かな。今は仕上げさ」


「ふぅん……、興味深いですね」

 

 イリーナの微妙な返事に、オルガは筆を動かしたまま気にも留めなかった。


「こう見えて、オルガって凄く強いんだからね。聖騎士志望になれば、私より強いくせに」

 

 アイシェが肩をすくめて言う。


「ランドン聖騎士長の弟子って言っていたものね。大方予想はつくわ」

 

 イリーナも小声で返す。


「でも、アイシェは戦いづらいから嫌だ」

 

 オルガは少し困ったように笑う。言葉の端々から、訓練や戦闘での非凡さが滲み出ていた。


 イリーナはその会話を耳で拾いながら、心の中で小さく頷く。

 

 ──やはり、ただ者ではない。


「それはそうと、その黒髪の生徒って――」


 アイシェがそう呟くと……、




 ──バンッ!!


 またしても勢いよく、美術室の扉が開かれる。


(……これ定番なんだ)


「珍しいね。工房じゃないんだ」


 低く落ち着いた声が、静かな室内を揺らした。

 新たな来訪者の姿に、イリーナの胸はさらにざわつき始める。


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